新型インフル 疑似患者「確定まで黙っていられなかった」 ~厚労省事務局長

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2009年06月08日 15:44

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コメント

医系技官の発言一つ一つの言葉尻をとらえて糾弾し、それによって国民を煽動しようと試みることが、川口氏の書いたところの「医療崩壊の防止」にどのように繋がっていくのか、はなはだ疑問である。
今のままでは、単なる「つるし上げ」であり、自己満足に過ぎない。

 実際の行動に多少の問題があったという点はともかくとして、ご発言の中で率直な反省の意を表されており、また今後の改善についてもコメントされており、自分は特に問題があるとも不愉快とも思いません。

私も読んだ感想としては、中村さんと同じような印象を持ちました。
ただ、新型インフルエンザについては、対策事務局が直接大臣に上げていろいろ方針決定していったというプロセスが読み取れるので、
以前の記事(http://lohasmedical.jp/news/2009/05/27151836.php)にあった、「厚生労働省健康局長を名指しのうえ、不備があったとの提言」については、「冤罪」の可能性がありますね。検証記事を期待したいと思います。

役人が「情報が少なくて判断が困難であったが、結果的には間違っていた施策」に対し、責める気持ちはない。

しかし、こんなに素人丸出しというか「やってみてだんだんわかってきた」なんていう台詞を吐かれたら、いままで翻弄されてきた都道府県の担当者や知事はガックシくるでしょうね。兵庫や大阪の現場の医師達はどんな気持ちでこの記事を読んだでしょうか?

現場の士気を落とさないため、気遣いは必要だと思います。

昔は、こんな知事相手の会合で何を喋ろうと国民には知られずに来たんでしょうなぁ。いまはほぼリアルタイムでネットに出てしまうんだから、やりにくい世の中ですね。ご時世ですからあきらめましょう。

>メディアの圧力が人権侵害を生んだと見ることも、また厚労省が自らの行いを棚に上げてメディアに責任転嫁したと見ることも、できそうだ。

この最後の一文、特に後半が余計なんですよ。
これさえなければ、素晴らしい記事なのに。

記事の内容についての感想、評価は、読者に任せておけば良いのです。
読者を誘導し、煽動するような表現は慎むべきなのです。

maruna 様

川口さんの文が読者を誘導、煽動するとお感じになっていますね。

では、厚労省が記者クラブを通じて、自分に都合のよい情報しか出さないという現状については、どうお考えになりますか?

なかなか面白いやりとりの記事ですね。
それぞれの苦悩がよくわかりました。
今回の厚労省の対応は、おそらく現状の最善だったのでしょう。あちこちで書いて繰り返しになりますが、インフルエンザに対して、強毒型であるか否かにかかわらず、検疫は無意味だと思っていますが、こういう経験をしたことがない我が国ではやってみるしかなかったとも思います。

ただ、今一番大切なことは、今回の対策について色眼鏡なしで客観的に評価することでしょう。国内ではそれぞれの立場があって発現しにくいところもあるでしょうから、海外から専門家を呼んでそれぞれの対策の評価をしてもらった方がよいでしょう。そのかわりに日本からも各国へ行って、その政策を評価してくればよいでしょう。少なくとも今回の計画を立案した人が自らその評価を行ってはならないと思います。

報道そのものについては、この程度の表現は許されてしかるべきでしょう。個人的感想を述べずにひたすら事実を伝えるべきだという信念も立派ですが、言葉にすれば必ず何らかの思惑がはいります。特に日本語の場合は、速記したとしても、漢字にするかひらがなにするかだけでも、あるいは句読点の位置をどこにつけるかだけでも、相手に与える印象を変えることができます。ましてや内容を要約したり、その場の雰囲気を伝えようとすれば、かならず記者の主観が入ります。それが悪いこととは思いません。情報を出す側、情報を伝える側、情報を受け取る側、それぞれバイアスが入るものだと思って行動すれば良いだけの話です。

川口さん、これからもがんばってください。

marunaさま
>この最後の一文、特に後半が余計なんですよ。
お怒りはごもっともですが、どうもこれはマスコミ的には常套句のようです。類語の「論議を呼びそうだ」でググってみたらなんと45,500 もヒットしました。
したがって、万葉集をお読みになった時の「タラチネの」とか「鳥が鳴く」のようなものだとお考えになればよろしいのではないでしょうか。

異型技官様

私は今回は、報道する側の問題について指摘したのみです。
ただ、私の印象としては、厚生労働省には色々と問題はあるかも知れないけれど、よく頑張っているところもあると思います。ですから是々非々で、評価すべき点も含めて、なるべく客観的に報道して頂きたいと思っています。
もし記者クラブを通しての情報に操作が加えられているのであれば、なおさらロハスのニュース記事は貴重だと思います。但し、それには客観的という条件が重要で、それがなければ厚生労働省の情報操作と「同じ穴の狢」ではないでしょうか。

ふじたん様

確かに「この程度の表現」という捉え方もあると思います。
ですが、先日の「コメントする際は、ハンドルネームをお書きください」における川口様のコメントを見る限り、たとえ「この程度」であっても注意喚起は必要と私は思いました。
良い例えかどうか分かりませんが、今の川口様は「坊主憎けりゃ袈裟まで」という袋小路(滑走路?)に入りつつあるように思います。
「読みたくなければ読むな」という開き直り的コメントもありましたし、今後に不安を感じる次第です。

maruna様
「読みたくなければ読むな」に尽きます。
それ以上あなたは私に何を期待しているのですか?

川口さま
>「読みたくなければ読むな」に尽きます。
職人気質の頑固親爺みたいなこと言わんと。
叱咤の声を受け入れないと叱咤する側としての迫力に欠けますよ。

maruna 様

>ただ、私の印象としては、厚生労働省には色々と問題はあるかも知れないけれど、よく頑張っているところもあると思います。

最近お見かけしない中野様と同様、まったく客観性を欠いたご評価をなさるのですね。厚労省は問題だらけで、頑張っていれば良いという物ではありません。

企業の経営者も、無能な頑張り屋さんが最悪です。

私はロハスの記事には日本の他のマスコミにない健全なジャーナリズムがあり、ロハスの記者の皆さんは我が国に希少で貴重なジャーナリストであると考えています。独立不羈の精神でどんどん記事を書いて行政の実態について問題提起をしていただきたいと願っている年寄りの読者です。

異型技官様

>最近お見かけしない中野様と同様、まったく客観性を欠いたご評価をなさるのですね。厚労省は問題だらけで、頑張っていれば良いという物ではありません。

私の現時点での「主観的な」印象を述べたまでですので、悪しからず。

>企業の経営者も、無能な頑張り屋さんが最悪です。

私は他人を「無能」と言い切れるほど有能ではありませんので、その点では異型技官様を尊敬したいと思います。


川口様
パンダ様

こうして、このブログは頑固親父とシンパの馴れ合い集団になっていくのでしょうね。馴れ合い集団が、どうやって医療崩壊を阻止していくのか、見物したいと思います。


前々期高齢者様

問題提起と煽動とは、似て非なるものだと思っています。


さて、私もオジャマ虫状態になってきましたので、そろそろ退散したいと思います。それでは。

maruna 様

形勢不利になると逃げるのね。
お疲れ様〜。

脇から失礼します。

記事の客観性等についてのご指摘がありましたが、例えば今回marunaさまが特に「この最後の一文、特に後半が余計なんですよ」と批判されている一文をみても、そこまで客観性あるいは中立性を大きく損なっているようには思えません。むしろ「特に後半が」とされていることに、たぶんにmarunaさまの主観が反映されているわけで、そうした見方の中で出された客観性に対する疑問こそ、客観性がないと考えざるを得ません。

まずは前提となるべき一般論を。誰かの言動を報道するということは、その発言だけを一言一句流すのでない限り、そこに記者の編集が入らざるを得ません。その際、客観性・中立性は目指すべき重要な目標かもしれませんが、そこに至上価値をおくことはあまり意味がありません。なぜなら、取材の過程あるいは報道すると判断した時点で、そこに記者の主観が少なからず入っているからです(そんなやり取りがいつかもあった気がします)。

そもそも日本のジャーナリズムにおける客観性は、欧米のそれとは異なり、歴史的には言論弾圧から逃れるための苦肉の策であったという話を聞いたことがあります。つまり自らの責任放棄でもあったわけです。

こうしたことを踏まえて、私が普段から考えていること、心がけていることを書かせていただきます。(ちなみに私は自分がジャーナリズム論を語れるとは思っていません。正直、大きすぎるテーマです。以下についも、あくまで私一人の私見にすぎず、他の記者の意見はまたそれぞれです。)

私が個人的に自分に課していることは、一市民としての出発点を大事にしながら(それはある種の主観を認めてしまうことだと自覚しています)、それでもまずは事実を可能な限り客観的・中立的に捉えることです。その上でいかに報道するかですが、事実は自分が捉えたまま(客観的・中立的に)、淡々と伝えるべきと思います。ただし、相手が一般市民に対峙する存在(行政や利益団体ほか、以前“コップの中にいる”と表現した人たち)の場合、その言動に一市民としての立場から問題を感じれば、事実描写との区別をつけつつ、それを含めて伝えることも、やぶさかではないというのが私個人の考えです。

なぜなら私は取材相手の広報機関ではありません。むしろ、彼らを監視する役割も自分たちにはあると思っているからです。もっと言ってしまえば、一般国民(自分や自分の大切な人、その人たちの大切な人・・・)の幸せのために書きたい、伝えたい、という思いが私の原点であり、モチベーションです。一般国民にとっては、専門的な難しいやり取りだけを聞いても話が上滑りしていってしまって飲み込めないことが多いだろうと、自分の実感として思います。圧倒的な情報の非対称性もあります。そこで、バックグラウンドを少しでも把握している人間が、記者としての立場と良心に基づいて許されると信じる範囲での解説を加えることは、問題ないと思うのです。むしろ、そうした役割を誰かが自らの責任のもとに担ったとして、そのこと自体が非難される理由がよくわかりません。

ちなみにニュース記事とブログは別物です。ニュースでは一次情報のみ、ブログでは二次情報プラス、単なる解釈を超えた私見も入ります。その線引きはこれからも徹底していくことになります。

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