パブコメ「臨床研修の見直し(案)について」を提出しました |
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投稿者: 中村利仁 | 投稿日時: 2009年04月16日 16:53 |
いつも大変お世話になっております。
今般取りまとめられました「医師法第16条の2第1項に規定する臨床研修に関する省令の一部を改正する省令及び関連通知の一部改正(案)について」につきまして意見がありますので、下記の如く提出いたします。
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(以下、意見本文)
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本稿では専ら新規に導入の予定されている都道府県別および医療機関別の研修医定員の見直しについて述べる。なお、臨床研修の研修カリキュラムの在り方については、多くの医学教育の専門家から意見の寄せられることが予想できるため、本稿では触れない。
1.臨床研修医師定員の制約要因の検討
臨床研修のような専門職のOn-the-Job Training; OJTでは、主な制約要因は二つある。一つは研修の機会そのものである業務量であり、もうひとつは指導に当たる専門職の数である。
医師の場合、入退院患者数(以下、退院患者数)や外来患者数が過多の中で指導医あるいはそれに準じる医師(以下、指導医ら)が過少であれば、指導医らは日常業務に精一杯であって研修医の指導に割く時間が取れない。指導医らが不在の中では研修医は何もできない。あるいは危険を承知で監督不在の中で患者と接することとなる。これでは臨床研修制度がなかった時代と何ら変わるところがない。
また、患者が過少で指導医らが過多という状況は日本の現状では考えられないが、少なくとも研修医の数に対して患者数が過少であれば、研修医が必要な症例経験を積むことは困難であって、充分な研修効果は期待できない。
臨床研修制度を計画的に運用するとしたら、症例数と指導医らの数のバランスが重要となる。
まず、症例数で言えば、外来患者数と退院患者数の両方を考慮する必要がある。
ただし、わが国に於いては永年に亘って病院外来の機能縮小政策が採用されており、今回の「医師法第16条の2第1項に規定する臨床研修に関する省令の一部を改正する省令及び関連通知の一部改正(案)について」(以下、見直し案)においても「外来」という単語について一度も言及がない。政策的一貫性という点では当然ではあろうが、ここに研修制度の真実がないことを如実に反映していると考える。以下に述べることとは別に、臨床研修医が経験すべき外来患者の経験数についての検討が必要であったと考える。
退院患者数であるが、まず何よりも患者の安全確保のため、後述するように充分な指導医らのいることが前提である。その上で、研修医一人当たりで経験すべき適正な退院患者数を設定するならば、一定の幅で上限と下限を定める必要がある。ただし、幅があまりに大きいとその妥当性に疑いの生じる点には留意が必要であろう。どう考えても10倍は論外であり、2倍以内は現実的ではない。まず大きめに取って、徐々に収束させていくことが必要であろう。
指導医らで言えば、その勤務時間のどれほどを研修医の指導に振り向けることができるかが問われなければならない。一般企業でのOJTでは、指導者の労働時間のおおむね3割が研修者のために割かれていると言われている。指導医らがその他の医師が研修医のために勤務時間のどれほどを割いているのか、研修医の一人一人がどれほどの指導時間を必要としているのかを検討する必要がある。
少なくとも研修開始直後の最初の数十日の間は、研修医の全員が一定の時間を指導医らの直接指導監督下に過ごさなければならない。
たとえば指導医らがその勤務時間の平均1割を研修医の指導に割くとするなら、研修医の10倍の指導医らがいる場合ではじめてフルタイムの個別指導が行える。4倍しかいないのであれば、研修医の勤務時間の6割は単なる見学や集団指導、自習等に留まらざるを得ない。
同様に研修医の3倍の指導医らがいる場合であれば、指導医らがその勤務時間の平均3割以上を研修医の指導に割くとして、はじめてフルタイムの指導が行える。
もちろん、研修医は月日を重ねるに連れて事後報告などにより短時間で指導可能となる。しかしその時点を基準にするならば、充分な指導時間の取られることはないであろう。
また、指導医ら自身が法定労働時間を遙かに超過して勤務しているようでは、研修医の指導に充分な時間の割けるはずもなく、論外であろう。まずは指導医らの労働時間管理と外来及び入院診療時間の調査分析と具体的な数字の検討の上での議論が必要と考える。
2.医師数のいわゆる都道府県別偏在についての検討
少なくとも入院医療については、患者は都道府県を越えて移動することは比較的困難である。流出入のいずれかが10%を超えるのはわずか6つの都県であり、27の道県においては5%に及ばない。交通至便な首都圏にあっても入院患者の移動は決して多くなく、最大でも東京都からの流出患者15.4%に過ぎない。(厚生労働省大臣官房統計情報部 平成17年度患者調査)
既述したように外来患者という要素を全く無視して議論を進めることは根本的に問題があることは重々承知しているが、それは入院医療について議論することを妨げるものではないし、後述するように、見直し案に於いて提案されたアルゴリズムが外来医療について検討した上で案出されたものとも思えない。
その上で考えるに、初期研修医2年分のおよそ1万5千人は病院勤務医全体のおよそ1割を占めており、これは決して軽視しうるものではない。しかしながら、この数がそのまま労働力であると考えるなら、それは前項で考察したように大きな問題がある。
都道府県別に研修医を振り分けるとしたら、それは研修医の臨床経験を確保するための方法としてのみ考える必要がある。であれば、算定の根拠は都道府県別退院患者数等であるのが合理的であろう。
やむを得ない場合に有病率と密接な関連のある年齢構成を考慮・補正した人口を算出の根拠とすることには一定の合理性があるとは考えるが、実際に患者数のデータが存在するのに、わざわざその遠い近似値に過ぎない単なる人口を医師分配の根拠とすることが充分に合理的とは考えられない。
それに加味するのであれば、都道府県別の臨床研修病院に所属する指導医らの数ということになるであろう。
平成18年病院報告(厚生労働省大臣官房統計情報部)より、研修医の募集枠を1万人として、1)退院患者数、2)病院従事医師数(常勤換算)、3)病院従事医師数(常勤医のみ)の都道府県別割合によって単純に按分する試算を以下に示す。
つまり、各研修施設の意図はともかく、都道府県全体の傾向としてはおおむね退院患者数に応じた募集という結果になっていることが見て取れる。ここでは複雑な計算は必要ない。
採用実績では試算との懸隔が大きい場合が多いが、募集人員が過大と考えられる場合でも、採用実績が各試算を大きく超えることは少なく、研修医の選択に一定の合理性が見て取れる。
ただし、当然のことながら、本試算にもやはりいくつかの問題がある。
まず、既述したように本来重要な要素であるはずの外来機能が評価されていない。
平成18年当時の研修医の数が医師数の中に含まれており、本来の指導医らの数との間に大きな乖離のある都道府県があるであろうことに留意が必要である。
退院患者数からの試算については、2年以上のズレがあり、また、その病院従事医師に対しての負荷の程度が勘案されていない。全国的に病院従事医師に対して過剰な負担が常態化していると言われるが、それが特に烈しい地域の場合、研修の効果と安全性を考えると研修医は逆にそれら地域への配置は回避されるべきであり、また、あまりにも医師の数に対して患者数の少ない地域では、経験が期待できないかも知れないということが評価されていない。
都道府県別に見ると一病院当たりの平均医師数には大きな格差がある。
医師数が5名にも満たないような病院では、指導医らの数という点で臨床研修の単独型・管理型施設として不適当であるだけでなく、それら小規模施設がさらに平均在院日数が長く、医師一人当たり退院患者数が少ない場合には、その占める割合が多い都道府県にあっては、平均値としての医師一人当たり退院患者数は低下するが、他方、急性期患者の集約化が行われている大規模施設では医師一人当たり退院患者数は多くなり、平均値が研修病院の実態を表現できていない可能性が高い。
具体的には福岡県を除く九州各県や四国4県と北海道で平均病院医師規模が小さいので、病院間格差に注意が必要であると考える。
3.見直し案の「2.臨床研修病院の指定基準について」について
まず、「年間入院患者数が3000人以上」とされているが、年間入院患者数3000人とは、平均在院日数20日の全て一般病床としておよそ170床の病院に相当する。平均的な市中病院であれば医師数は常勤換算で30人弱、看護師数で約100人となる。確かに単独型としては些か小規模に過ぎると考えるが、診療科や外来機能などをも考慮すれば管理型としては充分なボリュームである場合も考えられる。逆にこの数倍の規模であっても、研修医の関係しない診療科の患者ばかりであれば、協力型施設としてすら無理がある。その点では、充分な症例経験という目的から現状よりもむしろ形骸化した基準である。
また、研修医が多ければ、研修医一人当たりの経験を積むことが難しくなる。そのバランスという視点が欠落している。
いずれにせよ、病院全体の症例数などは指定基準としては意味がない。どうせならよりキメの細かいものとするか、あるいはもっと研修成果に着目したものとすべきであろう。
CPCについては患者本人と遺族の意志が無視できないという問題があり、解剖率を上げることは困難な状況が続いている。漫然とCPCについてのみ言及するばかりでなく、病理解剖以外の死亡時医学検索の手法の活用や、次善の策として複数診療科に跨る morbidity & mortality conferenceを代用とすることについても考慮する必要がある。
必要な講習等を受けた指導医に対する研修医の数を制限することにどれほどの意味があるのかはよくわからないが、少なくとも、指導医らと研修医の数の比には、時間という要素を仲立ちにして、既述したようにOJTの制約要因としての意味合いがある。指導医の指導技術の水準の向上という課題とは別に、単純に研修医が必要とする指導医らの数についての検討があって然るべきであろう。
4.見直し案の「3 研修医の募集定員について」
募集定員の設定の方法について、都道府県別に見ても、個々の研修病院について見ても、OJTの特性に十分な配慮をした上での合理性を見て取ることができない。はっきり言えば、誰の目から見ても説得力がないのではないか。
都道府県別には、有病率等の違いを考慮しない実人口で按分しようと言うところがまず間違っている。医学部入学定員を算定の根拠にすると、医学部の集中している地域に重点的に研修医が配置され、一部の例外を除けば、大都市圏優先となる。それでいいのか?
面積当たりの医師数には意味がない。僻地や離島の人口は医療を提供する側としては大きな問題ではあるが、島嶼地域は土地が無くて海が島々を隔てている。人のほとんど住まない山岳地帯や地続きの僻地と別扱いというのも互いに説得力がない。また、どうせ僻地離島の医療に進む者は多くないし、志の無い者が素見に来ても単に迷惑なのだと言うことが理解されているとは思えない。それとも広い土地や海が研修医を育ててくれるとでも言うのか?
研修病院への一律10%の削減というのも、意味がない。6年後、医師養成数が増えたら、今度は一律10%増加させるのであろうか。
若い医師の一般的診療能力の底上げを図るのなら、充分な症例経験と指導の機会と質を保証する研修病院に研修医を集め、そうでないところには採用させるべきでない。
5.最後に
研修医を戦力化できる医療機関には一定の傾向がある。細分化した縦割り型の診療体制を行っていたのでは、研修医を戦力として扱うことは全くできない。指導医らをはじめとして病院全体が研修医の指導に熱心で診療科間の協力体制が密であれば、研修医と雖も貴重な医師としての役割を果たすことができるが、細分化した縦割り型の診療体制の中では、終始、単なるお客さんに過ぎない。
大学病院本院は原則として特定機能病院であり、多くの場合は細分化した縦割り型の診療体制にあり、臨床研修にはそぐわない。臨床研修を担うのであれば、分院や教育病院の確保が必要であろう。
今回の見直し案は、巷間、学徒出陣とも呼ばれている。
若手の病院勤務医の不足は深刻であり、一概にそれを否定はできないが、ただし、その点についてだけでも効果を期待するためには、選択と集中が必要であり、再考の必要有りと考える。
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(以上、意見本文ここまで)
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Toshihito "rijin" Nakamura MD PhD
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060−8638
札幌市北区北15条西7丁目
北海道大学大学院医学研究科
社会医学系
社会医療管理学講座
医療システム学分野
助教・医師・博士(医学)
中 村 利 仁
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コメント
たいへん立派なパブリックコメント、お疲れさまです。私も短いながら、疑念と反対を表明するパブコメを送りました。
中村さま
論文としては、良くできていると思いますが、政策への提言としてみると、結論は「制度見直しは不要で、現状のままで良い」ということなのでしょうか?
中村先生、こんにちは。
いつも正確なデータに基づいて緻密な分析を積み重ねた論考をありがとうございます。
最近全国の様々な病院訪れてお話をする機会が多いので、地方によって(あるいは関連大学によって)病院によって研修医に向き合う姿勢が大きく異なっていることを実感しています。中村先生が指摘されているように、病院全体の姿勢(あるいは文化)によって研修医が戦力になっている病院と戦力になっていない病院があります。また「研修医は前面に出さない」という病院と「研修医を前面に出して、後ろでそれをよくみていてバックアップする屋根瓦方式」の病院とで、驚くほどの研修成果の違いがあるように思います。
最近の学生は、病院見学でその文化の違いを感じ取り、よく考えて病院選択をしています。そのような現実を踏まえずに人数の県別病院別の上限設定をするという暴挙にでるのは、どのような思考過程を経たものなのか不思議です。
私も断固反対のパブコメを書きました。
道標主人さま、安藤哲朗先生、こんにちは。
この問題は関係者が多くて各々立場からの現状の評価も様々です。互いに関心領域が異なっていて、しばしば議論がすれ違っています。たとえ同じ問題であっても、置かれた環境によっては見えるものそのものや利害が互いに異なります。
各論反対が多くなるだろうと思いますが、統一された形での反対は出にくいだろうと思います。
パンダ さま、こんにちは。
計画配置という部分については、おっしゃるとおりです。そもそもの発想にもアルゴリズムにも無理があるので、むしろ現状放置で良いだろうと思っています。
全体の過不足と配分の最適化は別問題です。絶対的不足を配分の変更で補うことはできません。ある程度の過剰があってはじめて再配分が意味を持ちます。
まして研修医が経験を積みやすい地域や施設、戦力化できる施設とできない施設が比較的はっきりしており、研修医の多数派は自分自身の問題としてそれらをおおむね適切に選択している様子がうかがわれます。
中央政府がこれらに干渉することが許されるとしたら、それは地域エゴや施設のエゴがそれを歪めないようにというただ一点だけであろうと考えます。
>中村さま
>中央政府がこれらに干渉することが許されるとしたら、それは地域エゴや施設のエゴがそれを歪めないようにというただ一点だけであろう
確かに、研修医の「偏在」があるとすれば、量的な要因というよりも研修プログラムが魅力的であるか否かという「質的な」要因が主因なんでしょうから、それを量的規制をしても政策効果は期待できないというのは一理あると思います。
ただ、「ある程度の過剰があってはじめて再配分が意味を持つ」というのが、現状の1.3倍なら意味を持って、改正案の1,1倍なら意味を持たないのかどうかという検証はされているんでしょうか?
お説の中で、医師数が退院患者数に比例しているのは現状に反する旨の指摘があるように思いますが、そもそも病院医師数は主として病床数によって規定されており、病床数と退院患者数が交絡因子であることは明らかなので、医師定数を決める上で見かけ上退院患者数とリンクするのは当然のような気がするのですが?
あと、天下の帝国大学の学部長が、卒業して直ちに基礎医学に進む者がゼロになったと嘆いていらっしゃるようですが、現在の制度でも卒業して直ちに基礎医学に進む道を閉ざしている訳ではなく(しかも、医師免許の取得は可能)、スカラーシップなりリサーチレジデントなりの道を作ってあげれば彼らの生活の糧も見出せるのに、それもしないで嘆いているだけというのは如何なものかという気はします。
パンダ さま、こんにちは。
> ただ、「ある程度の過剰があってはじめて再配分が意味を持つ」というのが、
これは過不足と資源配分の最適化を巡るごく普通の一般論のつもりです。
> 現状の1.3倍なら意味を持って、改正案の1,1倍なら意味を持たないのかどうかという検証はされているんでしょうか?
その数字をどこから持ってこられたのかが分かりません。ご教示下さい。
> お説の中で、医師数が退院患者数に比例しているのは現状に反する旨の指摘があるように思いますが、…
お願いですから、もう少し丁寧に書いていただけませんか。議論されたいことが自分には分かりません。
>中村さま
今回の臨床研修制度見直しの募集定員に関しての内容は、
現在11000人程度ある研修医の募集人員を9500人程度に削減する。
削減に際しては、機械的ではなく、地域の実情に応じて行う。
ということではないのでしょうか?
新規の研修医というのは7500~8000人くらいでしょうから、「ある程度の過剰があってはじめて再配分が意味を持つ」という先生のご指摘はご尤もですが、それは9500人になっても研修医の数に比べて多いので、十分意味を持つんじゃないですかと、そうしたことも考えて制度を仕組んでますよと言われてしまうと反論できるんでしょうか?
パンダ さま、こんにちは。
根本的なところで誤解されてしまったようで、残念です。
計画配置という発想は、今回研修医を対象として実施される見込みですが、まず、どこでも研修医を戦力化できるという発想に問題があることは既に指摘しておりますが、病院勤務医全体についても、全体的不足(…部分的過剰はあると考えていますが)という状況下では、配分の変更によって不足を補うことはできないということを申し上げています。
研修医の募集枠の過剰についてではありません。
募集枠の過剰ということを論じることには全く意味がないと考えています。
論じるべきなのは、その研修病院で研修医達が質・量充分なOJTが受けられるかどうかでしょう。都道府県別の募集枠のアルゴリズムには説得力が無く、無意味且つ不要であり、研修病院別のそれは、やはり算定根拠に説得力がなく(…医師派遣と研修の質・量に何の関係があるというのでしょう?)、余計なお世話で、現場を知らない素人の妄言です。
…正直申し上げて、こういう誤読がされるとは思っていなかったので意外です。自分の説明はくどい方なので、誤解の余地はあまりないと考えていました。
研修医は歓迎されているのか
現在の研修制度が始まるときから議論があったのですが、「大手」の大学病院では研修を市中病院が受けてくれることを歓迎していました。教育に最も手のかかる研修医を敬遠し、後期研修から受け入れれば「即戦力」として助かるという考え方です。市中病院が無尽蔵に研修終了後の意志を抱えられるわけではないので、やがては帰ってくるだろうということでした。この考え方は今も「大手」大学では変わっていません。さらに今回医学部の定員を増やすという話が出たときも「教官数を増やさずに学生を増やすのは無理だ。附属病院が赤字になって病院業務が増えているのにこれ以上学生の相手をしていられない。」という意見が多くの大学で出たことも事実です。
一方で、「初期研修を外部で」という考え方に同調していた大学の中でも東京・京都・大阪・福岡以外では、後期研修医が期待したほど戻ってこないという事態に至っています。結局最初に研修を受けた病院にはとどまらないとしても、同じ医療圏内、あるいは学閥圏内にとどまる確率が高いということです。
これは医師の絶対数の不足がベースにあることも事実です。医師が充足していると思われていた東京であっても「過剰」となるほどいるわけではなく、まだ新規開業してもやっていけるだけの医療需要があるから、あるいは後期研修を受け入れくれる病院があるから、その地にとどまってしまうのです。
今回の地域枠設定の話は、初期研修終了後にもその地にとどまる確率が高いという統計結果だけを見て、その背景を考えずに初期研修を地域で行えば、地域で働く医師が増えるだろうという推論を行った結果です。臨床研修制度は初めから論理を間違えているのですが、今回話題になった学生の方々も反論の視点がずれていると思われます。討論会に参加された大御所たちの多くは、初めから研修医の教育を自分たちはやりたくない、即戦力になってから戻ってきて欲しいと思っているのですから。
本質はシンプルです。我が国では「医師」が足りません。この「医師」とは実労働者としての医師だけではなく、次世代を担う医師も、そしてそういう医師を養成するための教育者たる医師も足りません。このままの「医師」数でやっていくためには、国民の医療需要を減らすしかありません。災害時医療と同様にトリアージするしかないのです。トリアージの基準を患者の財力に置くか、患者の居住地に置くか、患者の年齢に置くか、みんなが均等に我慢する方法にするか、という選択なのです。或いは医療者を我が国よりさらに医療者が不足している国から「輸入」するか、移民などによって国民を減らすかです。