緩和医療と無知

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2008年05月31日 00:21

筑波大学の「医療と現代社会」という公開講座に欠かさず出ています。
週1回夜間2時間、8回シリーズの5回目まで終了しました。

受講生は毎回10名前後、医療関係者が多いです。
乳がんのトピックスや抗がん剤治療の講義を経て、
一番新しいテーマは、『安楽死と尊厳死』そして『緩和医療』でした。

『安楽死と尊厳死』では、
本人事前意志が不明確なまま口から栄養をとることが困難になった場合、鼻から管を入れて流動食を入れるか、胃ろうからの栄養を考えるか、その判断と今後の方針を、家族になったつもりでロールプレイしました。

今回は、20年来糖尿病を患っている男性が、コントロールが悪く腎障害と慢性腎不全と診断された場合の、本人と家族の状況をグループ演習で考えました。
最初、なぜこのケースが『緩和医療』と関連するのか理解できなかったのですが、透析の説明を聞くにしたがい言葉が出なくなりました。


かつて病院人事の業務に携わっていた時、障害者雇用の就職説明会で就業希望の透析患者さんとお話をしたことがありました。(結局ご縁はありませんでしたが)

そして、一年前「透析を始めたから少し楽になった」というお世話になっている方の言葉を、
「ああ、そうですか、、」と何気なく聞き流していたことを思い出しました。


自分が患っている関節リウマチに関しては、治療法や投薬、あるいは痛みについて、少しはわかるつもりでいたけれど、今まで関わったことのない疾患についてはまるで無知、無関心だったことがとても罪深く、恐ろしいことのように感じて、本筋の内容に発言ができなくなりました。

リウマチについて、励ましや、慰めの言葉が、時として鬱な気分に拍車をかけました。
健常者への僻みや、まわりの気遣いを素直に受け止められない自分が嫌でした。

でも、もしかしたら私も同じことを知らず知らずしていたのかもしれないと、
そんなどうしようもない後悔に苛まれた講義でした。

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