循環器病センター治験問題に医学部長会議が声明 |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年12月26日 17:46 |
本日、循環器病センターで起きた補助人工心臓治験中の
男性が亡くなった事案に関して
全国医学部長病院長会議が会見を開きます。
どういう関係があるんだろうかと最初は怪訝な気持ちでしたが
早めに会場についたら
(寒くて外で時間を潰せなかったのです)
声明文が置いてあって
それを読んでいるうちに、なるほどと思うようになりました。
医療事故調問題とリンクさせて見ると厚生労働省の対応がとんでもないようです。
まずは声明文を先にご紹介します。
国立循環器病センターの事例に関する厚生労働省の対応に対する声明
平成20年12月26日
全国医学部長病院長会議
大学病院の医療事故対策に関する委員会 委員長 嘉山孝正国立循環器病センターで、補助人工心臓を装着した男性がお亡くなりになりました。全国医学長病院長会議は、亡くなられた患者さんおよびご家族に、心より哀悼の意を表します。
厚生労働省は、12月18日、本事例に関する事故調査委員会を厚生労働省内に設けることとした。全国医学長病院長会議は、医療事故大綱案に反対してきた立場から以下のように考える。厚生労働省は、医療安全調査委員会設置法案を国会提出するとして大綱案を示しているが、本事例の事故調査委員会を省内に設置することは、あたかも大綱案を先取りするような前例をつくることに他ならない。舛添厚生労働大臣は、従前より医療現場の自律的活動を望んでおられた。本事例についても、12月19日の閣議後記者会見において「まず現場の国立循環器病センターでしっかりと調査をして、現場の調査をまず上げなさいということです。」と発言された(http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2008/12/k1219.html)。知従って、厚生労働省は、現場の国立循環器病センターの対応に委ねるべきである。そうでないと、医療の自律的自浄作用が国民から要望されている現在、医師の自立性の確立が困難となり、その結果、責任ある医療提供そのものが困難となることを危惧し、重ねて、大綱案に反対してきた立場から、以下の声明を発表するものである。1)本事例の事故調査委員会を省内に設置するべきではない。種々のマスコミ報道によれば厚生労働省が一事例に介入したことになる。このことは、医療現場の自律的活動を困難にし、その結果、医療提供体制を破壊するものであり、国民に対する適切な医療の提供が困難になることを危惧するものです。
2)国立循環器病センターは、本事例に関するこれまでの調査をまとめ、あるいは新たな調査委員会を国立循環器病センター内に設置するなどして調査を行い、その結果をご家族と話し合い、公表することを切望する。
3)仮に、国立循環器病センターが、病院外の第三者による調査委員会設置が必要と考えるならば、大学医学部に調査委員会設置を依頼することを提案する。全国医学部長病院長会議は、医療現場の自律的活動の一環を担うものとして、最大限の協力を惜しまない。
(全会一致)以上
コメント
川口様
当初書かれていた毎日の記者の誤報に関する部分を削除なさいましたが、何か特別なご事情でも発生したのでしょうか?
また厚生労働省(この場合は本省を指すのでしょうか)がとんでもないことと仰る部分をもう少し具体的に説明していただかないと仰りたいことのポイントがつかめません。
私の記憶では国循が本件の記者会見を行った翌日か翌々日に遺族側が厚生労働省本省を訪れ申し入れを行ったシーンがテレビで報道されていましたが、それを受けての本省側のレスポンスだったと思いますので、特段、不自然には思われないのですが。
なお、治験という枠組みから、新薬、医療器具を問わず、おそらくすべてその実施期間が設けられているので、それを超えて使い続けるためには更新手続きが必要となっていたかと思います。今回のケースはこの治験更新時のインフォームドコンセントにおいて意識のない本人の代理で行った遺族が十分内容を理解できなかったのに同意した(だからインフォームドコンセント自体が無効であるとの訴えに今後繋がる?)という点が争点となっていると記憶しています。
ただ難しいですね。こういう治験の中止が即、死に繋がるような、事実上治験を止められないケースの場合には。
拡張型心筋症は徐々に心筋が薄く心臓内腔が大きくなり、心臓の拍出力は低下していく病気です。補助人工心臓を装着しなければもっと早く死期を迎えていたのではないかと想像します。おそらくもともと心臓移植待機の目的で、治験としてこの補助人工心臓の装着を始めたのではないかと推測しますが、この補助人工心臓(埋め込み式)の治験を中断するということは、既に意識のない患者さんを手術して補助人工心臓を外す又は別の(例えば対外式の)人工心臓に置き換えるという現実的には困難な選択肢を意味しているように私には思えます。
KHPN先生
本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、ご指摘の「誤報エントリー」とは
https://lohasmedical.jp/blog/2008/12/post_1558.php
これのことではないでしょうか。
特に削除したりしておりませんので、ご安心ください。
川口様
大変失礼いたしました
本年も宜しくお願いします。
>KHPN先生
ご丁寧に恐れ入ります。
こちらこそどうぞよろしくお願い申し上げます。
声明自体は正論だと思いますが、今回の国循の意思決定を行った、厚労省から出向している医系技官達も問題有りで、患者遺族の心情への配慮や支援は要らない、ただ自らの医療行為の正当性を主張し、文句があるなら訴訟でも何でもさせろという方針と聞いています。
そんな木で鼻を括ったような態度が要らぬ訴訟を招き、警察の介入や現場の疲弊を招いていることに未だ気づいていないようです。
他方、代理人弁護士達は、紛争化・訴訟化でどれほど遺族が深く傷つくのか、法的手続き自体に情報の隠蔽を正当化するロジックがあり、事実の追求から如何に遠ざかるのかを、きちんと説明した上で受任しているのでしょうか。非常に疑問に思います。
>声明自体は正論だと思いますが、
そうでしょうか?国の出先機関(正確には施設等機関)で起こった事件について、一方の当事者が「おたくの現場を何とかしてよ」と本社(本省)に直談判に行った時に、「うちは現場の自立的自浄作用に全て任せているので」などとうそぶいていたら、それこそ無責任のそしりを免れないと思います。一旦、本社で話を引き取って、現場から事実関係を聴取した上で改めて判断するというのは、まっとうな対応なのではないでしょうか?
これに対して外野が「本社の介入を許すな、現場の自立的自浄作用に全て委ねよ、われわれも協力するぞ」と言っているのは、見方によっては筋違いに映る場合もあるのではないでしょうか。
>今回の国循の意思決定を行った、厚労省から出向している医系技官達も(中略)そんな木で鼻を括ったような態度が要らぬ訴訟を招き(以下略)
いかにも絵に描いたようなステレオタイプの役人像ですね。私はそうではないタイプの方を知っているのでちょっと意外です。ただ、うわさとか伝聞は得てして尾ひれがつくので私自身はこの手の話は自分で確かめた事実以外は鵜呑みにしないようにしています。いずれにせよ「木で鼻を括ったような」態度や対応はいけませんね。
なお、国循の意思決定を行うのは、「厚労省から出向している医系技官達」などではなく、「総長」です。
>他方、代理人弁護士達は(以下略)
彼らは「商売」です。
KHPN 先生、こんにちは。
大きく論点がずれていらっしゃるようです。この問題の本質は、誰も本気で遺族の事なんて考えていないというところにあります。
以下、それに比べれば些細なことですが、伝聞に基づいた話であることについてはあらためて留意していただいた上で、読んでいただければ幸いです。
アナロジーというのはしばしば怪しいモノですが、御提示の例に沿って今回の事例を表現するならば、責任を徹底的に回避しつつ現場全体への支配権を強めたいと考えている本社の企画部門が、本社から支社への出向者に敢えてもめ事を大きくさせ、その上であたかも善意の第三者であるかのような顔をして相手方の申し入れを受け、自分たちの都合のよい人選で都合のよい結果を得るためのフリーハンドを確保したと言うことに過ぎません。
その意味では極めて深刻な、しかし下らない権力争いに過ぎません。
また、善意の官僚がいるであろうことは否定しませんが、組織や集団に属する者がいつも自分自身の善意によって動けるのであれば、史上ありとあらゆる組織が内部崩壊してきた歴史の大半は説明がつきません。
巨大な集権組織が内部論理を優先させ、構成員の善意を踏みつぶし、外部への貢献もできなくなるという現象は、史上、洋の東西を問わず、ほぼ普遍的に見られます。
さらに言えば、医政局国立病院課長は、ナショナルセンター全ての実務上の支配者です。法令の委任によって事務を行っている部分以外にも、予算と人事によって強力な実権を握っています。
しかし、責任は問われません。
組織図の上ではラインにいないはずの課長級の人材が情報の流出入を握ることによって、予算と人事を通じて事業を左右し、実は権限の点で支社長やよりも上であるようなものです。
同じ医政局の医療安全推進室長は、組織としての国循がご遺族の悲嘆を無視し、相互に対立関係に陥ることによって、自らの机からほんの数メートルのところで、第3次試案、大綱案を大きく推進するための前例を確保するに至りました。遺族代理人弁護士の申し入れにも立ち会った様子です。
橋本総長がこの意思決定に於いてどのような役割を果たされたのかは存じませんし、また、組織の長としての責任も免れませんが、医政局国立病院課長と直結した出向者の取り囲む中で、どこまで主体的に意思決定が行えたかを考えると、お一人に帰責して好しとするのは疑問です。
組織の(不)健全性は、個人の資質に依存しつつも、個人の意志ではどうしようもないところで動いています。医者はそんなことと無縁なところで暮らせる職業ではありますが、かと言ってそれに対して無知であって良いとは思いません。
15日付けの毎日の記事です
治験死亡:厚労省が調査委設置撤回 遺族「納得いかない」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090115k0000m040020000c.html
結果的に全国医学部長病院長会議の主張するような現場対応になったようですが、本社対応を期待していた遺族側からすれば逆に納得がいかないということのようです。
こんな風に妙に話がこじれ始めると、今後の対応がより困難になってしまい、本件の本質である「治験の中止が死に繋がるケース」の問題を解決する議論から遠のいてしまうのではないかという風に私には思えますが。