共通の言語を使ってください。

投稿者: | 投稿日時: 2009年04月15日 16:28

医師の過剰労働によって医療崩壊が引き起こされている昨今。医師の過剰労働が発生してしまう実質的な理由はたくさんありますが、それをある種、正当化してしまっているのが医療法の「宿直」の規定なんですね。今日のニュース記事で知りました。

昨日の参院厚労委員会で梅村議員が、医療法上の「宿直」と、労基法上の「宿日直」の定義が異なることを指摘しました。ひとことで言ってしまえば、前者のほうが圧倒的にゆるく(=医師の負担大)、後者は病院にとってはクリアが厳しいもの。その指摘を受けた舛添大臣は、「4月以降、医師不足や労働環境改善のための施策の武器に、労基法を使おう」との旨、述べたそうです。医療法を改正して、要は、定義を労基法の「宿日直」に統一しようということですね。


それにしても、医療ってこういうことが多いから、一般の人はますます議論に入りづらくなるんじゃないか、って気がします。

そもそも普通の人は、宿直も、宿日直も、それぞれに規定があることさえ知りませんよね。もし興味を持って、労働基準法を見て「確かに今の医療現場はこれに反しているなあ」と問題意識を持ったとしても、「いや、でも医療法ではOKだし」なんて言われてしまったら、「ああ、そうなんですか。医療法、ああ、別途、法律がちゃんとあるんですね」と引き下がらざるを得ない気になってしまう。専門的でよくわからないや、と思ってしまうのです。


ちなみに今回、私は「当直」などという表現も思い出し、ちょっと混乱しました。よく聞きますよね? 調べてみました。いろいろ読みましたが、とりあえずはウィキペディアの「当直医」の項目から。

【当直医(とうちょくい,duty doctor)とは、入院設備を持つ病院や診療所において、夜間休日に勤務し外来入院診療を行う医師の一般的名称である。夜間勤務の場合宿直医、休日の日勤勤務の場合日直医と区別することもある。またこれらをまとめた宿日直医という表現が使われることもある。しかし、日本において、これらの「当直」「宿日直」という用語は必ずしも労働基準法で用いられる「宿日直業務」と一致しない実態がある(違法状態放置については後述)。・・・】

ということで、実質、宿直や宿日直と同じ言葉のようですが、それらと違って法律的な定義があるわけではないようです。(ちなみにウィキペディアはしばしば偏った解説がなされていて信憑性に欠けることが多いのですが、だとしても上記項目に関しては、その続き部分もなかなか興味深く読めました。興味のある方は訪れてみてください。)


さて、これだけでなく、似たような意味の一般的な言葉には、「時間外労働」「残業」「超過勤務」というのもありますよね。これを可能にするのが確か、「三六協定」なるものだったと、以前、愛育病院の問題の際に学びました。だいたいで言うと、労働基準法第36条に基づき、使用者と労働者の過半数が時間外・休日労働について協定を書面で締結して、管轄の官庁に届け出た場合には時間外労働が認められる、というものです。それでも割増賃金は必要ですし、制限時間もあったはず(それを超えるための特別協定を締結するのは条件が相当厳しい)ですよね。

しかし今回のニュース記事でも言及しているように、「病院管理者は、所管の労働基準監督署長の許可を得れば、36協定の締結や割増賃金の支払いなしに、医師に宿日直をさせることができる」ということなんだそうです。
(・・・ちなみに、これは何の定めによるものですか?)


こうしてみると、なんだか労働時間の問題ひとつとっても、医療の場合は次々規定が出てきて、どれに則って考えていけばよいのか・・・。ほんとうに素人にはついていけません!!


さらに、梅村議員の指摘「適正な労働環境と必要な医療提供体制を維持するためのコストが明確に示されなければ、国民側の負担の議論ができない」という点も非常にもっともです。コストの計算なんて、普通の経営者だったら行って当然のことですし、例えば株主にデータの提示を要求されて「わかりません」ではすまないですよね?(それがうやむやになってきたのが、今日までずるずると状況を悪化させてきた一因だった気もしますが、違うでしょうか?)

もちろん、そのあたりを明らかにするとなれば、国民もそれだけの追加負担を覚悟していなければなりません。今までは勤務医の方々のいわばボランティアで支えられていたところに、きちんと対価をつけるわけですから、しょうがありませんね。


医療の問題は、医師や患者の方々を中心に議論が進んでいますが(それは当然のことといえばそうなのですが)、その費用を負担する大多数の一般国民を無視していいはずはありませんよね。そのためには、統一された用語やデータ(数字)、つまり「共通言語」を使ってほしいなあと思います。それが、国民との議論のための最低限の準備という気がします。

そのための整備を、舛添大臣は縦割り行政の小競り合い云々に負けずに、言葉どおりに達成できるのか・・・。応援したいけれど、私ひとりに何が出来るかもわからず、ちょっともどかしい気持ちです。

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コメント

”””厚労省が「宿直」と同じ言葉なので分からなかったのだろう”””というのは、単なる開き直りであって、言葉が難しい訳では全くありません。

梅村議員の指摘は、単なる当てこすりです。

国民との共通言語と言うけれども、医療界以外で、こんな過酷な『宿直』が放置さレていはいません。
他の業界でこんな連続的強制労働を強いていたら、経営者はブタ箱行きです。

既に大勢の被害者がいるなかで、国民負担の増加を待たないといけない理由は何もありません。
違法な当直で、ピンはねされて休みも取れない勤務医が被害者として、名乗り出れば間違いなく労基署は、粛々と動くことでしょう。
縦割り行政なので、それこそ、厚生族の言い分に関係なく、労働族が動いても文句を言われる筋合いではありません。

勤務医に不法な権利侵害をして、国民が廉価で高度の医療ができる時代は終わりにしないといけません。

>Med_Lawさま

なるほど、縦割り行政を逆手に取ることで、迅速に対処できるという考えもありますね。

ただ、「共通言語」が必要だと思うのは、医療界にはいろいろな“特殊言語”があって、それが結局は医師を他の業界では異例ともいうべき過重労働+ピンはねの状態を認めることにつながっていると感じたからです。(国民への説明のため、というのが一番の理由ではない、ということです。ただ私としては、そういった特殊言語を整理することは、結局はいろいろなことを公明正大にして、業界内のウラワザや抜け道を絶つことにつながるのではないかという期待もあります。)

また、梅村議員もそういったピンはね状態をなくすために、「宿直」でなく、すべて労基法にもとづき36協定⇒時間外賃金を支払う方法をとればよい、と発言しているのだと思いますが・・・。

>堀米さま「病院管理者は、所管の労働基準監督署長の許可を得れば、36協定の締結や割増賃金の支払いなしに、医師に宿日直をさせることができる」

労働基準法41条に労働時間、休憩及び休日に関する規定は、監督若しくは管理の地位にある者や「断続的労働に従事する者で、使用者が行政官庁の許可を受けたもの」には適用しないとあるので、これが根拠ではないでしょうか。

管理監督者の規定を拡大解釈したのが、「名ばかり管理職」問題ですし、「断続的労働」を拡大解釈したのが勤務医の当直問題といえるのではないでしょうか。


本当のダブルスタンダードかどうかは、良く考えてみれば分かります。

医療法上の宿直とは
「第十六条  医業を行う病院の管理者は、病院に医師を宿直させなければならない。但し、病院に勤務する医師が、その病院に隣接した場所に居住する場合において、病院所在地の都道府県知事の許可を受けたときは、この限りでない。 」
ということで、まさに断続的でほとんど労働を伴わない勤務です。
だからこそ、隣の自宅で寝ていてもOKということになります。隣接してなくても、暇だし呼び出しで十分対応OKなら、許可でOKとなります。

単に、救急医療をするなら、常時病院内で仕事があるなら、3交代か、”宿直”以外で対応しなさいということであって、医療法上に”救急外来その他、病院にいる医師は自由に使え!”なんていうことは書いてありません。

救急担当医と、”宿直”医(通常、管理当直医とも言います)を別個に置くのは何の問題もありません。

特殊用語ではなく、単に頭の悪いフリをした方が得すると思った病院が悪いし、放置した国も責任があるということです。声を上げなかった、これまでの勤務医にも大いに責任がありますし、失った権利は返ってきません。
公立病院のように、病院責任=国の責任、自治体責任、ともなれば、泥棒に泥棒の番をさせているような具合です。

堀米さんは、自身を一般人として、簡単に御自身に免罪符を与えていますが、
一般人と言えば、何でも免責されるような言動は慎まれた方が宜しいかと思いますし、批判を受けつけたくないなら、看板背負って書かないことです。

普通の企業、特に中小企業の経営者は、労働者と社会的要請(≒労基署)の狭間で頑張って苦しみながら経営しています。
自治体病院管理者は、経営者として、労働者を使う責任を全く果たしていません。
断罪に価します。

>Med_Lawさま

>普通の企業、特に中小企業の経営者は、労働者と社会的要請(≒労基署)の狭間で頑張って苦しみながら経営しています。自治体病院管理者は、経営者として、労働者を使う責任を全く果たしていません。断罪に価します。

というのは全くそのとおりと思います。こんな状況が今まで黙認されてきたのは病院だけですよね。一刻も早く改善されるべきで、それはご指摘のとおり、言葉云々の議論を待っている場合ではないと思います。

言葉の議論が問題の本質とは別のものである以上、くだらないと思われるのももっともですが、ただ、医療法の第16条がいわば悪用されているような現状があるなら、どうせなら、そういう要素はなくすなり、きちんとした文言にするなりしておいたほうが、やっぱり無難かと思うのです。その議論に終始してしまっては本末転倒ですし、それは望みませんが。
(医療法16条からは、やはり単に「医師が病院の隣に住んでいない限り宿直をおくこと」という内容以上のことも以下のことも読み取れません・・・。わざと詳細に踏み込んでいないのではとさえ思います。もっとも、この法律も古いようなので、今のような状況は想定されていなかったのだと思いますが。)

法改正に時間や労力がかかるのはわかりますが、実態の改善をそれまで待てと言っているわけでもありません。もしくはそうした法改正自体に何か問題や弊害があるのでしょうか。だとしたら、そのあたりはよくわかりませんのでご指導いただけると幸いです。

>舛添大臣は縦割り行政の小競り合い云々に負けずに、言葉どおりに達成できるのか・・・。応援したいけれど、私ひとりに何が出来るかもわからず、ちょっともどかしい気持ちです。

ジャーナリズムにとって最も大事なのは独立不羈の政治的中立不偏精神です。選挙直前に特定政党や特定個人への個人的応援心を表明することはコメント全部のジャーナリズム不在を自己証明することになりますからご注意。

>前々期高齢者様

ご指摘いただきましたこと、肝に銘じます。私は制度問題と同様、政治問題にも疎いために、書き方が不適切であったかもしれません。もう少し厳密に書けば、舛添大臣を応援したいというよりも、上記の方策を推し進めてほしいのであって、その限りにおいてどんどんやっていただけたらとの思いでした。

であったとしても、やはり政治的に中立とまでは言えないのかもしれませんね。確かにブログと言うこともあり、私は自分の思いを率直に書かせていただいています。しかし、ロハス・メディカルの場を借りている以上、ここでの自分のアイデンティティについて、もう一度自問自答してみようと思います。それはMed_Lawさんにご指摘いただいた点ともつながることかと思いますので・・・。

いずれにしましても、皆さま今後ともご指導宜しくお願いいたします。

堀米くんの基本的スタンスは我々すでに感受性が涸渇し始めている年寄りから見て非常に新鮮で柔軟な感受性に溢れており、エネルギー豊かな若々しさが伝えてくれる発見に教えられることがたくさんあって常々感謝いたしております。
ただ年の功か古狸かは申しませんが我々程度の年齢になると政治家の発言は常に政治的なものであるということを熟知してくるものなのです。そしてジャーナリズムとはそのことを常に意識して化かされることがないように権力の監視を続ける必要があります。
今回ブロガーとしてご感想を述べられたのでしょうが、堀米くんは常々ジャーナリストとして舛添大臣に直接インタビュー取材を申し込むこともおできになる立場ですから、報道上の発言を読んだだけでご感想をブログに発表するのではなく、ジャーナリストとしての自分の感性を信じて直接インタビュー取材を敢行して自分の眼と耳と頭で大臣発言の真意を確認した後に、堀米君ならではのご感想をここ「ジャーナリストのブログ」に発表して欲しかったなと思い、苦言の形になって申し訳なかったですが書き込みました。
「気づき」を大切にする真のジャーナリストブロガーとしてますますのご活躍をなさることを老愛読者の一人としてお祈り致しております。

 医師不足・医療費不足の現状をそのままにして、医療を労働基準法の適応とすると日本の医療は完全崩壊するでしょう。厚労省の医療と労働という二つの部局から正反対の要求が出るところが面白いところですね。

 良いことか悪いことかは別にして、今まで医療界は、医師と患者、雇う側と勤務する側、病院と社会の双方とも相互信頼の上で行動してきたのだと思います。だから驚異的な低コストで医療を実現することができていた。
 ところが何もわかっていない官僚や司法・その他が医療を一般労働と同列に置き、政治家が自由競争を唱えれば、医療労働の対価は飛躍的に増大します。

 具体的には、週3回当直しようとも、受け持ち患者さんの具合が悪ければ当直でなくても泊まり込みになろうとも文句は言わなかった。ところが医療が単なるサービス業だと社会から見なされれば、当然、サービス残業はしなくなります。さらに医師の日常生活というもの患者を持つ以上、自由は制限されるものですから単価は高くなります。

 不遜な言い方に聞こえるかもしれませんが「医師は特別である」ということを認識していただくのが、最終的には日本の社会を救う道なのではないでしょうか。

堀米さま

ジャーナリズムに中立性を求めることは読み手側の期待感ではありますが、実際のところは、どうしてどうしてなかなか...

私はむしろ、
「正確な情報に裏付けられた事実を報じること」
「憶測をむやみに垂れ流さないこと」
「事実誤認があれば、直ちに訂正する潔さを保つこと」
「事実、伝聞、推測が容易に判別できるように書くこと」
なのではないかと思います。

バンキシャや週刊新潮のようなやり口にはうんざりです。

堀米さまの素直で謙虚なスタイル、私は好きですが。

ところで、このブログは川口さまの趣味という位置づけであったように記憶していますが、最近変わったのでしょうか?

>ジャーナリズムに中立性を求めることは読み手側の期待感ではありますが、実際のところは、どうしてどうしてなかなか...

読み手の期待など無関係にそもそも政治的中立性がないところにジャーナリズムは存在し得ません。

>前々期高齢者さま 一内科医さま

改めて、第三者として「人にものを伝える」ことの難しさをいろいろ勉強させていただいています。

お二方にご忠告いただいたことを真摯に受け止め、わきまえることはわきまえながらも、このブログではやはり私個人の主観をオモテに出させていってみたいと思っています。

実は、私はいまだに真のジャーナリストとは何たるか、心からわかることが出来ていません。ですから自分はときに記者であっても、自らジャーナリストの肩書きを背負ったことはありません。それが出来るとは思っていません。

その私が今この場を借りてできることは、日々のニュースの中で自分が引っかかった点を取り出し、自分の考えや意見とともにお示しして、皆様にご協力いただいて考えを深めることだと思っています。私の能力の限界を恥ずかしながら露呈することになりますが、それでも自分で完結させた答えを一方的にお示しするのでなく(←それではどうせ稚拙なままに終わってしまいますので)、等身大の自分でわかること・わからないことを開示して、多くの方にご指導いただきながら、もしふらっと私と同じレベルの方がこのブログを訪れてくださった時でも一緒に学ばせていただくことができればと思うのです。

ですので、例えば間違いなどありましたら(ないように考えを重ねたいとは思いますが)、見捨てず、放置せず、ぜひ厳しくご指導いただけると幸いです。宜しくお願いいたします。

>一内科医さま

「医師は特別である」ことを全面に掲げるというのは、昨今出てきている医療界側からの訴えとは逆転の発想で、非常に興味深いです!(これが医療側からのご発言であることに意味があるのですが。)

ただしそれを逆手にとるモンスターぺイシェントがいる今日では、やはり危険な手法ではあるかもしれませんね。「医師は特別」との使命感が、医師の方々を無言のまま過酷な労働に耐えさせてきました。それを当たり前と思ってしまっているところが、私たち患者にあることも否めません。かといって、ご指摘のとおり、医業を完全に普通のサービス業と同等にみなすなら、財政は破綻しそうです(だから「パンドラの箱」と呼ばれるのですよね)。

そう考えると、どっちがいいのか、難しいところですね。考え始めるとちょっと長くなりそうですので、せっかくですからブログに書いてみたい気がしてきました。ちょっと本当に検討してみます。

無視されているようなのでもう一度

「正確な情報に裏付けられた事実を報じること」
「憶測をむやみに垂れ流さないこと」
「事実誤認があれば、直ちに訂正する潔さを保つこと」
「事実、伝聞、推測が容易に判別できるように書くこと」

これが大事です。

以上

>KHPNさま

大変失礼いたしました。
私の2つ前の投稿の宛名は、「前々期高齢者さま KHPNさま」であるはずだったのです。単純しかし非常に失礼なミスで、申し訳ありませんでした。

ご指摘いただいた4つの点、守るようにいたします。とくに、ブログであるからこそ、意見や推測を入れる代わりに事実ときっちり分けるようにします。基本となることを改めてご指導いただき、気持ちが引き締まる思いです。ありがとうございます。

堀米さま

>私の2つ前の投稿の宛名は、「前々期高齢者さま KHPNさま」であるはずだったのです。

そうでしたか。こちらこそ、大変失礼いたしました。

>KHPNさま

いえいえ、本当にこちらが失礼いたしました。繰り返すことのないようにいたします。今後ともご指導の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

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