木村盛世さん。

投稿者: | 投稿日時: 2009年05月02日 16:14

新型インフルエンザ、水際封じ込めはナンセンス」でインタビューを受けている厚生労働省検疫官の木村盛世さんの行動力に圧倒されました。(ちなみに新型インフルエンザの木村さんの考え方は、上記ニュースのほか、ご本人のオフィシャルWEBサイト「新型インフルエンザ」の項目に興味深いエントリーがアップされています。)


ジョンズ・ホプキンス大学でデルタオメガスカラーシップを受賞してMPHを取得したような優秀な人材が、「一人ひとりは非常に臆病な羊。でも群れると狼になって意地悪をする」集団の中で、「ダメなものはダメと言い続けて」、「イジメ」を受け、「飛ばされ飛ばされ続けてい」る・・・。それでも辞めず、黙らずに、現役であることにこだわって本まで出版されました。


日本人の健康と命を預かるトップの組織がそんな体質でよいのか、という思いは当然あります。しかしそれは今日に始まったことではないし、きっと大小さまざまな組織が多かれ少なかれ抱えている問題だと思います。

私は今回、ただただ自分の生き方を振り返らずにいられなかったのです。

木村氏は、言います。「私も親の背中を見て育ちました。親がウソをついたり、ズルしたり、そういう姿も全部見ている。だからそういうことをしないで正々堂々としているというのも自分の役割かなと思っています」


私と木村氏とでは、いろいろなことが「月とすっぽん」くらいに違うけれど、それでもすごく共感している自分がいました。


親になったこと、親であることは、私の行動規範に大きく影響しています。一番些細な例は、横断歩道の信号です。以前「信号無視をして法律上罰せられるのは、車両だけ」「歩行者用の信号を無視して損をするのは、事故にあったときだけ」「日本人は律儀に待っているなあ」などと思いながら、普通に赤信号を歩いて渡っていました。今ではちょっと違います。2歳の息子が見ているのを意識して、ものすごく“律儀に”青になるのを待って、右左見た後に、また右まで見てから渡ります。車なんて来ていなくても、です。今でも、自分ひとりのときは、たまに赤信号を渡りますが、ちょっと良心が痛んでいる自分がいます。息子を連れていなくても、付近に1人でも子どもがいれば、ちゃんと待ちます(以前はそこまで考えませんでした)。


・・・なんて、本当にすごく些細なことですみません。でももちろん、これだけではありません。子どもがいるからやめようと思うこと、子どもがいるからやろうと思えること、たくさんあります。世間では多くの男性が、「家族があるから」、すなわち家族を養わねばならない、その責任があるから、という理由で、社会的・対外的に“守り”の姿勢に入ることが珍しくありません。もちろん女性もまたしかりかもしれません(家計をどの程度背負っているか、という点も現実的な問題かもしれないですね)。しかし逆に、木村氏のように、子どもがいても、あるいはいるからこそ、「正しいことを正しいと言う」、その意志を曲げない信念が生まれることもあるんですね。


私も、非常にささやかなレベルながら、後者であることが増えました。10年以上も前、10代後半から20代前半の頃、社会の矛盾をいろいろな場面で感じながら自分には何ができるのか、何もできないなあ、と時々ふと厭世的というか、社会に対して漠然と否定的な思いに駆られることがありました(ご想像のとおり基本的には暢気な毎日だったので、かなり時々ではあったのですが)。そんな時に思ったのが「他人は変えられないから、変えられるとしたら自分。他人は教育できないから、教育できるとしたら自分の子どもだろう」ということでした。


もちろん、実際には子どもは全然、親の言うなりにはなりません。とくに今は2歳で反抗期ですが、0歳の時から叱られると睨み返してきたりする恐ろしい一面を持つ赤ん坊でした。1歳からは、叱る親に反撃パンチを食らわせ、さらに叱られても決して謝ろうとしません。謝るのは負けだと知ってるんですね。要は甘ったれです。


でも、そうなるとますます、「教育」というのは「ああしましょう、こうしましょう、こうしてはいけません」と口やかましく言うことではないのだろうと思わされます。正しいことと正しくないことを、きちんと身をもって示すことなんだろうと、身が引き締まる思いです。びっくりするくらい、子どもは何でもよく見ているので(例えば玄関で外出する人に靴を揃えて置いてあげることなど、別にやれと教えたわけでも意識して見せたわけでもないのに、突然「はいどうぞ」とやり出すんですね)。


思えば自分も両親の背中を見て育ちました。彼らが嘘をついたり、ズルをしたり、というのは今でも想像がつきませんが、そういうわかりやすい部分だけでなく、一緒に道を歩いている時に見知らぬ人に見せる小さな親切や、一緒にテレビを見ていて現れる「公正」「正義」というものの考え方、そういう何気ないところについて、知らないうちに影響を受けてきたんだろうと思います。


自分に木村氏ほどの強さがあるかというと、残念ながら自信がありません。しかし子どもがますます成長していくにつれ、自分もいろいろな意味で、強くなっていかねばと思います。強くありたいと思います。本当によく言われることですが、子どもを育てるということは、自分も成長させられることなんですね。子どもに育ててもらうんだ、という言い方もされますが、すごく正しい気がします。

そんな当たり前のことを改めて感じました。木村氏に、その凛とした姿勢に、勇気づけられた思いです。


さて、ということで、とりあえず今回は、手洗いとうがいの徹底から始めましょう、ということなんでしょうね。

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