和田秀樹×中川恵一の がんでもボケても

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2006年07月18日 13:56

がん医療、老年医療に携わってきた2人が、
日本人の心のあり方に斬り込む連続対談。
今回は、「いつまでも若く生き続けたい」
価値観に、一石を投じます。


●第3回 老いとたたかうのか 受け入れるのか

中川 前回は、マネー敗戦を契機に日本人の価値観がアメリカ的二元化を見せはじめ、死生観でも生か死か、どちらかしかなくなった、という話をしました。そのころから日本人は徹底的に死を避けるようになった。今日例えばがん患者さんの93%くらいが病院で死を迎えるわけですが、昔は自宅での臨終が普通でしたから、死というものが生活のすぐ隣にあったんですが。養老孟司氏のいう「自分が死なない感覚」「変わらない感覚」つまり70歳や80歳になっても今と同じ自分があるような感覚が現代日本人には確かにある気がします。

和田 だから近年盛んに聞かれる「老い」の問題は「たたかう」が基本スタンスなのです。アンチエイジング、しわ伸ばし、脳を鍛える、とかですね。「いつまでも若いね」と言われるのが良いことであって、「いつまでも若くありたい」とみんな願っています。反対に、老いを受け入れるスタンスが弱くなっている。もの忘れが出てきても、「もうこれでいやな事を忘れられる」など、老いを前向きに受け入れることを公言して脚光を浴びた赤瀬川原平さんの『老人力』も、マネー敗戦以来の若さ至上主義に押し切られてしまった。

中川 がんも同じような問題があります。前々回お話したように老化の1種でもあるので、罹患率は高齢になるに従い高まるんですが、「いつまでも若く」「いつまでも生き続ける」みたいなアメリカ的価値観から、どんな高齢の人でも「最後まで諦めないでがんと闘う」、というのが当然のようになっています。私が持っているのはアメリカのデータですが、近年抗がん剤の売り上げがどんどん伸びて、いまや2兆円という規模になっている。ますます命がお金で買える時代、お金があれば一日でも長く生きたいと考えるようになっているんですね。ただ、例えば昨年春にテレビで取り上げられた1ヵ月40~50万円かかる分子標的治療薬など、個人輸入されて使用されていますが、実証されている延命効果は12日です。もちろん1日でも長く生きることは悪いことではないですが、やはりその意味は良く考えたほうがいい。

和田 今の世の中の風潮だと抗がん剤も導入しないことは悪であって、「月に40万もかかって12日しか延命できない薬に社会保険を使うなんてとんでもない話だ」なんてテレビで言おうものなら即「非情」とレッテルを貼られてしまう。それがむしろ「正しい」とされるような事態になっているんです。

中川 日本人は八百万の神を受け入れていたくらいもともと柔軟性のある精神性を持っていたはずなんですが、そういう日本人の懐の広さが失われてきた結果、「死ぬまで抗がん剤」みたいになっている・・・・・・。

和田 「がんと闘う」のはいいけれど、「一生闘う」「なんとしても闘う」ってなってくるとね。バランスですね。結局、死や老いを受け入れる時期を遅らせるのはいいけれど、いつかは受け入れなければならないものですから。

中川 がんに関しては死と向き合い考える機会となるようで、そういう意味で、がんは人生を高めるとも捉えられるかもしれませんしね。

和田 老いの受け入れについては、やはりプロセスの考え方が重要になってくるんです。例えばアメリカのレーガン元大統領が退任の数年後にアルツハイマーを告白しましたが、彼が在任中にすでに発症していた可能性もあるし、少なくとも脳に何らかの変化が出ていたに違いありません。ということはつまり、アルツハイマーであっても大統領執務が可能な能力を残していたことになります。

中川 つまり、アルツハイマーかどうかという問題というより、老化のプロセスにあるかどうか、そのプロセスのどの段階にあるか、というほうが肝心なんですね。

和田 ええ。しかもある日突然に自分の状況を認識して、それが受け入れられないとなったら、これはなかなか大変ですから、段階を経て老化のプロセスが訪れることへの理解と自覚ができていることが大切なんですね。

(ロハス・メディカル7月号より転載。間もなく病院配置の始まる8月号に第4回掲載)

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