臨床研修検討会2(2)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年10月18日 05:03

少し余計なエントリーを書きすぎたようだ。
検討会に戻って、討論から。


辻本
「素朴な質問。大学病院がだいぶ被害者意識を持った発言に聞こえた。では、なぜ大学病院が研修医に嫌われたかについては、どう考えているのか。昔、大学病院の人から、病院の中で偉い順に、婦長・看護婦・医師・プロパー・犬猫ネズミに研修医という言葉があると聞いたことがある」


今井
「よく言われていた話だが、大学は教育と研究と診療をすることになっているけれど、それを担っているのはほとんど全部同じ人間だ。だから人員的に厳しい。看護師もトレーニングしなきゃいけないとか、普通の病院とはかなり異なる。それから雑用が多い。クラークがほとんどいない。先ほども高等教育費が少ないという話があったけれど、大学も予算が厳しい。結果的に人が足りない中で研修医が最下層でやらなければならない。そこに対する反発は当然あるだろうし、時代が変わって研修医のものの考え方も変わった。もっといい所でやってみたいと思うのは自然なことで、医局だけで元に戻すのは無理だ」


富田
「わたし自身、大学病院から逃れたい逃れたいと思いながら教授になってしまった身だ。思い返してみれば、先輩たちは手術は教えない、見て盗めというスタンスだった。つまり医師となった以上自ら学び取るんだ、教わるんじゃないということ。犬猫ネズミより下というのはブラックジョークであり、犬猫ネズミを研究材料として使い、その成果で医療を行っているんだから、そのことを理解していれば、まだ自分たちは犬猫ネズミよりも役に立っていないという謙虚さが必要。それをそうやってジョークにしてしまう浅はかさに愕然とする。笑い話にして、それがマスコミに面白おかしく取り上げられて曲解されて。我々は研究に使った動物たちを墓に葬ってお参りしている、そんなことも分からないのだろうか。

それから雑用が多いという話があったが、雑用って何?と言いたい。雑巾がけは、雑という文字が入っているけれど、そんなにイヤなことですか。お寿司屋さんになりたいと思って入っても最初は丁稚奉公で寿司なんか握らしてもらえずにテーブルを拭いたり水まきしたりさせられる。あれは根性論とか雑用とかではなくて、飲食店が食中毒やると命取りになるから、衛生の習慣を植え付けるためにやらせている。そういうことを理解せずに表面だけを見て雑用と笑われるのは非常に悲しい。もっと深い所を理解してほしい。

たしかに指導も厳しいだろう。しかし厳しく指導するのは良い医療者に育ってほしいと思っているからであって、そう思わなければ叱ったりすらしない。きちんとした医師に育てようとすれば厳しいことも言わざるを得ない。そういう厳しいことを教えようとすると若い人は嫌がるんだけれど、自分たちがどの程度のものなのか、謙虚な気持ちを持ってほしいと思う。そう考えれば大学病院は決して悪いところではない。ただ給料が安いことだけは私も悲しい」


嘉山
「大学に問題があったことは間違いない。雑用なんかないというお話だったが、たしかに診療に関連することはそうかもしれないが、文書関係の医師がやらなくてもいい、そういう雑用も多い。高等教育費が先進国中ビリから二番目で、大学病院にはクラークなんて全然いなかった。我々がわざわざやらせてたわけではなくて、構造的に仕方なくだ。最近ではCBTというものも導入されて、大学教育自体がモダーンになってきた。徒弟制で何かと問題が起きていたことも確かで10年以上前にはたしかにあった。

辻本委員と富田先生が大学病院の問題を表面に出しすぎたので、少し話を戻して国民目線で整理をしたい。臨床研修制度のアドバンテージは、眼科や皮膚科、精神科などストレート研修に入ってしまうと全身を診られない医師ができて、命にかかわる事象が起きた時に対処できないという弊害があったが、循環器とか呼吸器とか脳とか命にかかわる分野を一通り回っておくことで、できるようになった。一方で悪い面は、子供たちにパンドラの箱を開けさせてしまったこと。マッチングで全国どこへでも行けるようになったことで、一般社会と同じ倫理観、一般社会にもちゃんとした人はいるけれど、それで病院を選ぶような状態になってしまった。上の方の3分の2位はよく研修できていると思う。全体をボトムアップさせる視線は必要で、今後は質を担保しながら地域医療の崩壊をくいとめつつ、診療科の偏在も解消する取り組みをしないといけない。ただし前提となるのが、絶対的な医師不足であり、医療費が少ないということであり、教育費も足りないということ。

臨床研修制度のマズかったところは科ごとにやっちゃったこと。実は命にかかわるプライマリケアは、一部の科を除けば全科でやっている。その最低限のところをマスターしたらよい。実はそういう目標は既に決められていて、4年生時のCBT、卒業時の国家試験、さらに2年間の臨床研修で学ぶことになっている。文部科学省とシームレスにできるのならば、知識は4年時のテストと国家試験で終わっている。あとは実地だけだ。そう考えれば1年でできるだろう。資料として、いつも大熊委員が使う手法を私も使ってみた。群馬大の5年生からメールをもらったので個人情報だけ消して出す。学生は、現在の教育は無駄を繰り返していると見ている。実技に関して言うと、何歳で始めようが最初は皆同じ状態だ。

どこの科で勉強しても構わないから、最低限の目標をクリアしたところで指導医が保証することにすればよい。現在の研修では500床以下の病院に行った場合、きちんと身についたのかは自己評価しかない。500床以上では第三者が保証している。現在は100床以上が研修医受け入れを許されているが制限を加えてもよいのでないか。毎年2000人程度が、そういう質の担保のない研修を受けて、往々にして専門研修にきちんと入れないから、フリーター医師予備群になってしまう。どこで線引きをするかについては意見分かれるにしても、きちんと受け入れ体制のある病院に絞るべきでないか。文部科学省の方には失礼な言いかたになるが、これは厚生労働省がやってしまった「医のゆとり教育」でないかと思う。もちろん線引きにあたって、地域医療の崩壊をくいとめる観点から、地域の特性を考慮することはあって構わないだろう。一県一医大制というのには、大学病院に地域を守る使命があると思う。

それから前回齋藤委員が指摘したように、国家が法律で行わせている研修であるにもかかわらず、処遇が病院によって違うというのもおかしいのでないか。司法修習生は全員同じだ。研修を義務づけているということは、一人前になるために勉強しなさいということで、同じ勉強をするのに、なぜ処遇が違うのか。

以上3点述べた。ベッド数制限に関しては、小さな病院が大きな病院と組んでたすき架けのプログラムを組むことは可能としても、ある程度のベッド数制限は必要と考える。いずれにしても、3つの根本的な悪条件のもとでやらないといけない。医師不足に関しては、養成数1.5倍という方向性が示されて少し改善の動きが見えた。しかし根本的には医療費の増額、教育費の増額が必要だ。これだけモノがない国でセーフティネットである医療と教育にお金を使わないとは一体どういうことか」


齋藤
「出身地に帰りたいというのは自然なこと。これまでは大学の外に出てしまって医師としてやっていくのが難しかったから医局に入っただけで、その縛りがなくなった今、2年を1年にしたからといって大学に人が集まるのかは疑問だ。価値観や人生観が昔とは違う。大学がキーとなるのは確かだと思うが、もう一回新しい養成制度を作り直す必要があるのだろう。研修病院の違いによる経済的インセンティブはやめさせるべきというのは前回も主張した通りで、数をあらかじめ各地で枠として決めて、そのうえで全国でマッチングをしたらよいのでないか」


高久
「前回の主張は、各都道府県でマッチングをするということではなかったか」


齋藤
「そうではない。枠は都道府県ごとに決めて、全国でマッチングする」


武藤
「要はカリキュラムを前倒しにして5年生6年生の時にどれだけやらせるのか、具体的案を出したらいいのでないか。スチューデントドクターにどこまでやらせるのか法律を変えられないんだったら、処置の範囲だけ決めてやったら済む。2年やって後半をフリーにするくらいなら、前倒しにする方がいいんじゃないか。ただお願いしたいのは、現場の生の声をもっと集めてほしい。特に教える側の声が出てこない中で我々があれこれ決めてしまって、始まってから違うぞと言われても遅い。

大学の労働環境が悪いのはその通りで、クラークもいないし。雑用じゃないぞという話だったが、少なくとも事務的な雑用はある。医師本来の仕事に専念させることは必要なんじゃないか。米国だったら、クラークも10倍いるし、医師も10倍いる。そんな現状で現場にいる医師がとても疲弊していることは事実だ」


福井
「マッチングに関しては齋藤委員と同じ意見。参加者が8000人ちょっとしかいないのに定員が1万1千もあるのはおかしい。せめて定員を9000位まで絞って、さらに病院の質と分布もうまく考えて地域バランスも整えるべきだというのは私自身が当初から言っていたこと。そのことは前提として、今臨床研修を変えるという話になるのならば、そもそもなぜ臨床研修を導入したかというところも再確認したい。卒業直後からのストレート研修で育った場合、専門外の患者について診られない診たくないという医師が目立ってきて、それではいけないからということで幅広い研修をしようということになった。その状況は変わっていない。研修自体は1年でよいのかもしれないが、しかし大学教育の実習実態が大学によって差がありクリニカルクラークシップを多くの大学で行っていない、だからこそ2年は必要だという論法だった。医師不足の要因にはたしかになったのかもしれないが、しかしそれは数多くある要因のうちの一つで、まずは医師の質を保証することの方が大切でないか。であれば、卒前教育をどれだけ改善できるかの裏付けがないうちに研修だけ見直すのでは、医師の質の基盤が弱い。どういう医師を養成しなければいけないかと何十年もかけて議論してやっと導入された臨床研修だ。いい医師をつくるために、卒前の部分も十分に検討してほしい」


能勢
「今の臨床研修に関して言えば、いろいろと案があった中で2年で収まった。だいたい妥当なところであろうというのが個人的な見解。養成を所管する省と研修を所管する省とが一緒に入っているのだから、前倒しでダブっているところをどうするのか議論することはできる。ただ、免許を取ってない段階での医療行為は、最近どんどんされない方向になっている。それには社会的要請もある。また、前倒しをして医学部教育6年、実習1年にするとして、医学部教育の内容はどうなっていくのか。というのが、あまりに人間性に欠けた医師が多いという批判がブームになって、教養教育を強化した結果、専門教育が圧迫されている。それから医学が細分化されて最先端まで教えるとなると全然時間が足りない。最先端のことは卒後にするとなれば間に合うのだが、しかし最先端のことを教えるべきだという意見もあって一致しない。大学の任務として先端の研究がある以上、学生にも触れさせたいし、触れさせることでモチベーションが上がるということもある。要は、日本の医療水準をどこに置くのかの問題でもある。いずれにしても期間を短くするとか教える内容を制限するとか具体的に出してみて、叩いた方がよいのではないか」


小川(彰)
「臨床研修が2年になった経緯は皆さんのおっしゃる通りと理解しているが、しかしもっと歴史的なことを整理すると、平成3年にそれまで2年と4年に分かれていた医学部が6年一貫に大綱改正された。もっと実質的な医師を養成するんだという理念の変革だった。一方で厚労省の側は、文部省が送り出してくる医師の技量が十分でないということで平成13年に臨床研修を法制化して平成16年に実施したと、こういうことだ。

なぜ大学病院が嫌われるかということに関して言うと、国民皆保険は素晴らしい制度だけれど、それができた当時はメスと注射器とお薬だけあれば医療ができた。高額医療機器はなかった。CTとかMRIとかスペクトルエコーとかPETとか。それらの高額なものを国民皆保険の中にムリ無理閉じ込めた結果、人件費に回せる分が少なくなって、人が少なく給与も安いということになってしまった。大学の中では、研修医と上の医師との間に給料の逆転もある。そもそも大学病院の先生というのは医師とは認められず教員としての給与体系になっている。文学部の助手と同じ給料で責任重く夜中まで働いている。入るのが難しい学部で6年勉強させられてこれしかもらえないのか、ということになる。全体の構造的な問題であることをぜひご理解いただきたい」


高久
「武藤委員、福井委員から、学生の実習を変えなきゃという意見が出された。これに関しては確かに文部科学省の検討会、辻本委員も参加されていたと思うが、でも、能勢委員指摘のようにどんどん後退しているという話になっていた。それは患者さんが、学生に診られるのがイヤと言うし、指導教官の方も事故があったら困るということでやらせたがらないということだった。

ところがこれ欧米、カナダなんかだと、患者さんが喜んで学生に診てもらっている。イギリス、カナダなんかは国家試験がないので、医学部を卒業したら即医師ということもあるだろう。日本の国家試験がかなり難しくなっていて集中してらないと通らないというのもある。もし最後までクリニカルクラークシップをさせたら、国家試験の成績は悲惨なことになるのでないか。それからプライマリケアがイコール医師の基本的な診療能力ではないと思う。現場に行って勉強しないと、やはり本当のところは身に付かない。だからどうしても中心は卒後にならざるを得ない面があるだろう。ただグルグル各科を回っても本当の意味のプライマリケアの勉強にはならないので、そこは大臣にもご理解いただきたい」


西澤
「卒前教育だけでは臨床に足りないし、国民にニーズのあるプライマリケアをやる医師が育たない、それには2年必要だという話だった。2年を動かす前提として卒前をどうするのか。今のままなら臨床研修は2年必要だと思う。それから、そもそも論として大学医局が医師の派遣機能を持っているのは良くないだろう、地域でそういうことをするのが大事であろう。大学にその役割を負わせてきたのは、実は行政の怠慢だと思う。行政の責任でそういう仕組みができれば大学は楽になる」


永井
「1年あたり8000人の医師が減ったというプレゼンだったが、大学の外にいると8000人減ったという実感はない。臨床研修があるために、卒前教育の部分が後退してすぐには戦力にならないということはあるかもしれないが、存在はしているので必ずしもゼロになったとは私自身は思っていない。

むしろ国民の目線から見れば、昔は内科とか外科とか広い分野を診られる医師が当たり前だったけれど、多くの大学病院が臓器を冠した専門科になってしまっていて、しかも若い先生たちは卒後2年でもう『自分は循環器専門』というような話し方をする。まずは国民のニーズとしての救急とか初動としてのプライマリの能力を担保するために臨床研修制度が始まったんだろう。それがいいバランスになっているかは別の問題である程度ベッド数を地域のオンジョブで決めていくことは大切だろう。2年を1年にするんであれば、1年で何を期待されるかしっかり議論しておかないと、1年すらもう要らないという話になりかねない。メリットとデメリットをしっかり整理したうえでないと。

自分が5年間医局で研修を受けた経験からすると屋根瓦制というか、2年生から1年生が教わるというようなのが身に着いた。大学の教官数は諸外国と比べてもケタ違いに少ないのだから、研修指定病院と大学とで協調してもよいのではないか」


大熊
「元に戻したいと言っている方々は二つの意味で人を差別している。若い人たちは、お金に目がくらむということと、都会を好むのだと決めつけている。そうではない。彼らは真剣に自分の将来を考えて選んでいる。もし素晴らしい研修があるのなら、少しくらいの不便は受け入れようという気がある。学生に選ばれる大学になることが先でないか。それから大学病院より一般病院の方が倫理観に欠けるというような発言があったけれど、そういう発言が特に金沢大病院の方からされるというのが不思議だ。金沢大の産婦人科では、わざと抗がん剤を大量に投与して患者が死んでしまって、しかもそのことを注意した人を干すということをしているではないか。

2年か1年かということで言えば、グローバルスタンダードは2年だ。例外は米国が1年だけだけれど、しかし米国では大学にいる時から濃密な研修をしている。変に短くすると患者からすれば危なっかしい医者が出てきてイヤだ。

元々の医師の数が論じられていないが、そもそも数が少なすぎる。特に千葉や埼玉といった戦後急激に人口の増えた所がすごく少ない。たとえば千葉には600万人に千葉大1個しかない。だから調子市民みたいに日大が引き上げたらすぐお手上げといった感じになってしまう。そういう所では少し位定員を増やしたところで焼け石に水。メディカルスクールを作って社会人からの養成を積極的に進めるべきでないか。そういう医師の少ない県に限ってでも作ることを検討したらどうか。大学の機能評価などで訪問してみると社会人になってから入り直した人はしっかりしていて、ストレートの医学生からも尊敬されていることが多いようだ。2つとか3つとか、メディカルスクールを増やすことを検討してはどうか」


嘉山
「いつも大熊先生とは論争になるのだが、先生の話し方には悪い癖がある。特殊な例を挙げて一般化するという悪い癖がある。金沢大がどうか知らないが、大学病院が悪いというのなら、じゃあ一般病院がちゃんとやっているという証拠を示してもらいたい。天下の大熊先生ともあろう人が、と思う。山形大病院では医療事故の存在を隠しただけで教授が処分された。先生の論法でいくのならば、山形大の特殊例を見れば大学病院は実に素晴らしいことが分かると言わなければならない」


これは見たことのないくらい鮮やかなカウンターパンチだったと思う。
ミクロでマクロを語るのは日本のマスメディア全部そうだが
傍聴していたマスコミの連中は自分も同じことをしていると思い当たっただろうか。
嘉山委員の発言に戻る。
「福井先生のご質問にお答えすると、教養部が解体されて前倒しになっている。コアカリキュラムとアドバンスと全国にデコボコはあったがCBTなんかカンニングできない仕組みが導入されて随分と均質化された。先生が大学病院にいたころよりは全国のボトムが上がっている。大部分は臨床研修で良くなっている。でも将来ちゃんと働けないような少数の人もいる。そういう人も含めてきちんと質を担保しないと医療への信頼回復することがなくなっちゃう。これはevidenceである」


小川彰
「大学と大学以外という括り方はやめていただきたい。大学がなければ医師はできないのであり、同様に市中病院も欠かせない、それだけのことだ」


吉村
「先ほど、制度が入ったのは専門分化が進み過ぎたからプライマリケアを診られるようにとの趣旨との話だったが、プライマリをいつやるのかは重大な論点だろう。今のようなシステムがいいのか。2年終わった段階で即座に担えるなら、ある意味今のような医療崩壊にはなっていないはず。大学の医師派遣能力が失われたという話にしても、中堅なら派遣だろうが、5年目までは育成の一環として一線に出てみるということのはず、その二つは分けてもらわないと。後期研修につながるよう、専門医の育つところで初期研修も行うべきではないか」


舛添
「本会議の開始がズレたので最後までいられた。いろいろなご意見ありがとうございます。これ提案というか厚労省、文部科学省ともにやってもらいたいのが実態調査とアンケート。対象は学生でも研修医でもいい。金のためなのか、何がイヤで大学を離れるのか。読売私案のように行き先を決めるのは反対だ。ペイを一緒にするという話、これは必ずしも悪くない。でもペイが悪くても、どうしても行きたいところへ行くというのなら意味がなくなる。その辺り、ここにも様々な立場の先生方がいらっしゃるので、ご協力いただいて、今の現場の意識を知りたい。それなしに読売のような提案をして、医師を計画配置しても医学生に規制はイヤだと言われたらどうするのか。それから現場で研修を担っている先生たちにも、教育現場はどう考えているのか外口局長と新木課長、早急にアンケートして実感をつかんでおきたい。それをたたきだいに議論すべきだろう」


次回は11月18日だそうだ。
(了)

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コメント

大学病院で長く働いている医者は、大学病院は良いところで、医局制度を肯定的にとらえ、大学病院にやり方にケチをつけることが筋違いで、現在の大学病院離れは、間違いである、との認識。

大学病院を選ばない医者は、大学病院よりも市中病院のほうが臨床医としてのスキルを取得して、その後も働き続けるメリットがある、との認識。

雑用を雑用と思うか、いやそうは思わないかを、こういう会議で議論しても無駄です。
雑用だと思う医師は大学病院を選ばず、そうは思わない医師は大学病院を選ぶ。
結果は出ているんですから。
価値観の相違があって、選択の自由がある、それだけのことです。

システム的に良いと思ったら、続ければ良いのです。ただし、個々の医者にも選ぶ権利はありますから、選ばれなかった病院は自分達の考えに固執せずに結果を受け止めなければならないでしょう。
それでも考えを変える気がないのなら、信念を貫けばよい。

西欧や北欧や北アメリカ、オセアニアの大学病院は、確かに、いわゆる雑用もなく、医師が狭い意味での臨床に集中できる環境にあります。
それは、大学病院に対する公費の支給は多くて、スタッフも多く雇えるからです。
また診療報酬が日本より高く、社会保険からの収入も多いです。
日本の大学病院はそうではないでしょう。

例えばオランダ、九州程度の面積、人口1600万人で医学部は8校あります。
大学病院は国から出される公費と診療報酬、研究収入や外部機関からの収入、で運営されています。
国からの公費は少しだけ減らされましたが、大学病院が社会保険からの収入でまかなわれるように、国が診療報酬を改定して、つまり診療報酬をアップしています。

日本では、安すぎる診療報酬が大学病院の社会保険からの収入の増加、つまりスタッフ数の増加などの財源になることの足かせになっています。

> hot cardiologist 先生
コメントありがとうございます。
ようやく書き終わりました。お返事が遅くなり申し訳ありません。
昨日出された社会保障国民会議の報告書を見ても思うのですが
ことが国内で完結している限り、誰かの支払は、誰かの収入になるわけですから
社会保障の負担面ばかりが強調されるのはおかしいですよね。
ひっくり返すと、それだけの産業が誕生するということで。

臨床研修制度に関する最近の議論、つまり大学病院中心に研修制度を戻すべきかのような論調には若干危惧を覚えます。大学での医療というのは、医療全体の中では一つの形に過ぎません。大学病院で経験できないことは山ほどあるし、むしろ大学病院では身に付かないようなことが日常診療では重要だったりもするのです。研修制度が変わって市中病院に研修医が多く出るようになったことや、プライマリケアが重視されるようになったことは評価されて良いと思います。研修制度を大学病院中心に回帰させるのではなく、現状をどう改善させるかが重要と思います。

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