総理舌禍を論じた内田樹さんの論理構成に膝を打つ |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年11月20日 11:54 |
内田樹さんのブログの本日付エントリーで
昨日の「医師には社会常識に欠けた人が多い」発言について取り上げている。
ほとんどのメディアや医師ブログが問題にしているのは発言の前の方だと思う。
で、それについては多くの方が書くだろうし、特に論評しないでおこうと思っていた。
だが、内田さんは後ろの方を問題にしている。
で、その論理構成に、はたと思い当たることがあった。
どうして、知らない言葉の意味を考えなかったかというと、「自分が知らないことは、知る価値のないことだ」というふうに推理したからである。
「無知」というのはそのような自分の知力についての過大評価によって構造化されている。
「人の話を聴かない人間」は他人の話のなかの「自分にわかるところ」だけをつまみ食いし、「自分にわからないところ」は「知る価値のないたわごと」であると切り捨てて、自分の聞き落としを合理化している。
「自分の知らないこと」の意味を探り当てるためには、「自分の知っていること」だけを組み合わせても追いつかない。
法律家が医療者の言葉を勝手に翻訳してしまうのは
医療者の論理を「知る価値のないたわごと」と無意識に考えているからで
なぜそう考えてしまうかと言えば
閉じた自分たちの世界の外にも、知る価値のあることが存在すると認めてしまうと
閉じていることで成立している自分たちのアイデティティが危機に瀕するからでないか。
こんなことを思った。
というか、そういえば小松秀樹先生は、そんなことを言っていたなと今ようやく分かった。