インターベンション学会報告(6)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年07月11日 12:10

6番手は、お待たせしましたの小松秀樹・虎の門病院泌尿器科部長。


「医療を再生するにはどうしたらよいのか、しょっちゅう考えている。時間の都合でごく一部だけ触れる。医療の問題の主たる原因は死生観、人が共生するための思想など医療をめぐる考え方の齟齬に行きつくと考えている。今日のキーワードは、「規範と現実」。

まず最初に、規範と現実をめぐる社会システム間の齟齬について述べる。ニクラス・ルーマンという社会学者は社会システムを大きく二つに分けた。規範的予期類型、司法・政治・メディアなどと、認知的予期類型、医療・工学・航空など。規範的予期類型はものごとがうまくいかない時に、その原因を外部に求め、相手を変えようとする。認知的予期類型では、うまくいかないことがあると研究や試行錯誤を繰り返して、自らの知識・技術を進歩させようとするか規範そのものを変更しようとする。違背にあって学習するかしないかが違いとルーマンは述べている。短期的には合意の得やすい規範的予期類型が優位になるけれど、長期的には適応性の高い認知的予期が優位になって社会における存在感を増すということ。

このことは演繹と帰納という言葉でも表現できる。法律家やジャーナリストは、規範から演繹的に物事を判断する。科学者は仮説を証明するために、適切に選択された対象を適切な方法で検討して帰納的に仮説が真かどうかを検証する。科学的真理の表現方法、精度、限界は方法に依存している。ルーマンは、学門がその理論の仮説的性格と真理の暫定的な非誤謬性(?)によって安んじて研究に携われるまで学問研究の真理性は宗教的に規範化されていたと述べている。科学的真理は永遠に正しいわけではなく、このために研究が続いていく。

司法やメディアは科学的真理の暫定的非誤謬性という醒めた見方を共有できないため、黒か白かをむりやり決めようとする。いったん決まると、それが前提になって未来を縛る。さらに規範が適切かどうかを現実からの帰納で検証する方法と習慣を持たない。このために規範が落ち着いたものにならない。

最初の原則論。基本原理を規範ではなく現実認識に置くべきと思う。制度設計は人間の特性と現実を踏まえて実行可能性と結果の有用性を基準に行わなければならない。規範については、正当性の根拠を過去の倫理的規範との論理的整合性ではなく、社会にもたらす結果に基づくべきと思う。このためには当該規範に強制力を持たせる前に、どのようなことが起こり得るのか徹底的にシミュレーションする必要がある。そもそも数百年も続くような丈夫な規範はない。制御を組織化(?)すること自体、信じられない。

原因そのものは医療費。1980年代以降の医療費亡国論による徹底的な医療費抑制策で2005年には日本の対GDP比医療費はOECDでデータのある27カ国の中で22位。医療費と国民の要求が乖離していると思っている。低い医療費がもたらした過酷な労働条件と無茶な要求の規範化が医療現場の士気を奪っている。医療費を抑制したままで、一部の疾患や特定の階層に対する保険診療の制限を行うことは理論的にはあり得る。後期高齢者医療制度や重症者リハビリの切り捨てがこれにあたる。なかなか一般国民には受け入れられない。政治的混乱を現にまねいている。私は、日本の文化度からいくと、医療費はもう少し引き上げざるを得ないと思っている。

昨年の一般会計では、歳出は社会保障費と国債費でそれぞれ4分の1、地方交付税を加えるとほぼ70%。高齢者人口が急速に増えていて、社会保障給付は毎年1兆円増える。公共事業、医療、教育、防衛はそれぞれ数兆円に過ぎず、社会保障費の増加分をこれらの分野の節約で補てんするのは限界に来ている。しかも国債が大量に発行されている。公共事業で何とかならないのかという人たちがいるけれど、これも急速に減っている。減額には産業構造の変革が必要。最近5年間で建設業の就業者は126万人減っている。この減った人々は新しい職業に就かないと生活が成り立たない。これ以上の減額を行うと犠牲者が出る。建築とか運輸は自殺率が極めて高い。犠牲者が多数出るとなれば政治的に無理が生じる。

175兆円に達する特別会計の節約で医療費を捻出できるという意見もあるけれど、全体として日本の国民は負担をしていない。OECD諸国の中で租税負担率は下から4番目。日本より下位のアメリカ、メキシコには一般国民の参加する公的保険制度がない。日本は、あまりにも小さな政府になり過ぎている。給付には負担が必要ということを認識しないといけない。政府が小さすぎるために様々な分野に歪みが生じている。高等教育費用の総額はOECD諸国で下から5番目。しかも公的支出が少なくて5分の3は私費負担。要するに親が負担している。これは日本で貧困が再生産されるようになったことを示している。

医療への支出を増やすためには主財源である保険料を引き上げないといけない。しかし、国保の保険料が払えずに無保険になる人が急増している。そもそも国保の加入者は社会的弱者が多くて財政的に無理がある。保険者間での財政調整には組合健保側から強い抵抗がある。保険料引き上げによって起こる諸問題を租税によって調整せねばならず、増税が必要だと思う。取れるところはどこから取ってもいいと思うが、バランスよくやらないと企業の課税を強化しすぎると産業と職を下手すると国外へ追いやることになる。その意味で確実な財源として、消費税引き上げは避けられないと思う。低所得者に関しては負担が給付より重くなる(?)ので低所得者にとっても有用なことと思う。

次に厚労省改革について述べる。厚労省は実情を認識するための努力を怠っている。また責任回避と組織拡大の性癖を強く持ち、このために実行不可能な規範の網をつくって現場に無理を押しつけている。厚労省の規則を全部ちゃんと守るのはかなり難しいと考えている。

たとえば医療機器。医療機器市場は急速に成長しているけれども、日本のシェアはどんどん下がっている。これは日本では治験段階から完全な本生産設備の整備を求められるなど実質的な国内での開発が極めて困難になっている。ほとんど不可能と言ってもいい。医療機器開発に対する厚労省の立場をある課長補佐は『私どもは国民の安全のために審査するところであり、産業振興育成は経産省の仕事と思っています』と表現した。自分たちの責任を問われないようにするために、医療機器を開発させないと言っているように聞こえる。科学技術戦略推進機構の調査で、企業の医療機器開発への参入意欲が低いことの背景に行政の不許可非承認などの阻害要因を強く感じていることが示されている。似たようなことが国交省にもある。耐震偽装問題に対する過熱報道のために建築基準法が改正され、あまりに厳格なため住宅着工が半減した。多くの建設会社が倒産した。建設費を押し上げたために日本の風力発電は壊滅状態になった。昨年度のGDPを0.3%ぐらい押し下げたとの推計がある。

規範優位の日本の官庁の制度疲労が表れている、一部では限界に来ていると私は考える。日本の官庁が、リスクがあってはならないとの無茶な論理にすり寄り過ぎていると思う。医療政策に大きな影響を与える医系技官の大半は実質的に医師としての経験がない。医療の言語論理体系を理解していない。社会制度についても体系的に学んだわけではなく規範を振り回しすぎるきらいがある。チェックを失った国家機関がどれほどまで有害になりうるのか歴史的視点を持っていない。国交省と同様の危うさがある。

厚労省の果たす役割について徹底的な見直しが必要と思っている。厚労省の動きは壊れたロボットのようにギクシャクしていて触れたものを壊す。官には引き受けるのに適したことと適さないこととがある。現場の医師が何を望んでいるのかを細かく調査して長いスパンで対応するような方策を取らない限り、僻地への医師派遣はできない。これは当該地域の病院の人事権の一部を掌握していないとできないので、官にはできない。その地域における広い合意と調整が必要になる。医師の定員を東京と北海道で同じにして、その違反を糾弾して取り締まることが正しい医療政策とは思わない。厚労省が全国一律に支配するのではなく、それぞれの地域の実情に合わせた対応ができるよう可能なものは地域に任せる、あるいは権限を分けるべきだと思う。

現場から厚労省の行政をチェックできる制度が必要だと思う。チェックのない権力は必ず制度を壊して腐敗する。ある知人の意見。医療問題オンブズマン制度のようなものができれば、社会保険庁問題のようなデタラメはもっと早く気づくはずだとのこと。厚労省の施策を現場からのチェックで現実に即したものにできる。厚労省にとってもクレーマーからの攻撃を直接受けることがなくなる。厚労省がメディアの無茶な論理に同調することを防いで正論を守ることが期待できる。官にはできない公的活動ができれば大きな役割を果たせる。この団体の中心には重要な情報を広く集めて提供する情報に特化した組織が必要になる。厚労省の持っている統計情報や実務情報のようなものを、もっと政策立案に使えるように加工前の状態で専門家が使えるようにすべきと思う。

現場についての認識の甘さは医療行政のシンクタンクとしては致命的。また日本の医療の現状は国家的危機であり、厚労省のみで対応できるようなものではなくなっている。官には官ゆえの限界があり、しがらみが制度の機能を阻害する。医療政策の大方針を立案する、官の限界としがらみから自由な専門家集団が必要とされている。これに関して現在注目していることがある。それは、日本医師会が5年以内に終焉するということ。

公益法人改革によって現在の組織は5年以内に新組織に移行しなければならない。公益社団法人か一般社団法人かを選択する。公を選択するか私を選択するか明確にしなければならない。これは大きなチャンス。公益社団法人は不特定多数の利益の増進を図り、会計を含めて活動が監視でき公平な参加の道が開かれ、社員は平等の権利を有し、特定の個人やグループの恣意によって支配されてはならないと規定されている。代議員制度は法律上取れない。会長選挙も不可能。特定政党への献金は継続できない。日本医師連盟とは併存できない。勤務医を第二身分に置くような制度運用はできない。

公のための医師組織をつくるチャンスと思う。すべての医師を束ねて自らを律し、ひたすら医療を良くする事に徹し、私を主張しない。私を主張するには別の組織をつくればよい。そのような気位の高い組織が必要と考える。これが創設されると、医療をめぐる諸問題の解決が容易になる。

医師の資質向上のためにピアレビュー、適性審査まで踏み込むべきと思う。これをやるためには医療における公、特に院外でやる公的公益活動というのはどういうものかについて大きな議論を起こして、今後の日本医師会に指針を外から与えることをやったらいいと考えている」

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コメント

川口さん、いつも有難うございます。

小松先生の発言はプリントアウトして、12日上京するときの飛行機の中で熟読いたしました。

さすがは師匠(と勝手に思っている)、格調高いだけじゃなく、超強烈です。誰かさんとは違いますね。

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