何か足りない、「ドラッグ・ラグ」の議論 コメント欄

投稿者: 新井裕充 | 投稿日時: 2010年08月26日 08:14

 海外で使われている薬が国内で使用できない「ドラッグ・ラグ」の解消に向け、厚生労働省は8月25日の中医協で、薬事法上の承認がない薬でも健康保険での支払いを認める"近道"を提案し、全会一致で了承されたが、何かが足りない。(新井裕充)

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病気の人に対する、全くの新薬の治験なら、急ぐことはわかります。

健康な人に接種するワクチンの場合はどうなんでしょうか?

現在、国産不活化ポリオワクチンの治験が進行中(第3相とのこと)
ここで疑問なのですが、

1) 全くの新薬ではなく、海外には、実績充分なワクチンがあるのに、あえて国産の新型ワクチンの開発治験(赤ちゃんへの人体実験)を行うことは倫理的に正しいのでしょうか?

2) 治験の規模は、トータルで500名程度とのことです。 この人数では効果確認(抗体の出来る率)は証明出来ても、安全性は不安です。統計的に考えても、副反応率が0.1%もある不良ワクチンだったとしても、見逃す可能性があります。
健康な赤ちゃん全員に接種するワクチンとして、安全性の証明はこの程度でよいのでしょうか?

倫理的にも、科学的にも、ワクチンの治験は意味が無いように思います。
日本国民の安全第一に考えるのであれば、実績のある海外製ワクチンを輸入するのが正しいように思えます。

私は、医療関係者ではないので、大きな勘違いがあるかもしれません。ぜひ、ワクチンへの治験の考え方、倫理についてお教えください。

ドラッグラグの問題はまさに最新医薬の有効性と安全性のバランスの問題です。《医師はしばしば「エビデンス」とか、「科学的証明」という言葉を好んで使うが、医療事故の問題になると手のひらを返して「誰にも分からない」「100%はない」と言い切る。》という文章の意味がよくわかりません。エビデンスのある治療法がいかに少ないか、そのなけなしのものさえ、せいぜい95パ-セントの範囲で「エビデンス」と言っているのです。エビデンス自体が、誰にもわからない不確実さを含めてのエビデンスなのであって、医療事故のときだけ手のひらを返しているわけではありませ ん。
そもそも薬品の有効性は、プラセーボと比較して20パーセント差が出る確率が95パーセント、という、ささやかなものでも「有効」は有効なのです。それでも、糖尿病や高血圧のコントロールが「有効」な薬によって改善すれば集団としての死亡率は減少するのです。疫学というのは、一人ひとりについての効果を確かに言い当てることはそもそもできない学問なので、患者さん各人が判断して服用に同意するというインフォームドコンセントの手続きが重要になってくるわけです。
このような不確実性の基本を国民に教育してこなかったために、医療に対して理不尽な期待をするのだと思われます。
たとえば、薬が風邪を「治して」いるわけではありません。患者さん自身の免疫力が治しているのです。市販の風邪薬は症状緩和がせいぜいで、副作用があるかもしれないので、欧米では「子供には基本的にアセトアミノフェン以外の感冒薬は処方しない」ように推奨しています。まあ、大人は自己責任で、ということです。医者の仕事は、抗生物質などの有害かもしれない薬をなるべく処方せずに経過をみて、風邪が実は風邪ではなく別の重篤な病気ではないかを慎重に見極めることです。タバコをやめるように勧めたり、お酒は控え目に飲むように忠告したりして、患者さんの免疫力を高めるようにするほうが医者としてはよほど実効性があるのです。
ましてや癌治療は、癌の種類と進行度によってガイドラインはあるものの、手探りの連続です。ドラッグラグで話題になる薬は、歴史も浅く、不確実性の高いものです。標準的治療で良くならない患者さんが、先進的実験的治療に縋るお気持はもちろん理解できますが、本文でも言われているように、国民が拠出している健康保険で、副作用と引き換えのような数ヶ月の延命のために高価な新薬を安易に推奨することは、国民全体の利益になりません。
決して、 死ねと言っているわけではありません。ただ、すべての生には必ず終わりがあり、それがいつどのように訪れるのかは誰にもわかりません。現代の日本では癌による死がもっとも多いという厳粛な事実があるだけです。

笹谷芳夫さまがお示しになったワクチンへの治験の考え方、倫理は、医師である私から見ても全く正しいものと思いました。

すなわち厚労省の提案には医の倫理がまったく欠けていると思います。

たびたびですみません。
厚生労働省が国産の小児麻痺(ポリオ)不活化ワクチンを治験しようとするのには、輸入ワクチンに100パーセント頼ることが長い目でみて国民の利益になるかどうかという判断がからんでいるのではないでしょうか。
かつて(1950年代だったと思います)ポリオが大流行し、旧ソ連で有効なポリオワクチン(生ワクチン)が開発されたときは、一刻を争う事態だったので、旧ソ連産のワクチンを緊急輸入して日本の赤ちゃん達を死や後遺症から守りました。この厚生省の勇断は後世大いに讃えられたものです。
今、不活化ワクチンをようやく国産しようというのは、生ワクチンによるポリオ発症が低率ながら起こり続けていることへの批判に重い腰を上げたものであって遅きに失しているのですが、いちおう生ワクチンがあるので、急いでいないのでしょう。おっしゃる通り、倫理を第一に考えるならば、まず輸入して日本の子供達を生ワクチンによるポリオから守ったうえで、重要医薬品を国産することの国益への理解を国民に求めて国産品の治験を行なう、というのが正しい手順でしょう。

倫理を第一に考えなければ医療とはいえません。ただの商取引です。ならば厚生労働省は価格取引状況を公開した上で商務省と名乗るべきでしょう。

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