一病~リウマチ~息災徒然ノート28

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月17日 20:51

生物学的製剤の登場2

医療機関で仕事をした経験は、
病を抱える自分にとって
貴重な財産になりました。


医療界を取り巻く厳しい情勢下で、
リウマチの私を雇い、
傍らにおいて導いてくださった院長には、
尊敬と深い感謝の思いでいっぱいです。


院長は私の入職当時から、

リウマチであることを病院で言うな

と言っていました。

この意味がよくわからずにいました。

例えば

勤務していた病院の
整形外科部長のご専門は手関節でした。

私が医局会議の机を配置していた時、
普段そういうことは決してなさらないのですが、
自ら机を運ぶのを手伝ってくださったことがありました。

「先生、大丈夫ですよ」

と申し上げたら、

「だって、
真木さんのリウマチが悪くなるでしょ、、、」

と突然言われ、
そんな話一度もしたことがなかったので、

「どうして?」

と思わず返すと

「そんなの、一目瞭然でしょ」

この言葉に、
落ち込むと同時に、
妙に納得してしまいました。


勤務中、リウマチについて
自分から進言することはありませんでしたが、

3年が経過して、

院長の言葉の意味が、
少しわかるようになりました。


病院には、
深刻な状況で仕事をしている
医療従事者が大勢いました。


胃癌の大手術を克服した看護師長、

腎臓疾患による人工透析治療を受けながら執務する事務管理職、

膠原病と闘いながらメディカルフィットネスチームを束ねていたマネージャー、

4人の幼子を育てながら激務をこなす婦人科医師、

脳性麻痺疾患の子を含め
十指に余る扶養家族をかかえてリストラにあい、
畑違いの病院で黙々と働き続ける事務職員、

認知症の親を介護しながら仕事をするリハビリスタッフ、

複数の癌を罹患し手術を繰り返しながら、
なお臨床現場で活躍する医師、


自由な時間や健康に飢えても、
苦難が立ち塞がっていても、
生命への謙虚な姿勢と感謝、
生きるエネルギーに満ち溢れている人たちが

そこにはいました。


リウマチの自分は特別じゃない、
たとえ『身体に癌がある』
と告知を受けて、
病と共存する余生を
深く刻みこむ事になっても、

それも特別じゃない、

確かに、
自分の命に限りあることを実感することは、
誠に怖くて恐ろしい、

でもそれは
特別不幸でも、
特別幸運でもない、

すべてがごく自然なことで、

それは私の個性のひとつに過ぎず、
自分はオリジナルでユニークな人生を
生きるだけ
と淡々と思えました。


そんな医療従事者に囲まれていた安心感が、
再度の入院や
リウマチの悪化を防いでいたのかもしれない
とさえ思えます。


でも、このような恵まれた環境で
仕事をさせてもらっていたことに
気づいたのは
病院の仕事を離れて二年以上も経ち、
振り返りながら体験記を綴る
今になって、
ようやっとです。

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