終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2008年07月29日 22:45

今日は三年生の特別演習授業でした。

テーマは、「終末期医療」について。

脳梗塞により意思疎通が不可能、寝たきり状態で、嚥下障害がある88歳男性の家族(息子や娘)になった想定でグループ演習しました。

話し合いで出た意見の一部です。

「苦しむ姿は見ていられない。自分なら延命治療は受けたくない」
「それでも生きていてほしい、そのままでいいから」
「仕事を休んで介護する」
「医療費がかかりすぎ。親といえども自分(と家族)も生きていかなくてはいけないので負担しきれない」
「受け入れ先はあるのか?療養病床が満床だったら、家で看るしかないのか」
「胃ろうをつくると、老人保健施設へは入所できない」
「患者の推定意思は、たとえ家族でも、事前の文書があったとしても、その状況になった本人の気持ちはわからないのではないか」


そうだねえ。  むずかしい。   困った。

でも病院には同様の患者と家族が溢れているし、自分達もいつその当事者になるかわかりません。
身寄りの無い高齢者もいます。
在宅へ看取りの誘導は、「老老介護」の負担を担わせることになるかもしれません。
高齢者の自己負担が増加し、必要な医療が受けられない人がいます。
重症化して受診すると医療費はより嵩む悪循環です。
包括払いが拡大すると、患者に転退院を求めざるを得なくなります。行き場に困る患者がいます。
医療機関側が、緩和ケアを充実させたくても、精神科医師の不足や見合わない診療報酬から取り組めない病院が多い現実です。
たとえ、緩和ケア病棟があったとしても、がんとエイズの患者さん優先。
高齢者の半分以上が、がん以外の疾患で亡くなっています。
その人たちの終末期医療はどうするのでしょうか?

そもそも終末期の定義って何でしょう?

『終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン』が公表されて、一年あまり。
全文を読んでみて、評価できる点は?問題点と今後の制度への期待は?

ちょうど今月初めに、後期高齢者医療制度について、保険料徴収の仕組みや、「かかりつけ医」制度、(中村利仁先生の“人頭制”のご説明は、とても参考になり勉強させていただきました)、
今月から凍結している終末期相談支援料についてなど勉強した直後です。


誰もが苦しみのない自分らしい幸せな人生を全うしたいと願っているけれど、
限られた医療資源の中で、その実現への足ががりは、ありそうだと思いますか?


2時間、グループ演習以外は問いかけばかりで、

「医療が一部進化しすぎたことが不幸な結果をもたらすことにも、なっているのですか?」

学生から、そんな質問も出始めて、
消化不良気味のところ、

映画を推薦して終わりました。

安楽死について、
筑波大学の講義で薦められた【海を飛ぶ夢】です。

人間らしい尊厳ある死ってどういうことなのか、深く考えさせられる映画です。

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コメント

最近の新人と接すると、いったい学校でどのような教育をうけてきたのだろう?と驚くことが多いです。
このような授業を広く医療教育に取り入れてもらいたいものです。

医事課勤務者様

コメントありがとうございます。
自戒をこめて思うのですが、伝えたいこと、考えてもらいたいことと、実際の受け止め方は大きく違うと痛感します。
実は翌日、「医事課に勤務するのに、医師や看護師の問題を勉強する必要ないですよね?」と学生のホンネにちらっと触れて、ああ、何も伝わってないなあ、と落ち込んでいます。

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