”患者の声を医療政策に反映させる”(1)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年11月22日 20:01

不勉強で知らなかったのだが
ことし7月に「患者の声を医療政策に反映させるあり方協議会」という
患者団体のサポートシステムを構築するために患者団体が集まった団体
(ややこしくて申し訳ない)ができていたらしい。
で、その団体が勉強会として

「衆議院解散前夜 3政党が医療政策を語る」
〜あなたはどの政策を支持しますか?〜

というものを、日本製薬工業協会(製薬協)会議室で開いたので行ってきた。
3党を代表して、自民、公明、民主の医療政策を担当する国会議員が来るという。


先だって行われた「現場からの医療改革推進協議会」と全く同様に
良くも悪くも現在の最先端と限界との両方が見えた会合だった。


冒頭に協議会代表世話人の長谷川三枝子・日本リウマチ友の会会長が挨拶。
「昨晩まで交渉したが、自民党がどうしても都合がつかないということだった」。
いきなりビックリさせられる。


第一には、自民党どういうつもりだ、ということ。
参加しないと判断した人間の頭の中身を覗いてみたい。
第二には逆に、きちんと話もついてないのに
3党の国会議員が来ると各方面に案内を出しちゃったのか? ということ。
たしかに後で見たら、(予定)と書いてあったけれど
そんな不誠実なことをやっても患者だから許されるというのはおかしいと思うし
後を読めば分かるように
そもそも協議会は必ずしも患者だけで構成されているわけではなく
かつ、法律を作らせようという話
(蓋を開けてみたらそういう話で、看板と中身との乖離が騙し討ちに近く
 その辺りも自民党に蹴られた理由でないかと思うのだが)をする時に
そんな甘いことでできるはずないだろうと思った。
が、まあ、その話はこの辺にして、中身自体は興味深かったので先へ進もう。


続いて協議会の副代表世話人という伊藤雅治・全国社会保険協会連合会理事長が
なぜ医療基本法が必要か、というプレゼンテーションをした。
ここでも内容そのものの前に目が点である。
伊藤理事長は、ご存じの方も多いと思うが厚生省の元医政局長であり
医療政策立案の最高責任者だった人だ。
現役の時にはできなかったけれどOBになったらできるということか?
OBになったら考えが変わったということか?
さらに、そんな人がついていて、どうして自民党に断られる?


頭は???なのだが、プレゼンの中身の紹介に移ろう。
「医療基本法の中身についてはこれから議論していくことだが、なぜこの問題にあり方協議会が取り組むことになったか説明したい。東大の医療政策人材講座というものがあって、その構成メンバーは医療提供者、患者団体関係者、ジャーナリスト、法律家、研究者などだが、私もその2期生である。その2期では『医療政策に患者の声を反映させていくにはどうしたらいいか』をテーマに検討した。具体的には平成18年度の医療制度改革の立案過程を検討した。その結果、政策の検討過程について患者・市民の参画の度合がバラバラであり、社会保障審議会医療保険部会のように患者・市民代表が1人も入っておらず公聴会もパブコメも実施してないというのもあった。こうした状況を打開するには、各論の議論の場でなく、基本方向を決める場が必要でないか、そこに患者・市民も参画する必要があるだろうということになって、しかしながら、そのためには患者団体も疾病横断的に組織されたものが必要であろうということで、製薬協の支援も得て、あり方協議会を設立した。その後医療政策人材講座の4期生が医療基本法について検討してくれて、それに関しては前回の勉強会で講演してもらったところだ」


ここまででもかなりの発見があったので、いったん整理する。
そういう講座があるとは聞いていたが、そんなことをしていたとは知らなかった。
患者団体が自発的に横に連携をしたんではなく
講座の研究が先にあって、それを製薬会社の業界団体が支援して協議会はできた、と。
で、その講座の研究は誰が仕掛けたのかしらと見てみると
筆頭研究者は伊藤理事長自身である。うーむ。


プレゼンの続きを聞いているうちに、ははぁなるほどと思うようになる。
「小泉内閣以降の経済財政諮問会議主導の政策運営によって、特にその民間議員が主導して、医療費の抑制などが行われ、それが様々な問題を引き起こしてきた。舛添大臣が、各論について検討会を色々とやっているが、政府与党に必要なのはもっと基本的な方針であり、そのために必要な負担を国民に示すことでないか。つまり国民皆保険を守って助け合いでいくのか、それとも経済財政諮問会議の民間議員が主張するように医療費が膨れても構わないが給付は抑制するという自己責任社会に転換するのか、その基本の議論を行うべきであるが、そこには当然ながら患者国民が入っていなければならない。ところが社会保障国民会議にも、大臣の検討会にも、ハッキリ患者市民の代表といえる人は入っていない。

実は昭和47年に医療基本法案はあった。5月26日に政府提案されて、結局廃案になったのだけれど、提案の背景には、日本医師会による保険医総辞退があって、その決着の際に基本法を出すという約束だったのだ。これに対して、野党の社会・公明・民社の3党も5月15日に医療保障基本法を共同提案していて、これは今見ても実に立派な内容のものだった。この2つの法案をもう一度振り返って、現在にはどのような法案が必要なのか考えたい。そのような基本法をつくって、医療に関する各論の法律を再構築することが、混迷している医療に出口を見つけていく道でないか。そのために、各党にはマニフェストに医療基本法の制定を盛りこんでいただきたいということで、本日の勉強会に各党の国会議員の方々をお呼びした」


伊藤氏は現在も厚労省の外郭団体の長であり厚労省に敵対しているとは考えづらい。
小泉旋風と経済財制諮問会議の前に手も足も出なかった厚労省の意を代弁して
患者を巻き込んで巻き返すために動いていると解釈すると符号するような気がする。


基本法は確かにあった方が望ましいだろうけれど
それさえあったら問題が解決していくような言い方には違和感がある。
負担と給付の関係に踏み込むには
結局、国民の過半数の支持を得ないといけないのだから
過半数の支持を得られるのならば現行ルールだって何も困らないはずだ。
卵と鶏のようなものだが。
現状の混迷の原因がルールの不備にあるという見方にも疑義がある。
私などにはルールよりも、運用主体と方法の方に問題があるように見える。
(要するに厚生労働省が現場を無視して間違えまくっているということ)
こんなことを思っていたら
埴岡健一・日本医療政策機構理事が登場。協議会の事務局長をしているのだという。
埴岡氏は先ほどの講座の特任准教授でもある。
埴岡氏も「ルールが悪い」説なんだろうか。
「基本的ルールがあった方がよい」という立場と
「現在の状況はルールが悪いから」という立場は微妙に違っていて
ものごとの優先順位が変わってくるので
他の患者団体や医療者との協働を考える際には、恐らく火ダネになるだろう。


ここから国会議員に話を聞くという本番の始まりで
その進行は埴岡氏がするらしい。


先に登場したのは公明党の浜四津敏子参院議員。
非常に丁寧に誠実に話をした。要約する。
「公明党には坂口元大臣、福島豊議員、渡辺副大臣と医師出身議員がいて、私は医療政策を担当している議員ではない。医療基本法について、公明党として検討はしていないので現段階では個人の考えに留まるが、必ず部会、政調に呼びかけて、党の政策として成立させたい。

ここからはいただいた質問に沿って答える。まず、医療基本法の理念。現在の日本は国民皆保険制によって、保険証一枚あれば誰でもどこでもいつでも安心して適正な医療を受けられることになっており、アメリカ大統領選挙でも日本のような保険制度を導入するかどうかが議論になったと聞いている。これまで比較的低コストで高水準の医療が行われてきた。しかしながら一方で小子高齢化や昨今の経済社会情勢もあって医師不足、たらい回し、医療格差などが生じている。このような現状では、医療基本法の制定は不可欠と考えている。なぜ基本法が必要か。個別の法律もあるけれど、主に国や地方公共団体の行う義務を根幹の理念に基づいて定めることによって、個別法を束ね政策に統一性を持たせて一層強力に推進することに不可欠である。その理念は、自己責任の新自由主義なのか、相互扶助なのか。公明党は1人の人を大切にする党だ。自助を基本としながら共同体による共助、それでも足りない時に公助というバランスの取れた組み合わせを指向する。医療に関していえば、相互扶助である皆保険制を将来も維持することが基本になる。

次に法案の骨子。含むべき要素は、現行の多くの医療関係法を一定の方向性で体系づけることであり、がん対策基本法が一つのモデルになると考える。患者の政策決定へ参加する権利が明確化され、国や地方公共団体の義務が明確化され、具体的な数値目標が書き込まれたことが、がん対策基本法では画期的だった。それを踏襲する必要がある。盛りこむべき骨子は8つ。1、医療は患者のためにあるということを明確にする。2、根拠に基づく医療EBMを推進する。3、国や地方自治体の政策決定のプロセスへの患者参加を明確にする。4、医師など医療提供者の責務。5、国や自治体の役割の明確化、民間との役割分担の明確化。6、医師の育成・教育政策。7、患者の責任。8、健康教育など。

三番目の患者参加。日本の医療は長い間、医師が上、医師に全部お任せで来ており、未だに主治医に遠慮してセカンドオピニオンを取れないとか、そうしようとしたら医師に怒鳴られたなどという声をしばしば聞くことがある。しかしながら患者の権利や患者の医療参加ということが言われて久しく、患者も医療者の一員とされる時代の到来も近いと思う。患者参加を法律で義務づける必要があろう。一方で、今後の医療には国民の強力も不可欠。つまり、保険料の負担や安易な医療サービス利用の自粛、これには柏原病院の事例が有名だけれど、患者個人の利益を超えたところでの住民の役割もまた重くなる。そのように住民が動くためには、医療・健康に関する教育も重要になろう。健康や医療に対する無理解や医療への過剰な期待すべて、教育しないと改善しない。そのような教育が学校現場で行われるようにする必要がある。

四番目の医療体制の充実をどのように図るかという話。先般、舛添大臣によって医師養成数を50%増やすというビジョンが示されたけれど、まず疑問に思うのは、50%の根拠が示されていない。そういうデータに基づいて掲げられたのか。養成数を増やしても、楽な診療科にばかり医師が増えて最も不足している産科や小児科などが増えないなら意味がない。現在は何科を標榜してもどこで開業しても自由であり、これでは本当に必要な診療科や地域には医師は増えない。偏在解消には、医師が一定の社会的責任を負うということを明確に記す必要がある。また、診療科や地域ごとの医師の必要数を割り出して、それについては各学会が責任を持って育成あるいは抑制することとする。限りある医療資源を効率的に利用するには、病院間での診療科のダブりなどは調整しなければならない。それができるよう都道府県に強い調整権限を与える。地域医療は国立病院や公共団体の病院が負わなければならないのだから、それらの病院には経営指標だけでない評価基準を導入する。救急医療に関しては、大学病院や国立病院などの総合病院が担うと明確化する。救急医療はわが国においては長年軽視され、多くの大学病院で行われてこなかったのが問題の根幹。大学病院は研究のための施設から地域医療に貢献するための施設へと性格を変える必要があり、すべての大学に救急医療を義務づけ、それがなされるようになればかなりの問題が解決する。他方、医師養成数は増えても教員数は増えておらず、そこは増やさないと全体tとして整合性がない。

医師が生きがい、使命感を持って働けてこそ、患者にもよい医療が提供できる。医師の勤務がキツくて当たり前、労働基準法など関係ない、家族より患者優先で当たり前というようなことで、開業すれば収入2倍、労働時間は半分というのでは、勤務医を続けろというのは困難。医師も人だから家族もいるし休みたい時もある。何より医師が豊かな心を持っていてこそ、患者の期待にも応えられる。働く場の環境整備は喫緊の課題だ。話を十分に聴いてくれる、説明を十分にしてくれる、そういう医師になれるために環境整備が必要だ。同時に、女性医師が安心して働けるよう整備することも必要。学校では教師が育児休業を取った場合、代わりの臨時教員がやってくるので安心して子育てできる。同じような制度を医師にも確保すればよい。また、福井次矢先生の著書に18歳で職業を決める不幸という言葉があった。単線コースでなく社会経験豊かな人も医師になれるようなメディカルスクールの整備も必要だ。

最後の五番目の財源、負担と給付の問題。現在の厳しい財政事情の中で医療費の抑制が続いており、それが医療崩壊を招いているとの指摘がなされている一方、国民から見ればまだまだムダがあるのでないかという声もあり、医療の実を上げる努力と共にEBMへ誘導する配分が必要だろう。勤務実態に報いる報酬体系の構築も必要だ。その後で、どの程度の負担でどの程度の医療になるのか、選択肢を示して国民に判断を仰ぐ必要があると思う」
要約といっても結構な分量になってしまった。


続いて民主党から鈴木寛参院議員。
超党派議連の幹事長でもあるが、この日は民主党として呼ばれたとのこと。
「我が党は11月1日にマニフェストを発表しようと、印刷所へ入稿までは済んでいるのだが、その後解散が延びているために、従ってマニフェストの発表もできない。本当なら、マニフェストに沿って説明したいのだが、細かい点は述べない。民主党の最大のメッセージは、医療費を増やそうじゃないかということ。医療で1.8兆円、介護も含めれば1.9兆円。それから政権を取った後の4年間で、医療費の対GDP比8.0%をOECD平均の9.4%まで引き上げていこうと。政府は財務相が高齢化するとこんなに医療費がかかるから抑制しようというので動いていて、自民党の中には二派あるのだが、超党派議連としては医療費を増やそうということになっていて、私どもはもう一度医療需要がどのように変わるか検討し直している。疾患毎の年代別罹患率というのが分かっていて、人口動態も分かる。だから、どの地域にどの程度の患者さんが発生するか予測できる。医療や技術進歩によって患者が減ることもあるだろうが、一方で医療が高度化すると費用も自然に増えるので、その分を相殺してしまっても、そんなに現実と遠くはない予測になるだろう。そのシミュレーションをしてみている。

考えるに、現在最大の問題は医療崩壊。医師定数削減の閣議決定は覆して大幅増員されることになったけれど、しかし一人前になるまでに10年はかかる。その10年間は、過剰な勤務、立ち去り、リスク増大のネガティブスパイラルを断ち切ることに力を注ぐ必要がある。実は、今後高齢化が一気に進むのは神奈川と東京。ピーク時には今の1.4倍になる。東京も1.35倍。鳥取、島根、秋田といった所は今がピークで、今後進んでも1.05倍以下。医療需要から見ると、地方は今大変だが、これから悪くなることはない。大都市圏の需給のギャップが起きる。考えてみれば当然の話で団塊の世代が、いわゆる後期高齢者になっていく。その人たちが大勢住んでいるところは高齢化率がグンと上がる。10年後、20年後を見据えてやらないと、10年前、20年前に現在のことをちゃんと見ていればこのような医療崩壊は起きなかったのだから同じ失敗を繰り返してはいけない。

向こう10年間、いかに現有の医師をいかにしかるべき場所で働いてもらうか、どうやってインセンティブで誘導していくかが重要になる。モチベーションには、経済的なこと地域の信頼、自己研鑚の機会など様々なものがあるだろう。開業医と勤務医の平均収入のアンバランスも調整が必要。後期臨床研修をどう支援していくか。これなら3年で効果が出るし、前期臨床研修と組み合わせることでさらに効果が上がるかもしれない。さらに、大量のお金が必要な話ではあるが、スキルミックスを進めて、看護師の能力を生かすという手もある。有資格者で働いてない人が50万人、条件さえ合えば働けるという人が10万人のオーダーで存在していると聞いている。これはまさに働きかたさえ合えばということで経済的インセンティブで働いてもらえる人たち。他にもコメディカルの活用を図れる場面はあるだろう。ただし、即効性はあるが、数が多いので、医師に比べてはるかにお金もかかる。そういったことを勘案して、私たちは1.9兆円と言っている。

議論すべきは大きく2つあると思う。まず、どの程度医療費を増やすのかという程度の問題とその財源の問題。会計検査院のデータによると、中央省庁の天下り団体が4700あって、そこに12兆円の国費が注ぎ込まれている。約半分の6兆円は随意契約だという。その契約を見直して、医療や教育に回せば財源は出てくる。ただ、天下りを辞めろとだけ言うのは実はかわいそうで、セットになっている肩たたきもやめないといけない。早ければ50歳から肩たたきが始まる。それを60歳まではきちんと雇用する、そのために必要な費用を計算したら、年6千億円でしかなかった。十分に財源はある」
伊藤理事長は典型的天下りの人だ。
対象者が目の前にいると知って話をしていたのだろうか。
話は続いている。
「議論すべき2つ目はガバナンスの問題。医療は相互扶助のしくみであり、自助、互助と公助のバランスをどのように取るべきか。ソリューションとして、いくつかある。第一はガバメントソリューション。霞ヶ関がやっているように中央統制で社会主義的に対応するもので、わが国はいまだにが場面とソリューションであるが、それにはもう限界が来ており体制を見直す必要がある。誰が問題提起して、どこがどういうプロセスで改善するのかという決定権限の割り付けの仕分けをきちっとやり直さないといけない。医療の基本は相互扶助というのが、民主党のコンセンサス。第二のマーケットソリューション、小泉政権の市場万能主義で進められてきたけれど英国でも失敗した。このどちらかというのではなく、第3の道がある。政府や市場の主導ではなくコミュニティが主導する。実は教育においては既にコミュニティスクールというものが2004年に法制化されており、既に全国で500校がコミュニティスクールになっている。

医療基本法についても教育基本法のフレームワークと似た思考方法を取れると思う。教育基本法に関して我々の対案は何人にも学習権はあり、全ての他者、国も地方公共団体も学校法人も地域も含めてだが、はその学習権を尊重するという規定にした。同じことを健康権というか医療権というかで規定すればいい。それから、教育基本法に関して実効的に大きかったのは、振興基本計画が入ったこと。医療にも入れる。その基本計画の中で医療費を上げていくのか検討することになる。

ところで今日のように患者の会で医療費増をやろうというとそうだそうだと賛同していただけるのだけれど、これが元気な消費者に対してそう言うと総スカンを食らう。だから医療に関しては、患者や医療者だけでなく、国民全部を巻き込んで議論を行う必要があり、振興基本計画をつくるということになれば、その契機になるだろう。

それから基本法をつくるなら、国際的な権利の体系、国連やWHOなどで定められたものとハーモナイゼーションを取る必要はあるだろう。

患者参加に関しては、何人にも健康権が保障されるわけだから、その中に政策決定過程に入っていくことも含まれる。医療のアクセス、コスト、クオリテイのACQはトレードオフの関係にあるわけだが、それぞれ個別の領域についてそれぞれACQのバランスを考える必要があるのだろう。そのためには、すべての関係者が入った場が必要で、そこにおいて熟議の民主主義を政治に導入したい。一律でなく個別具体の議論をしていくことになるだろう。医療は現場がいろいろに複雑化して、官僚の専門性では追い付かなくなった。厚労省の官僚が悪いのではなく、中央主導で決める構造自体が破綻している。現場において、医療の主人公である患者とその横にいて診療に当たる医療者、そしてそれを取り巻く地域へと中央の権限をエンパワーすることが必要だろう。中央は所得の再配分だけに専念して、その使い道は現場で議論できるような仕組みに変えていく、医療基本法制定が議論のきっかけになるのでないかと考えている」


中央主導で一律にソリューションを見出せると思うこと自体が間違っている
との指摘は、まさにその通りだと思う。
よって先ほども述べたように
この協議会の成り立ちと行動の優先順位についても全面的には賛同できない。
ではあるが、枠組みを進化させることがあるのなら面白いと思う。
何よりこの勉強会は実に勉強になった。
休憩を挟んでパネルディスカッションに移行。
ここから次項。

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コメント

先日のブログで川口様は、各方面で努力している人たちを応援すべきと言う話がありましたが、まさしくその通りだと思います。
麻生発言にしても二階発言でも、政治家は何も勉強していない、実は判った振りのみしているというのが、はっきりしました。
一方、数年で頭のすげ替えの大臣と違って、医療行政は官僚が立案していたはずですが、役人は役人で死因究明でもメタボ検診でも現場を知らずにプランだけで動いているのが現状となっているように思います。
ならば、建設的に考えて患者側あるいは医療提供側が、理想の医療を打ち出す。厚労省は実現できるところを支援していくという方策が、現実的かつ前向きで実効性の高い行政なのだと思います。

それなのに医師会は何をやっているのか! 厚労省の言う現実に、医師会が合わせてどうするんだ! 逆だろう? 医療の言う理想に厚労省が現状を合わせるのが筋というものではないか?

厚労省のジリ貧路線に合わせていたから、日本の医療はギリギリの死線を彷徨っています。
そのギリギリの状態で、今年くるかもしれない新型インフルエンザが流行し、医師の1割が倒れたら日本の医療ではなく日本自体が壊滅します。

>現役の時にはできなかったけれどOBになったらできるということか?

この方の真意がどこにあるのかわかりませんが、仰るとおり、権限のあるときに適切にそれを行使することが人間としては重要なのでしょう。当たり前のことですが、それは結構勇気の要ることだと思います。(周囲から孤立したりするので)

世の中所詮、なるようにしかならないものです。放っておいてはいかがですか。

連続ですみません

>つまり国民皆保険を守って助け合いでいくのか、それとも経済財政諮問会議の民間議員が主張するように医療費が膨れても構わないが給付は抑制するという自己責任社会に転換するのか

この2者択一の例示はちょっと決め付けが過ぎるような気がしないでもありません。
医療現場での患者の要求水準の高まりと医療安全への要求の高まり、それを支える現場での人手不足など供給が追いつかない現実のある中で、例えば18年度の診療報酬改定のように医療費の自然増さえも抑え込んでしまったような措置に現場は汲々としているのであって、自己責任社会云々という大上段に振りかぶった話ではないように私には思えますが。

浜四津さんのご発言の中の「大学病院は研究のための施設から地域医療に貢献するための施設へと性格を変える必要があり、すべての大学に救急医療を義務づけ、それがなされるようになればかなりの問題が解決する。」というくだり、驚きました。大学病院における研究活動は、どうなってしまうのでしょうか???大学とは別に、別途、研究のための施設を作る、という構想でもあるなら、納得もしますが。

根本に大学や学問全般への無理解があるとしたら、困ったものです。医学の未来を拓くための研究活動は、大学医学部の最も大切な使命のひとつです。医学部は単なる医師養成のための専門学校ではありません。まるで軍医養成のような考え方で議論されるのはお門違いもよいところです。日本の医学・学問の場を破壊する「文化大革命」のような発想は、さらなる医療崩壊をもたらす「医療破壊」行為です。

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