産後、何が、なぜ大変になるのか?⑬不要な信念体系を手離す

投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2017年05月31日 16:40

そして私の心身はますます不調になっていき、以前書いたような寝たきり状態にまで落ち込んでいった。

私はうっすらと、自分自身の問題だということ、ここまで自分の心身を追い込んだのは自分だということも分かっていた。

そしてどん底まで落ち込んだと思った時、たまたま亀田総合病院にいた時にお世話になった医師に連絡することがあり、彼に現状を告げると一つのヒーリング手法を勧めてくれた。

それは自分の中にある信念体系を新しい信念体系(私の場合なら「私は愛されない」を例えば「私は最高最善に周囲や仲間と愛し愛されている」に)に置き換えていけるという一つの手法だった。

ここまでのブログで「信念体系」という言葉を使ってきたが、少し説明すると心理学等の様々な分野では信念体系のほかに「ボトムビリーフ」「ビリーフパターン」「ビリーフシステム」、他にも「認知フレーム」などといった言葉で言われる。自分の潜在意識の中にあるものの見方の枠組み、台本のようなもので、成育歴、過去の出来事などを基に作られるそうだ。潜在意識は思考を現実化させる力が顕在意識より強くプラスとマイナスの区別がつかないため、潜在意識は信念体系がどんな内容であれ引き寄せて現実化してしまうと言われる。人間関係や仕事で同じパターンの失敗を繰り返したり、治ったと思っても元に戻ってしまうのはこの信念体系が変わっていないからだという。(この辺りも専門書に書いてあります)

(信念体系が現実に影響を及ぼす例)
Aさんは「私は人から馬鹿にされる」という信念体系を持っている。
Bさんは「私は誰とでも楽しく笑い合える」という信念体系を持っている。
この二人とCさんが3人で会話し、Cさんがあるところで笑うと、
Aさんは「Cさんに馬鹿にされた」と受け止めて傷つく。
Bさんは「Cさんと一緒にいると楽しい」ともっと楽しくなる。といった感じ。
同じ事象であっても、持っている信念体系によって受け止め方が全く異なってしまうということ。こういうことは日常生活でもよくあることだと分かると思う
 
  
 
ヒーリングといっても何か怪しげなおまじないをするのではなく、心理学や量子力学の話も多く、私には馴染みやすかった。

私はもう一度自分と向き合うことを決め、その手法をとことん勉強することにした。
 
 
兵庫県にある実家に戻り、療養しながら徹底的に自分と向き合った。

育児休暇を取ってくれた夫や、長年自分が苦手としてきた父と母の助けを借りながら、とにかく自分の内面を掘り下げた。夫も付き合ってくれた。

私は「自分は愛されない」という以外にどんな信念体系を持っているかを洗い出すために、過去を探った。

一つ私が大事にしていることだが、過去に何があったのか、真実はどうだったのか、何がトラウマだったのかという「原因を突き止める」のは実はどうでもいいと私は思っている。

それよりも、それらの出来事によって自分の中にどういう信念体系ができ、考え方、見方、行動のクセができたのか、ということが最も重要だ。それらが現在の日常生活に支障を来たす基になっているのだから。
 
 
よくカウンセリングや各種セラピーなどでクライアントの過去のトラウマを見つけることに躍起になり、見つけたら指摘して終わりで相手のことはほったらかし、「見つけた私すごいでしょ?」とドヤ顔。という勘違いした援助者を見かけることがある。こういうタイプは害悪だと私は思っている。

トラウマを見つけて相手に伝えたなら、それを解決するところまでやれよ、と思うのだ。言ってしまえば、トラウマを抱えていたとしても、それが日常生活に支障をきたしていないなら、そのままで構わないと私は思っている。トラウマが日常生活に支障をきたし、仕事や家庭、人間関係などにトラブルを起こしているのなら対処は要ると思う。

突然「これがあなたのトラウマだ」と言われたクライアントはどうすればいいのか。本人はどう扱っていいか分からず、傷を浮き彫りにされて苦しくなってしまうだけかもしれない。もしかしたら苦しみからその傷を日常生活で振りかざし、良好だった人間関係を悪化させ、周囲が迷惑を被ることもあるかもしれない。中にはトラウマを捏造する援助者もいると聞くが、そうだとしたら、相手の生活が今より悪くなることさえもある(米国で起こったハーマンのトラウマ理論による数々の訴訟がいい例)。これは、援助者が相手より優位に立ちたい、社会的に認められたいというエゴだと思う(もしくはその援助技術に相手をはめこんでしまっている)。そういう援助者はクライアントを利用しているし、共依存に陥りやすい。クライアントを見ているのではなく、誉められたい、優位に立ちたいという自分を見ているだけだ。そういう人は、まず自分と相手を区別し、自分で自分を癒してから、人を癒すことを考えてほしい。

誤解しないでいただきたいのは、過去の傷やトラウマの存在を否定しているのではない。その傷によって悲しい、つらい、苦しいと思っている心があれば、それら感情にしっかり耳を傾け、時間を取って十分に癒されるべきだ。傷付いた自分をほったらかしにしては前に進めないから。その上で、これから自分はどう生きていきたいのかということを初めて考えられると思う。

過去を思い出す、というのは、今自分がどういう信念体系を持ってしまっているのかを探るための一つの手段だと私は考えている。過去の傷を特定することは、目的ではない。
 
 
そうして私は、過去の傷ついた感情を癒しながら、数々の信念体系を洗い出していった。

私の中にある「私は愛されない」と同等に強固だったのは、「私は頑張り続けなければならない」という信念体系だった。

私は小さい頃、勉強をしていなかったら父に怒られた。父は私が部屋にいると突然ドアを開けて、私が勉強しているかどうかを確認した。していれば無言でドアを閉めるのだが、してなければ怒鳴り散らして私を叱る。私が家の中で許される行動は家の手伝いと勉強だった。

私の部屋は2階にあったので、父が階段を上がってくる音がしたら、急いで読んでいた漫画をしまって教科書を出した。頼み込んで買ってもらったテレビゲームは、父のいないときにこっそりやった。

私は両親から誉めてもらいたかったが、誉めるタイプの親ではなかったので、とにかく勉強を頑張った。しかし98点をとっても「この2点はなんだ」と言われ、3位をとっても「なんで1位じゃないんだ」と言われる。私は頑張っても頑張っても、誉めてもらえなかった。しかし、頑張ること以外に誉めてもらえそうな手段は見つからなかったので、頑張るしかなかった。

そのうち、自分の中にいるもう一人の自分が「もっと頑張れ」と自分を追い立てるようになった。誉めてもらえなかったらもっと頑張れと、それでだめならもっともっと頑張れ、それでだめならもっともっともっと頑張れ、それでだめならもっともっともっともっともっと・・・・と。

「頑張れ」の無限ループだった。

どれほど頑張ってもさらに上があり、その上を目指せと私が私に鞭を打った。

鞭を打って頑張れば、「ほらできるじゃないか、今まではサボってたんだ」と頑張った自分を貶めた。そして「もっと頑張れ」と鞭を打った。

その繰り返しで、私は疲弊していく一方だった。

目指す「上」には限りなんてない。結局は他人との比較だからだ。

頭のいい人、美しい人、絵の上手な人、歌のうまい人、運動の得意な人、それぞれの部分で自分より優れいている人なんて世界中にいくらでもいるのだから、上を目指してもキリがないのだ。

本来なら、自分と比較すればいいのだと思う。以前できなかったことができるようになった、今日はこれに取り組めた、とか。以前より前進したり、今日頑張った自分を誉めるのが大事だと思う。そして否定するとしても、自分の人格を否定するのではなく、行動を否定する。「こういう行動する自分は嫌い」ではなく、「こういう行動は良くない。でも自分自身は好き」というように。

そうやって自己肯定感、自尊心は育っていくのだと思う。

しかし、他人と比較され続けた私は、比較することでしか自分の存在を確かめることができなかった。

そうやってできた「私は頑張り続けなければならない」という信念体系は、生活の全てに反映された。

育児、家事、仕事、趣味、ようやく楽しめるようになったお洒落ですらも、すべて「頑張り続けなければいけない」という苦しいものに変えてしまっていた。

では「どういう時に頑張らなくてもいいと思えるのか?」と自分に尋ねると「意識を失うほど疲れて倒れた時」という答えが返ってきた。

前回私が子どもの泣き声に苦しくなって倒れて気を失ったことを書いたが、私の潜在意識がそういう現実を引き寄せてしまった、という見方もできる。日常生活が不能になって寝たきりになったのも、同じかもしれない。

そこまで理解してようやく、もうこの「私は頑張り続けなければならない」という信念体系は手離していいと思えた。
 
 
他にも「私は母を守らなければならない」「母と同じ人生を歩まなければならない」「私は犠牲にならなければならない」「自分を明け渡さなければならない」「私は劣っている」「私は苦労しなければならない」などの色々な信念体系があった。私はそれらを一つ一つ納得して理解し、過去の傷付いた感情も癒しながら、手離していった。
 
 
そういう作業を、ほぼ1年かけてひたすら続けていった。

潜在意識レベルで手離したとしても、私の頭や体には長年の考え方と行動が染みついてしまっているため、その軌道修正も必要だ。そちらの方が努力も時間も必要で、今も続いている。私は「考えること、話すこと、行動すること」に注意し、今までのようにネガティブに捉えるクセが出てきそうになったら考える方向を変えたり、気を逸らしたりしながら、頭と体にも新しい思考と行動を覚えさせるため頑張っている。
 
 
そのために頑張っていることが、もし同じように苦しんでいる誰かの参考になればと思い、書いてみる。

①自分を誉める・・・慣れていない人は非常に難しい。どんなことでもいいので誉める。買い物に行った。郵便を出した。料理をした。鉛筆をしまった、開けっ放しのドアを閉めたとか、とかどんな些細なことでもいいので、やったことを無心で書き出し、できたことにマルを付けて誉める。頭の中で誉めててもあまり響かないので、書くのがポイント。

②ネガティブな思いがもたげてきたら「今ここ」に集中する・・・私はゲシュタルトセラピーも相性が良かったが、そこで勧められていることの一つ。モヤモヤしていて、そのモヤモヤが生産性がなく整理しても意味のないモヤモヤである場合は目の前に見えること、聞こえること、肌が感じることなど、「今ここ」で感じることを頭の中に並べる。「コップがある」「人の声が聞こえる」「なんとなく肌寒い」とか。これはゲシュタルトセラピーではないが、無心で「ありがとう」を繰り返し、数を数えていると脳がα波になると聞いた。ネガティブなこと思いは飛んでいくし、集中力が増すので良い。

③ネガティブな行動をしそうになったら・・・明らかに過去の自分の影響でネガティブなことをやらかしそうだなと思ったら、自分の周囲にいる自分の好きな人(自己肯定感の高い人がいい)だったらこの場面でどう振舞うだろう? と考え、その人になり切って行動してみる。普段の自分と全然違う自分になって行動できて面白かったりするし、新しい回路を自分の中に発見したような感覚がある。

④休む・・・自己否定する人は自分で思っている以上に疲れている。何しろ24時間365日、ずっと自分が自分を否定するのだから。疲れたと思ったら、とにかく休む。寝るだけでなく、好きなことをするとか、嫌なことはしないとか。

ただ、これらのことは信念体系を見つけ、手離すことと同時にやっていった方がいいだろうなと思っている。②や③は下手すると過去の傷を見ないようにして押し込めてしまう場合もあるかもしれないので。
 
 
昨年の冬ぐらいに、私はようやく出歩いたり、料理をしたりできるようになってきた。子どもと遊んだりもできるようになってきた。

初めての育児で頭が混乱することはしょっちゅうだが、以前のように子どもの泣き声に自分の幼少期の傷が重なったり、自分でないものに乗っ取られて頭がおかしくなりそうな感覚はほぼなくなりつつある。
 
 
私は親しい医師からの紹介ということで一つのヒーリング手法と出会ったが、これは人によって相性のいいものであれば、カウンセリングやコーチング、心理療法や行動療法、各種セラピー、なんでもいいと思う。ただ一つ、その医師からも言われたが、中途半端でなく徹底的に勉強することは大事だと思う。中途半端だと知識も行動も中途半端になってしまうので、自分の心と体を変えていきたいと思うなら、その道のプロを探して徹底的に勉強することが大切だと思う。
 
 
 
つづく

<<前の記事:産後、何が、なぜ大変になるのか?⑫子どもの泣き声、私の心の傷    腰痛は30年来の“勘違い”のせいだった!:次の記事>>

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://lohasmedical.jp/mt/trackback/3280

コメントを投稿


上の画像に表示されているセキュリティコード(6桁の半角数字)を入力してください。

 

コメント