医療報道ブーム?

投稿者: | 投稿日時: 2009年03月30日 14:14

順序が前後してしまいましたが、くいとめる会事務局の先生と私あてに、昨日ご紹介した“医療サポーター養成所”代表の山根さんから、「今の医療 こんなんで委員会」(京都府医師会主催)のご報告のメールを頂きました。


とても興味深い内容だったので、ご本人の承諾をいただいて、要約・抜粋というかたちでご紹介させていただきます。(ご本人の講演内容は、こちら。)

●同志社大学心理学部教授の余語先生(「医療とコミュニケーション」):
100%完全なものに“信頼”は必要ない。医療に「信頼」(医療者の技術や意図に対して)が欠かせないのは、医療が不完全で不安定なものだからだ。そして結果が悪かったときには、「腕が悪かった、未熟だった」「できるのに精一杯やってくれなかった、不誠実だった」という感情を持つ。現在の日本の産科医療の水準は高く、その受益者である我々は幸福である。しかし、ほとんどの人が問題なく出産を終わる一方、ごく一部、とても悲惨な思いを経験する人たちも必ず存在する。我々は幸福な状態をごく当たり前と受け止めているがゆえに、悲惨な結果となった際のギャップの大きさを受け入れることが困難であるという意味で、不幸ともいえる。


●第二足立病院産科医の大坪先生(産科医減少の理由他):
日本の産科医療は世界で二番目の高さであるが、リスクをゼロにすることはできない。悪い結果になっても、信頼関係ができていれば訴訟にならないこともある。以前、脳内出血を起こされた妊婦をなんとか脳外科に収容し、自分が帝王切開を行って赤ちゃんは生まれたが、残念ながら母体は亡くなった。赤ちゃんは、自分の病院の新生児室で3ヶ月になるまで育て、退院するときは病院スタッフも泣いていた。(そのあと、京都では周産期医療システムができ、受け入れ先の病院さがしに苦慮することはなくなった。)信頼関係は、普段の妊婦検診から作っていくことが大事。どんなことでも言ってくれれば答えるが、なかなか医師には言いにくいこともあるので、足立病院では、助産師も話を聞く。助産師は、妊婦とのコミュニケーションの上でも欠かすことができないし、お産の場面でも、助産力というのはすばらしいと思う。


●足立病院勤務助産師の秋葉さん:
産科医と同様、助産師も減り続けている。大学を出た後、病院勤務につく助産師が少ない。その少ない助産師も、結婚や自分の妊娠出産でやめ、いったん、お産の現場を離れると戻るのが怖くなって、母乳指導や新生児訪問などに行ってしまう。足立病院では、年間1400例すべての分娩にバースプランを出してもらっている(いまではポピュラーなものであるが、導入当時はとても珍しかった)。なかには母体の状況からすれば無理難題を出す人もいて、自然分娩を希望していても、促進剤を投与するか帝王切開しかないこともある。実際そうした場合でも、助産師が説明を行い、寄り添いながら、本人が自分で帝王切開を選択し、無事に出産した。母乳もなかなか出なかったが、退院後にも母乳外来に通うなどされ、今は希望通りの完全母乳で育てている。バースプラン通りにはいかなくても、とても満足され、子供をいつくしんでいる。 しかし、そこまでのことができるのは、経験とスキルを積んだ助産師であればこそ。新しい人が入らず、入ってもすぐやめてしまうという現状で、どうやって助産師のスキルアップをはかっていくかが、管理職としての課題だと思っている。


●京都新聞の栗山記者:
患者の受け入れ不能をマスコミが「たらいまわし」と表現することは、自分としては実態も表現できていないし、間違いであると思う。しかし、受け入れてもらえなかった患者の立場でみれば、「言い方の問題じゃないんだ」という思いを、医療者の方にも理解していただきたい。自分の母親としての経験だが、子供の急な高熱に際し、かかりつけがたまたま休みだったので家で手当てをしていたが熱が下がらず、近所の「内科・小児科」に行った。ところが受付で 「そんな高い熱の子供は診られない」と断られ、近所の小児科を紹介してもらい、手当てを受けた。「内科・小児科」では先生が顔も見せずに受付の人だけの対応だったのが不満である一方、「無理、診られない」とはっきり言ってくれ、どこへいけばいいかも教えてもらえたので、結果としては良かった。ただ、患者側が医療者に求めていることは、たとえ診られなくても、顔を見せてほしいということではないか。また患者側のわきまえとしては、妊娠出産を軽く考えずに、きちんと検診を受け、自分のリスクをセルフチェックするなど、自覚をもって健康管理すべきだろう。


●山根さんの私見:
これだけマスコミも「医療崩壊」を報道し、モンスターペイシェントやコンビニ受診、救急車のタクシー様使用はいかん!お医者さんを守ろう!と言っている今は、「医療バブル」ではないかと思います。つまり、そんなに遠くないうちに終了するでしょう。それまでに、形になるものを残しておかなければ。くい止める会の募金活動もすばらしいですが、一組織の一時の取り組みに終わらせないようにしなくてはいけないですよね。労働基準法の問題も同じだと思います。
今だから、はっきりと問題提起し、取り組まなければいけないのです。それをただの辻褄合わせをして終わらせちゃ意味が無いですよね。ここは、都知事と大臣のとっくみあいの喧嘩でもいいので、もっと派手にやらないといけないのだと思います。それをメディアにもきっちり報道してもらいましょう。


シンポジストの先生方それぞれのご見識やご経験ならではの非常に有意義なお話だった様子が伝わってきます。

また、山根さんが書き添えてくださった私見のヒントは、環境経済学をご専門とされているお兄様のお話にあったのだとか。確かに不況の今、地球温暖化対策を中心とした環境対策と景気浮揚を両立させる政策「グリーンニューディール」が注目を集めています。時の人であるオバマ大統領も推進している一人。しかし識者のあいだでは、環境対策を大義名分としたバブルの様相を呈している(“グリーン・バブル”)との懸念や分析もあり、賛否はさまざまのようです。


ご指摘のとおり、医療報道が内容的にもようやく実態に追いついてきて、盛り上がっていることは確かだと思います。そしてそれがブームに近いもの(山根さんの言う「医療バブル」?)であろうというのも、また正しいと思います。だから「ピンチはチャンス」であり、「鉄は熱いうちに打て」なのでしょうね。環境問題でも、報道や風潮の盛り上がりは、数十年前から、形を変え、キャッチフレーズを変えながら繰り返されてきました。その時機をうまく捉えて変わったこと、そして単なるブームで終わって大きな変化が見られなかったこと、いろいろありました。では医療は?この分岐点からどこへ進んでいくのでしょう。

一気に何かを大きく変えようというのであれば、あと一歩、もう少しぐいっと引っ張る力なり押す力なりが必要でしょう。だとしたらそれが何なのか、少なくとも何か最悪の事態が引き金になる(十分ありそうですが)なんてことでなければ、と思わずにいられません。しかも、たとえば国が形だけ大きく変えたところで中身がついてこないことはこれまでの状況が示しているとおりですから、それよりもむしろ、じわじわと、市民レベルの「医療を守る」運動が各地で起こり、大きな流れになっていく、というほうが理想なのでしょうね。よく、「日本の民主主義が押し付けであってその意識が本当には育っていないのに対し、欧米の民主主義は市民の闘争の中で勝ち取られたものだからこそ根づいている」と言われますが(だいたいの認識ですみません)、それと同じようなイメージでしょうか。


いずれにしても、ブームというのは全員が知る頃には下火になっているものといわれます。だからこそ、まだ国民全員に浸透しきれていない今は可能性を残している。本当はチャンスの真っ只中なんですね。

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