後期研修班会議3(1) |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年11月06日 18:28 |
過去2回は最初から最後まで録画をしていたテレビカメラがなくなった。
個人的には、録っておいてほしかったなと思うやりとりが多かったんだけど。
日本学術会議の『医療のイノベーション検討委員会』委員長である
桐野高明・国立国際医療センター総長からヒアリング。
最初の15分は、その委員会が今年6月に政府に対して提出した要望
『信頼に支えられた医療の実現−医療を崩壊させないためにー』を踏まえつつ
桐野委員長がプレゼン。その後で1時間15分ほど質疑応答。
最初のプレゼンから。資料はこちら。
「日本の医療というのは先進国型になっていない。先進国型というのは、1.充実した教育体制と厳格な専門医認定制度、2.病院機能の集中化・集約化、3.病院と診療所の密接な連携体制、4.チーム医療の推進と業務範囲の職種による制限の見直し、5.医療安全と患者権利尊重のためのシステムといった5つの特徴があって、そしてどこの国も増大する医療費をどう抑制するか、あるいは賄うか苦心している。日本の場合は大きく見て3つのことが足りないということから政府に対して以下の要望をした。1.医療費抑制政策の転換、2.病院医療の抜本的な改革、3.専門医制度認証委員会の設置。このうち3だけが異質な感じがするかもしれないが、この3こそ今日の会議のテーマでもあるので、なぜこんなことを要望したのか説明する。
医療には、政府、国民、医療提供者の3つのプレイヤーがいて、それぞれが将来に必要なことを考える必要があるのだが、特に医療提供者が信頼を持続的に高めていく努力が足りず、そこの自己努力をやってみせないと他の2者も動いてくれない。自己努力のシンボリックなものが専門医であり、具体的には認証制度が必要だということで要望の内容になった。
ここからは学術会議の結論ではなく個人的な意見になる。専門医制度は医師の自律的専門職能集団が運営しなければうまくいかない。そして、その集団が権威を持って運営するために医師全員加盟型である必要がある。
学術会議では第7部、臨床医学を扱うところだが、そこで既に平成11年に『専門医制度の整備と専門医資格認定機構の設置ついて』という報告を出していて、専門医制度は既にわが国においてほとんど完備しており、プライマリケアの専門医制度の導入は非常に困難であるということになっているのだが、それは本当か。専門医制度の現状として、基本領域の専門医が12万6千人、サブスペシャリティ30弱で8万2千人、その他の領域2万人。プライマリケアの専門医制度は確立していない。専門医制度の問題点は以下の5点。教育プログラム・教育病院の評価が不十分、学会ごと独自に運営され外部評価を浮けていない、養成すべき専門医の総数と地域別の分布が制御されていない、プライマリケアの専門医制度が確立していない、結果として実効性が低く実益もない。特に3番目と4番目が重要。
ということで専門医制度の改革が必要であろう。わが国においては法的な裏付けが必要だと思うのだが、専門医制度の認証機関を設置すること、プライマリケア専門医も含めて数や分布を制御する、そのうえで専門医に対して技術料の評価を行って、押すのと引っ張るのをセットで進めることを提言した。
ここから先は個人の意見。専門医制度成功の条件は、医師の専門職能集団が自律的に責任を持って行うことと、専門医制度の実務を行う組織とその評価・認証を行う組織は分離すること、制度は法的な裏付けに基づくこと、専門医の質だけでなく数と分布についても制御を責任持って行うことだと思う。それによって専門医制度に対する信頼が確立し、専門医の努力が報いられる報酬制度もできることになる。
そこで考えてみると、医局は入局者が多ければ多いほど医局の力が増大する仕組みになっていたので、日本全体という観点で数の制御を行う考え方と協調しにくい。また学会も、入会者が多ければ多いほど会の力が増大し資金も潤沢になる仕組みになっているから同様。医局や学会の利害から独立した組織が数と分布の制御を行う必要がある。
専門医制度のめざすもの。医療の質を医師の専門職能集団が、誇りにかけて保証するものでなければならない。また、あらゆる医師が、プライマリケアも含めた専門医をめざすべきである。戦後すぐなら学校を出てすぐ医師として働けたかもしれないが、今はその頃に比べて情報量が500倍とも1000倍とも言われる。専門医をめざすのでなければ医療の質を保証できない。で、質を保証するためには、教育の質量ともに必要。地域における症例数から言って、必然的に医師の数と分布の制御が必要になる。ただし、医師の専門職能集団が自ら制御する仕組みでないとうまくいかない。そのためには医師全員加盟の全国組織がなければうまくいかない。そのためには、おそらく法的根拠がなければうまくいかない。
医師組織のあり方から見ても、開業医と大学病院や市中機関病院の医師は交流すべきであり、分断することは将来の医療にとっても有害であり、両方参加できる全国組織が必要である。
最後に年令別の医師数グラフを2つ示す。1975年と2004年。1975年は、働き盛りの医師はほとんど開業医だった。そのころに確立した、フリーアクセス、自由開業、自由標榜は、働き盛りの大多数が勤務医である2004年の年齢分布から見れば、時代遅れになっていることは明らかだ」
土屋
「学術会議で要望が出された後は、どのような経緯で実現が図られるのか」
桐野
「残念ながら実施する組織ではない。出して読んでもらって記録に留めていく以上のことはできていない。むしろ、この会議のように政府に対する発言力の強い組織に影響を与えられるならありがたい」
土屋
「政府で受ける窓口は」
桐野
「内閣府の所管で設置法もある。だから内閣府。政府から諮問を受けることもあって、生殖医療のこととかだと、学術会議がピシっと答えるのがしっくり来るけれど、医療や社会の仕組みに関しては十分な力を発揮できない」
土屋
「政府が諮問した場合は別にして、出した後でどうなるかは内閣府次第ということか」
桐野
「どれだけ説得力のある文章を書けるかということに掛かっていると思う。だが、20期以降で任期を限ったこともあって、要望の数が少し多いのでないかという話もある。法、文、工、医、農、理全部含んでいるので、どうしても文章の数が多くなる」
土屋
「行政が対応しないと何を言ってもナシのツブテというのでは、桐野先生も歯がゆい思いをされていることだろう。我々の研究班で応援することも必要かなと思う」
岡井
「医師自身の自律的職能集団、おっしゃる通りだと思うのだが、具体的にどうすればいいのか。専認協では、やろうとしてもなかなかうまくまとまらない。具体的に何をどうすればいいのか」
桐野
「専門医が意味を持つようになるには、社会から見て十分に分かりやすく評価できるものにするしかない。それをしなければ、長いトレーニングの必要な分野、リスクのある分野から医療が壊れていくだろう。あるいは慢性的な外科疾患などは外国で治療を受けなければいけなくなるだろう。実は、今騒がれている産科に関して10年前から専門家の方々は今日のような事態が起きるのを心配していて、発言もしていたと思う。しかし残念ながらメディアには取り上げられず問題視もされなかった。同じことが次から次に起きてくる。これを食い止めるには医師が自ら立ち上がらないとダメじゃないか。
幸いというか何というか医師会も公益法人化で大きく揺れている。この先も安泰とは決して思ってないはず。このままずっと開業医が多くなって年寄りばかりで飽和するのは明らか。そうなったらノーコントロールになる可能性が高い。長い目で見て、医師や医療を何とかするには、自らが単一組織に結集するしかない。簡単ではないが、それをやらずに学会ごとに分断された形でいる限り、何を言っても社会を動かせず、今までのと同じことがフェーズをずらしながら起きる。今のタイミングで思い切ったことを言っておかないと禍根を残す」
土屋
「全員加盟の団体というの個人的には大賛成。ただし、どういう過程で作るのかということに頭を悩ましているのでないかと思う。それとわが国においては法に基づいてという話があったが、前段では自律と言っておきながら、法に頼るというのは整合性がなくて悶々とするところでないか」
桐野
「分からないといえば分からない。米国がいいのかも分からない。少なくとも医療制度に関しては米国もメチャクチャだと思う。ただ多くの欠点があるけれど、少なくとも医学教育、専門医教育に関してはちゃんとしている。で、あれがどういう経緯でできたかというと1910年代にフレクスナーという人が全米の医学校を見て回って、いい所はいい、悪い所は悪いという評価をして、シカゴ周辺の10個ほどに関しては『悪の巣窟』とまで酷評して、全米にはびこっていたインチキ医学校が、全体のうち半分がインチキ学校として潰された。そういう経緯を経て、30年代に眼科から専門医制度が自律的に立ち上がって順次広がってきたということだ。そんなことわが国ではできない。せめて少なくとも専門医を取ったならば全員が加盟するような受け皿の組織を作って、それと同時に政府が専門医に報酬をつけるということで誘導したら何とかなりそうな気もする。ただ、社会や政府がそこまで専門医のことを重要と思うかは自信がない」
外山
「歯切れのよいお話で私も同意というか同じ思いを持ってきた。ただ現時点は、どのように実行するかが大事な時期に来ていると思う。要として、本格的な専門医制度を導入して、これからなっていく人に順次当てはめていくということ、全国の医師の統一された組織づくりを始めていくということにためには、やはりきちんとした後期研修制度を設けて、ガラス張りにする必要があるだろう。そうすれば必ずや心ある国民からのサポートを受けられる。学会や医局が決して同方向でない以上、もっと誠実に純粋にどういう組織づくりをするのか考えなければいけないし、考えているだけでなくまず、その方向で着手することが大事だ」
桐野
「学会によっては大変努力をされている所がないわけではない。しかし、それで良しとするには、余りにも不十分。機構のレベルを超えて、きちんとやってない所に対してはストップをかけられる位の権限が必要なんでないか。学会が悪いというわけではない。そうは思わないが、学会を代表して機構に出てくると、はやりの言葉で言うならば明らかに利益相反。同じメンバーであっても学会を外れてオールジャパンでということなら、きちんとした議論ができるのかもしれない。ある時点で一気にとか、全員を一気に移行というのは現実的でない。ある時点以降に卒業した人から順次というのが現実的だろう。米国ではそのようにしている。10年以内にシステムを確立してスタートしたとしても、医師の半数が入れ替わるまでに25年かかるのだから結局今すぐ始めても35年かかる。インターン制度が廃止されてから臨床研修必修化までも60年かかっている。そうやって考えると、今すぐ始めると宣言したとしても、そんなに過激な手法はならず、徐々によくなっていくのでないか」
土屋
「何年卒から適用というところがポイントだろう。現在は既卒の人の受験できる専門医資格が多すぎる。時間はかかるかもしれないが、しかしある程度の年限を加えないとムリということなんだろうと聞いた。専門医の実務と評価と組織を2つに分離すべきという話についてだが、専認協は実務を行う学会の集まりだ。ということは前者である。評価・認証を行う組織を学会から離れてどう作るかということになるのだろうか」
桐野
「非常に透明に作らないとダメだろう。私自身は勉強不足で知らないのだが、学術会議で各国のドキュメンテーションをやるべきでないかと思う。実は米国とドイツ以外のことは余り知られていないような気がする」
土屋
「たしかに英仏すらよく知らない。委託調査できるならしたい」
岡井
「専認協で評価・認証を強化しようとしたら、ある学会から猛反発を受けて困っている。やろうとしているができてないということだ。でも現実的に見て、専認協以外にどうやって作るのか。専認協を強化して支える方が早いような気もする」
桐野
「たぶんそうなんだろう。池田先生(専認協理事長)も同じようなことを言っていた。やり方としては、機構の譲りがたいマニフェストとして公開してもらう手はあるかもしれない。そのうえで委員をどう選任するか。各学会の代表者であれば利益相反になるからできなくなる。目的をクリアにしたうえで受け皿は機構を強力にして、あれは公益法人になっているはずでそういうところはいい、弁護士組織のように設置法まで作ってしまうというようなこともあるだろう」
海野
「自律的専門組織といった時に、利益相反を克服するのはそれしかないのかと思いながら聴いた。専門医の数と分布を制御するという話は、学術会議の見解なのか個人の見解なのか」
桐野
「岡井先生の言ったことで、機構の決意に関わっていることと、直接専門職能団体のあり方に関わってくることがあり、なければ医療が壊れると重要に思うのかどうなのか。そういう組織を作る効用が学会の利益を超えて重要とステートメントちゃんとできるか。学術会議の見解は資料に出したとおり。私なりの解釈になるのは、質の保証をするには症例経験の裏付けが絶対に必要で、座学でスタンプで押すようには心臓外科医が育たないようなものだ。であれば、症例や地域人口に対して何人ぐらいというのは、ある程度の幅を持って計算できるはず。質の保証をすれば、必然的に数の制御が出てくるということを述べているに過ぎない。どの程度の症例数が必要なのかは、それぞれのエキスパートが決める必要はあるだろうが、最低限の幅がないということはあり得ない」
海野
「なぜそんなことを尋ねるかというと、誰がどのように決めるのか大きな悩みだと思う。そこにも利益相反があるのでないか。それはどうするのか」
桐野
「難しい。実現は難しいが踏みとどまって重要だと十分に納得させられるならば不可能ではないだろう。むしろ、それはできずに行けば、医療も医師も国民もアンハッピーになるんだということは明確。もともと先進諸国でも医療費の負荷は大きな悩み。楽勝という国はない。フラストレーションがある。これだけ厳しい状況があるのに漫然とやっていたら危ないという危機感から動くことはできないか」
葛西
「数と分布の話。先生のお話は教育に必要な症例数ということだったと思うのだが、都会はそれでいいとして、症例は少ないのだけれどニーズはあるというような必要な医師数という決め方もあると思う。そういう時は難しいと思うのだが」
桐野
「日本の場合は難しい要素がある。ヨーロッパでは、医療費の制御も医療の提供も「公」がやっている。米国では、両方とも「私」がやっている。日本では医療費抑制は「公」がやっているけれど、提供の80%は「私」だ。だから制御が難しい。市場的にやろうとすれば価格で決まる。でも、それは実施しにくい。スウェーデンなんかのように全部国立病院だったらベッド数を絞るんでもあっという間だ。欧米では、先進国型としてベッド数や在院日数を減らした時に、日本だけが逆にベッド数を増やした」
葛西
「評価ということについていえば米国の家庭医のコミッティーを見学させてもらった。質を上げるために真摯な議論が行われていた。実現しているところもあるということで情報提供させていただいた」
土屋
「論理的に必要性をきちんと説明する必要があるとのお話だったが、実はトレーニングする側はかなり論理的に説明するようになったしできていると思う。むしろ受ける側が自律の必要を理解するか。説明する側の努力ではなくて、むしろ27万人いる医師の方が理解しないといけないのだがそれが難しい。それならある意味外圧というか国民の声そちらの声に理解を求める必要があるのではないだろうか」
桐野
「責任持ってやる立場におかれると大変だろうなと思いながら話をしている。学術会議はまとめた段階では例の2200億削減微動だにしていない時期だった。その時から見れば少し状況は進んでいる所がないわけではない。やらなきゃ医療が破壊される可能性が高いよということは言えても、じゃあどうするのかは難しい。医療費とか病院医療の改革とかは、結局は政治的な力が働かないと解決しない。票しか解決できるものでない。それに比べると、専門医の話は医師集団が根性を見せれば何とかなる話。ここで医師自らが提案しておかないと、将来つらい目に遭う。国民も損をするんだということを理解してもらって、きちんと後押ししてもらうしかないだろう」
(続きは別項)