ピアノリサイタル

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年04月08日 22:44

日曜日の午後、
夫と娘は、つくばノバホールで開催された
ピアノリサイタルに行きました。

ピアニスト熊倉千佳子さんは、
昨年トントンが初めてピアノコンクールに挑戦したとき、
お向かいのピアノの先生のご友人で、
課題曲の仕上げにレッスンを受けた先生です。

トントンは緊張しながら、
いつになく真剣そのもので
レッスンを受けました。

なぜ、今回ご招待券をいただいたかというと、
ピアノの先生は、ご子息の大学入学式で、
先週末から徳島に行かれているからなのでした。

上のお嬢様は東京大学在学中、
ご主人は東京で私大の先生で、

誠にお節介ながら、

東京に引っ越されてしまうのかなあ、
そしたら寂しいなあ、
トントンのピアノはどうするかなあ

と気をもんでいます。


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コメント

昔をふと思い出しました。
自分の高校時代また大學時代を考えたとき、
子供の入学式、卒業式に親が顔を並べる様になったのは何時の頃からかと、!?

中学時代の卒業式にも確かに親が数人来ていた記憶が有ります。

私は神奈川県の県立高校でしたが、入学式にクラスに一人、母親が来ているのがいて、あいつ、母親と来たのかと、なんともみっともない。恥ずかしさを我が身の様に感じた記憶が有ります。

校風とか環境を知りたいなら他の方法も有りますし、、、。
親も子も恥を知らない。時と場所を心得ない。

大學の入学式に親が出席など物笑いに思えますね。

確かに小学校の入学式は母親と一緒に行った記憶が有ります。
それは未だ子供が幼く危険であること、事務連絡が取れない。

その後、中学以降は大學を終わるまで勿論、皆が一人でしたね。

それなりの高校に入った連中の多くはもう自分は大人であると認識し、行動も致しました。

日本人はいつ頃から、これ程までに幼稚になってしまったのか、分かりませんが、
親離れ、子離れが、何ともお粗末な昨今、昔の日本人の方が遙かに早く大人になっていたのだと改めて認識させられました。

昨日、民放で男達の大和と言う映画を放映しておりました。
15歳で軍隊に志願して行く少年達、挙手の礼を親におくり一人、戦の庭に出て行く、、、。

大学生の入学式に親が連れそう、正直、信じられぬことと今でも考えております。

此処で友人に一応、電話で確認、お前の所、大學の入学時に親が一緒に来てたか。
いや、いなかったな~との返事。
この男、その後、公立大学の教授で退官。
昭和四〇年代半ばに入ってから、親が大學の入学式の時に顔を出す様になったとか、、、!?

昨今は大學を卒業、社会人になった企業先の入社式にまで一緒に出掛ける馬鹿親がいるらしい。

知識を身につける事は大いに宜しいが、平行して精神的にも大人なって頂きたいものです。

こんな話しを聞くと具合が悪くなりそうですね。
一億総白雉、本当なのですね。
子供の入学時にどの年齢まで親が付き添うか、多分そんな事でも、その国の国民の自主性、独立性、知的能力が分かるのでは!?

真木先生、こんな人達に効く薬、ご存じですか!?

昔をふと思い出しました。
自分の高校時代、また大學時代を考えたとき、
子供の入学式、卒業式に親が顔を並べる様になったのは何時の頃からかと、!?

中学時代の卒業式にも確かに親が数人来ていた記憶が有ります。

私は神奈川県の県立高校でしたが、入学式にクラスに一人、母親が来ているのがいて、あいつ、母親と来たのかと、なんともみっともない。恥ずかしさを我が身の様に感じた記憶が有ります。
勿論その友人も恥ずかしそうにしておりました。

昨日、民放で男達の大和と言う映画を放映しておりました。
15歳で軍隊に志願して行く少年達、挙手の礼を親におくり一人、戦の庭に出て行く、、、。

昭和四〇年代半ばに入ってから、親が大學の入学式の時に顔を出す様になったとか、、、!?

文化が変わってしまったのですね、

昨今は大學を卒業、社会人になった企業先の入社式にまで一緒に出掛ける親がいるらしい、、、。

親も子供も揃って大人になり切れない。
冗談の様な本当のお話し。

それより、何より、リサイタルの招待券だけは本当に余録でした。

>m、n.さま

コメントの反映に時間がかかったことと、メールにコメントが届かなくなり、今気づきました。

申し訳ありません。

就職希望者本人ではなく、親が(子の)履歴書を送付したのを何件も受け取りました。(人事をやっていたとき)

過日、専門学校の入学式にも保護者が大勢参加なさっていました。

確かにチョット変ですね・・

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