戦争シネマ

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年01月20日 00:12

かなり乗り遅れ気味ながら、
本日『硫黄島からの手紙』を見ました。

戦争映画は苦手です。

医療ドラマの人体解剖や手術シーンなら全く平気なのに、
戦闘シーンの生々しさと残酷さは目を覆いたくなります。

昔は、戦争映画(『プラトーン』だったかな?)を最後まで見ることができなくて、
途中退席して(ついでに帰ってしまった記憶が・・・)
当然、同伴者は猛烈に怒っていました。

今日は一人です。(レディースデイで午後の時間は女性ばかりでした)

結局、
後半の日本軍のおびただしい数の死が重ねられるシーンのほとんどを、
目を閉じていました。
耳に爆弾やミサイル、銃の発砲音が生々しく響きます。

それでも、ついに最後まで劇場にいて、
戦争の不条理と、国のために戦って犠牲になった若い兵士や家族の苦悩に国境はないこと、
勝ち負けも関係なくむなしさだけが残りました。

ご紹介いただいた、
国際ジャーナリスト田中宇氏から配信されるメルマガを拝読して、
自国称賛の米国歴史観を強く感じた直後だったこともあり、
アメリカ人、クリントン・イーストウッド名監督が誠実に映画化されたことに
改めて称賛と敬意の念をだきました。
本来なら日本人自身の手で作られるべき映画かもしれないことに複雑な思いです。

作られた方の国籍にこだわるよりは、
戦場の事実に目を背けてはいけないとも思いました。

でも、
やっぱり私には極度の緊張で、心拍数が高いまま、
肩に力が入りすぎたようで、
めずらしく肩凝りしてしまいました。

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コメント

映画、硫黄島からの手紙、ご覧になられたご様子、私は何故か昨年この映画を観終えた後、ドキュメントの再現のように感じられ、
なるほど、それだけを強く感じたのを記憶しております。
米国資本が制作した映画として今までに無く公平で日本人としては観よかったと思います。
物語性をあまり盛り込まなかった性かも知れません。
ドキュメントの再現なら米国での非難も避けられるはず、、、。
しかし硫黄島の戦闘の始まりから終結までを2時間30分で映画化するのは至難の業で有ると思えます。
個人的な感想としては硫黄島における将兵の
苦難の真実はとても描ききれてはいないと思います。
地熱が高く、摂氏49度にも達し、地下足袋の底のゴムがとけたと聞いております。
兵士は時に防毒マスクをかぶってツルハシ、スコップで掘りますが、一回の作業時間は3~5分、とてもそれ以上は続ける事が出来なかった様です。
半日働くと余程体力が優れた兵隊でも残る半日は激しい頭痛と闘い、足がふらふらと、もつれたと有ります。

栗林中将本当に優れた軍人だったと思います。戦史に例が無いほどの過酷な戦場で困難を乗り越え、兵を指揮し、あれだけの戦闘結果を後生残された事、
ただただ頭が下がるばかりです。
戦場に於いては指揮官の優劣が即、部隊の生死に関わって参りますから、非情ですね。
日本陸軍にも海軍にも優秀な人材、指揮官は沢山おりましたが、
年功序列、適材適所を忘れ、愚の戦いをしてしまったと思います。
悲しいことですが昔も今も変わらない。それがこの国の現実です。
映画には多少時代考証に手落ちを感じました。
真木先生の時代考証にも手落ちが有りましたぞ。
雲の上におられる栗林閣下に電話を致しました所、
ミサイル、それは何か!?と問われました。
当時の戦では艦砲(艦砲射撃)艦船からの砲撃が主力、漢方ではありませんぞ”
で有って、私は知らん!とのことでした。

ちなみに米軍に於けるミサイルの実戦配備は1974年以降、R-36Mが最初、海軍は1980年BGM-109トマホ-クの試射が最初の様です!!

昭和16年、太平洋戦争開戦前夜、総力戦研究所で既に日本完敗の研究結果を得ながら、あの戦争に突入した当時の軍部、政治家、官僚、正直なところ何を考えていたのか理解できませんね。
反対すれば殺される。
政治家はテロを恐れ、御身大切を決め込んだ分けです。
無責任も甚だしい。

サイパンの陥落後、B29の渡洋爆撃と援護用戦闘機の基地に米軍は硫黄島がどうしても必要、また日本から完全に制空権を奪う事が目的、
この辺りで戦の幕を引けば沖縄の悲劇も、広島、長崎の悲劇も起こらずに済みました。

太平洋戦争を振りかえって、米軍が日本軍よりも多大な損害を出した唯一の戦場が硫黄島です。
日本軍の戦死者一万九千九百人、米軍は海兵隊三個師団だけでも死傷者二万五千八百五十一人と有ります。
ちなみに栗林忠通中将は当時53歳でした。

私たち国民は現在平和な時代に生きておりますが、かっての先人達が純粋な気持ちで、どれだけの犠牲、苦労、命を失いながらこの国を守ろうとしたか、
深く考えてみる必要を感じます!!

真木様

苦手なものを耐えてご覧になった価値はあると思います。

日本史の教科書では
「硫黄島守備隊玉砕」の
1行で片付けられてしまうものの背後に
あれだけの人たちの血が流されていたこと
その原因は天災などではなく
紛れもなく人災であること
そして性懲りもなく
また同じ事を繰り返そうとするアホどもがいること
そんなことを様々に考えさせてくれたと思います。

>m,n.様
一度大きな力が動き始めてからでは
誰も抗えなくなる怖さを歴史は教えてくれると思います。
だからこそ
今踏ん張っておかないと、後からでは遅い、と思っています。

川口さま
そうですね、その通りだと思います。
長一流とされている日本の官僚、各界の指導者、あれほど愚の集団は有りません。
自分達は特別な人間と錯覚している辺りから愚で有ることを学ばせる必要を感じております。

超一流に訂正願います。

>m,n.様、川口様

コメントをありがとうございます。

日本史の教科書一行、
私は昨年まで「硫黄島」という地名がどこに位置するかも知りませんでした。

本日、地質標本館で、偶然に薩摩の硫黄島の火山の風景を見て、その美しさに感慨を新たにしました。

私にとって二時間半は、精神的にかなり長いものでしたが、まだまだ不十分な内容もあったことを、m,n.様のお教えから、存分に学びました。

平和と豊かさ、便利さに胡坐をかくような生活をしているから、
ミサイルがいつ使われるようになったのか、それが何かも理解していない無知を暴露してしまいました。
(スクリーンも見ずに、判別以前の問題ですが・・)

お恥ずかしい限りです。
雲の上から栗林閣下は、
「こんな奴には見てもらいたくない」とおっしゃっていることでしょうね。

ご指摘とご丁寧な解説を誠にありがとうございました。

先のコメントで、

薩摩の硫黄島は、小笠原諸島の硫黄島の誤りです。

地名がどこに位置するか、
真に理解しておらず、重ねて申し訳ございません。

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