「正しいんだから報じろ」は、なぜ通用しないのか

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年12月08日 11:26

一昨日のエントリーの続きです。
受け手側の受容体に合おうが合うまいが正しいことを報じろ
それがメディアの使命だろうという物言いがあります。
でも、これは無理です。
なぜか。


マスメディアが報じているものこそニュースだという時代は終わったのです。
メディアの側にも選別淘汰の圧力がかかっています。
ナンボ正しくても受け入れてもらえないものばかり出し続けていては
メディアとして存在し続けられません。


取るべき道は2つ。
正しくて受け入れてもらえるものを出す。
何はともあれ受け入れてもらえるものを出す。


受け手の側がかなり意識的に取捨選択しない限り
どちらが高コストかは言うまでもありません。
自然に任せていたら、後者ばかりのメディアになるのが当然なのです。

<<前の記事:パスタの次は    周産期・救急懇談会4(ハイライト):次の記事>>

コメント

 現時点での送り手側としては、まさにコストと売り上げの問題ですね。

 ネットのように送出コストがほぼ無制限に外部化されるのであればいいのですが、現在の既存メディアを取り巻く状況は厳しいようですから、淘汰がかかる現実から逃れようがありません。

 ただ、送出コストのほとんどを外部化できていた時代のマスメディアがセンセーショナリズムと淘汰から無縁だったかと言えば、そうではありません。

 むしろ、それに従順であったが故に、今の厳しい状況からの突破が難しくなってしまっているのではないでしょうか。小うるさく騒ぎ立てることしか能がないが故に、valueの提供ができない体質になってしまっています。

 いずれにせよそれでは生き残りは難しいとしか言いようがありません。

 センセーショナリズムという短期的内部競争への勝利の条件と、独自のvalue提供という他メディアとの長期的競争への勝利の条件を何とか整合させる小細工が必要なのではないでしょうか。

 それは、現実一辺倒であるが故に消えていくというパラドックスと如何に戦うかという、マスメディア自身の課題であろうと思います。

>ナンボ正しくても受け入れてもらえないものばかり出し続けていては、メディアとして存在し続けられません。


狩猟型の商売、焼き畑農業だけを考えていればそうでしょうね。
マスゴミへの道が一本続くだけです。
商売になるからパチンコやサラ金の宣伝だけを流して、パチンコやサラ金を利用する人が見る番組を制作するマスゴミなど、電波利用の利権を与える価値はないでしょう
新聞広告代を稼ぐためにPR記事しかのせない、押し紙をして広告効果を過剰にクライアントに信じ込ませて、記事など外注や通信社に任せているような新聞社が横行してたら、再販制度の恩恵を与え続ける意義は乏しいでしょう

養殖型の商売、マスコミが国民を啓蒙して、正しいことを求め、受け入れる人が増えるようにしなければ、正しいマスコミが存在できないことでしょう。
正しいことを評価できる体制がなければ、ジャーナリストは育たず、パパラッチだけが生き残ることでしょう。

報道の自由と表裏一体を成す、報道の責任を放棄するのであれば、報道の自由も消え去り、民主主義国家というものも衆愚的になってしまうことでしょう。

川口さんにはジャーナリストとしての自負を失って頂きたくはないです
(商売の苦しさはあるでしょうが・・・・)

苦しくても、正しいことを理解できる人を増やしていく道以外に、マスコミの存在意義はありません

>中村利仁先生
コメントありがとうございます。
先生ご指摘のワーディングで整理し直すとどうなるのか、もう少し考えさせてください。

>Med_Law 先生
ありがとうございます。
誤認されていると思うのですが
今回のエントリーは、一般論を述べたもので、私がどうのこうのという個別論とは違います。
それから、受け入れられないものを出し続けていてはメディアとして存在し続けられないというのは
無視されるようでは、そもそもメディアの体を為してないという意味です。
どうやったら無視されないで済むかと考えた時に、道が2つあるのです。

私は医師で当然ながらマスコミに関しては無知ですので、もしよろしければ川口様に教えて頂きたいのですが、同じ題材について、事実を客観的に伝える事を主眼に置いた記事を書くのと、読者の求めているようなストーリー(「受容体」と言う表現は私もかなり適切ではないかと感じました) に沿った記事を書くのとでは明らかに実感できるほど売り上げに影響が出るのでしょうか。

もしそうなのだとすればマスコミで医療記事を書いている方たちの心情はなんとなく理解できます。共感まではできないし、現実に与えている影響を考えるとかなり問題ありだとは思いますが。

>Anonymous先生
雑誌やテレビなどは数字にすぐ現われる世界で
「金払ってまで説教されたくない」人が多いので、受けるものの方が売れます。
(トートロジーですみません。また、RCTできないので経験的にそうだとしか言えない点はご容赦ください)
新聞はそんなことないではないかとお思いでしょう。
そこには、別の事情が効いてきます。
雑誌やテレビも同じで、本当はこっちの方が効いていると思います。
誌紙面や時間の枠を、違うジャンルの記者どうしで陣取り合戦しているという事実です。
枠が取れなければ、そもそも記事自体が載りませんし
そのうえ仕事をしてない無能者と見なされ干されていきます。
受けるものでないと場所が取れません。

>受けるものでないと場所が取れません。

どの記事が実際にどの程度受けたかということは、具体的にどのように評価されるのですか?


ご指摘ありがとうございます。
事前には、社内の編集担当の人間が「受けるだろう」と判断
(大枠は複数の人間の討議の結果)したものということになります。
事後評価は、科学的なものはなく
何となく(システマティックではなく)集まってくる反響を眺めてやってます。
このプロセスに「正しい記事は受けるよ」と
働きかけることは不可能でないような気もしますね。

マスコミも商売で、需要にあったものを供給するというのはわかるんですが、商品としての情報の品質を落としたり、正しくない報道をする理由を読者のせいにする、というのがよくわかりません。
例えは悪いんですが、「消費者が安い牛肉を求めるてるから、偽装牛肉を売るのが当然だ」と言ってた某食肉会社と何も違わないような気がします。商品としての情報の質というのは、マスコミにとっては重要ではないんでしょうか?

>あひる様
コメントありがとうございます。
「正しい」という言葉が少し舌足らずだったようです。
メディアが出している情報は、ウソではなく、「正しい」ものがほとんどです。
だから、質が悪いと当事者は思ってないはずです。
ただし、何が「正しい」かは、立場によって全然異なりますし
取捨選択をした結果
間違ってないけど現実とかけ離れているということは、ままあります。
それじゃダメじゃんと思うかどうかというと
メディアの人間が自分たちの役割をどう考えているかという話になるんですが
見えてなかったものを見えるようにすることにあると思っている人も多いので
ダメとは思わないかもしれません。

*ここまで私が書いてきた「正しい」を
「現実に即したもの、バランスのとれたもの」という意味で読んでいただけると幸いです。

 マスメディアが記事の取捨選択をするときにどんな読者や視聴者(オーディエンス)を想定しているのかは、そのまま、マスメディアがどういうオーディエンスを対象として事業を行っているのかを意味します。

 記事や番組を発することによって、マスメディア自身もまた、オーディエンスを取捨選択していることになります。今日の日本のマスメディアの特徴として、このオーディエンスを取捨選択しているという事実に無自覚であるということが上げられるであろうと思います。

 1億2千万人に向けて発信すると言っても、実際にはその中のごくわずかにしか記事・番組は届きませんし、影響を与えることができたとしても、さらにそのうちの数分の一です。

 「現実に即したもの、バランスのとれたもの」という発想が幅を利かせているとしたら、送り手側には、記事やコンテクストを選択することによって読者をも選択しているという認識が、見事なまでにないのでしょう。

 この記事を掲載することによって飛びついてくるオーディエンスが、どんどんと厚みを増しているのであれば、新聞・雑誌・テレビの窮状は起こり得ません。

 逆に言うと、これまで不適切な記事選択を繰り返してきた連中が社内で出世して発言力を持っているが故に、方針の転換が容易でなく、ジリ貧に陥っているという考え方の方が「正しい」ように思います。

いち主婦です、マスメディアや医療のこともわからない、いち「受け手」としてふと思ったことですが、この夏、大野事件の判決に合わせて作られた医療ドラマのことです。
フェローにしては役者が若すぎる、設定がありえないなどなど、医療者からは批判の嵐でしたが、わたしはいち医療ドラマ好きの素人としては、なかなかがんばっていたんじゃないかとおもいます。
あのドラマはのテーマは「脱防衛医療」だったとおもっています。医療に完全を求めるな、結果で責めるな、そういうことを続けていれば、助かるものもたすからない、若い医師も育たなくなり、医療はますます萎縮し、助かるものもたすからなくなるのだと訴えていたとおもいます。

そのドラマを制作するにあたり、まずクリアしなければならないのは、視聴率ですよね?それが見込めないものなら、どんなに脚本がリアルでも放送できない。
その視聴率をとるために、と同時に、どういう層に見て欲しいとおもうか?という狙いもあるとおもいます。そのターゲットはまず医療従事者ではない一般人で、その時間帯のドラマをよく見る世代。
その世代に受ける役者を使って、話題性も持たせる
そして、その層にとってわかりやすい演出としても、「成長途上の医師=若い俳優」っていう表現も「アリ」でしょうし、対訴訟nための思考は「弁護士」に語らせる、というのも「アリ」かなと。
ドラマの中で、医療過誤で訴えられた医師が証言台で、患者の遺族に謝罪したり
、そのあと遺族が取り下げるという展開があり、そういうのは現実ではありえないことだし、表現としても「間違い」だとおもいます。
私はあのエピソードが伝えたかったのは、患者を救えなかったことを悔いている医師も遺族と同じに深く傷ついて苦しんでいるけど、訴訟となれば戦わざるをえなくなり、本来遺族側が求めているものは得られないということだったとおもいます。もっと説得力も現実味もあるドラマ作りもできたんじゃないかとも思うので、批判されるのはもっともなんですけど、「伝えたいこと」を「伝えたい人」に伝えたいときに必要なのは、かならずしも「正しさ」や「正確さ」ではないんじゃないかなと、あのドラマについてのいろんな感想をみていて、おもいました。
川口さんのおっしゃりたいことと、ずいぶん離れてしまった気もしますが、情報はまず正しいこと、正確なことを求められるのは当然だけども、人の心を動かし、実際に正しい行動にうつせるように導くためには、時に、家に火を放ち、海辺にいた人たちを洪水から救った老人の知恵にも似たものが必要だということかなと感じました。

すみません、さっきの私の投稿の洪水のたとえは、不適切ですね。
いくらなんでも、メディアが火のないところに自ら火を放ってはいけませんね。

自分が日々母親仲間と話をしていて、コンビニ受診は良くないという話をしていて、医師の勤務の実態は知らずにいて、それをまず知ってもらうことは第一ですが、それで実際に受診行動を改められるかというとそうでもないということをかんじます。先日の懇談会で、知ろう小児医療、守ろう子供たちの会の代表である阿真さんがおっしゃっていたように、不安を減らすためにどうするかを伝えて、結果コンビニ受診がへり、それによって現場の労働環境が改善され、わたしたちの安全も健康も守られるというのが理想の筋書きかなと
聞いて欲しい相手のツボを探りながら、アプローチの仕方は色々あっていいんじゃないかとおもいます

ながながとすみません

川口さま
きつい物言いだったにもかかわらず、丁寧に御返事していただきありがとうございました。今まで書かれたことなど、じっくり考えてみたいと思います。(お礼が遅くなり申し訳ありませんでした)。

中日新聞のショッピングセンター事件報道に関するこのコラム
http://aruite5.blog.shinobi.jp/Entry/942/

「既に解決した事件且つ読者へ無用な不安を煽るので取材しないし報道しない」ことが中日新聞記者の行動基準のようです。
ただし、「不安がいっそう広がり、他の新聞社が報道し、本紙も改めて取材しなおして記事にしたという経過です」
 横並びの方を優先します。

 今後の改善に期待します。

コメントを投稿


上の画像に表示されているセキュリティコード(6桁の半角数字)を入力してください。