感染拡大防止策――保育園や学校が一時閉鎖になると |
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投稿者: | 投稿日時: 2009年06月03日 16:58 |
昨日の新聞報道にこんなのがありました。
<新型インフル>企業の損失437億円 休校時に親も休むと
毎日新聞 6月2日
「新型インフルエンザの感染拡大を防ぐため、小学校や幼稚園、保育園が1週間休校すると、共働きの親のどちらかが仕事を休むことで企業が被る経済的損失は首都圏で437億円に上る」というのです。
それでもやはり、保育園や学校は休校にしたほうがよいのでしょうか・・・。
これに関連して昨年、英仏の研究チームが英科学誌『Nature』に“Estimating the impact of school closure on influenza transmission from Sentinel data”と題した発表を行っています(原文はこちらから)。フランスの小中高校ではインフルエンザの流行する冬に約2ヶ月間の冬休みがあることを利用し、子どもたちの行動を類推して学校閉鎖の効果を推計したものです。
この発表については、日本でも新聞報道がありました。「流行国の患者総数は、学校閉鎖を実施しない場合と比べて13~17%減少、特に流行のピーク時の患者数は39~45%減(18歳未満では47~52%減)になる」との予測の部分を強調し、「子供が外出を控えれば効果が更に高まる」といった書き方で、学校閉鎖の効果に対するポジティブな印象を与えるものでした。
ところが、『Nature』や、当時これについて報じたロイターの記事を見てみると、どうも様子が違うのです。もちろんそこでも、スペイン風邪の際、アメリカ国内で早期に学校閉鎖とパブリック集会禁止を行った町では、そうした措置を行わなかった他の都市に比べて死者が半数で済んだことは指摘されています。しかし、問題点のほうがむしろ強調されているようなのです。
『Nature』では、“We show that holidays lead to a 20–29% reduction in the rate at which influenza is transmitted to children, but that they have no detectable effect on the contact patterns of adults.”また、“The impact of school closure would be reduced if it proved difficult to maintain low contact rates among children for a prolonged period.”という書き方もされています。つまり成人の感染防止に効果は期待できず、また子ども同士をその間ずっと接触させないようにしていなければ、子どもに関する感染防止効果も弱まる、と釘を刺しているのです。
ロイターの記事“School closings may be no holiday for flu pandemic”でも、上記の論文の執筆者の一人が“We find school closings would be less effective than some studies have suggested”とまで発言しています。さらに、現実問題として何ヶ月も仕事を休むことはできないため、パンデミックの期間が長引いた場合に、親たちが民間の無認可託児所に子供達を預ける可能性を指摘。それを「政府がパンデミック対策を練る中で、十分考慮すべきリスクの一つ」としています。
学校閉鎖に感染拡大防止の効果を期待するのは、それほど簡単なことではないのですね。であればなおさら、最初に言及した経済的損失の考慮も重要になってきます。この試算をまとめた経済研究所の研究員は、「共働き世帯を支える国や職場の体制は先進国の中で最も遅れている。強毒性の新型インフルエンザが流行すると、このままでは損失額は10~100倍以上になるとみている」と指摘していますが、たしかに学校や保育園の閉鎖が長引けば長引くほど損失は大きくなりますから、再開するかの判断をどの時点でどのような手続きで行うのか等をあらかじめ議論して決めておく必要がありそうです。ちなみにCDCは今回、5日で学校閉鎖の勧告を撤回するなど、非常に柔軟に対応しました。
ところで昨日の記事には、同研究所のまとめとして、「親が休まなくてもすむような国の保育・教育体制づくりが急務と指摘している」とあります。
そうかもしれないのですが・・・うん? やっぱりちょっとひっかかります。もちろん「このままでは」「親が休まなく」てはならないし、「損失額は10~100倍以上になる」かもしれませんが、では、「親が休まなくてもすむような国の保育・教育体制づくり」というのは、具体的にどういうものでしょうか? 単純に考えて「親が休まなくてもすむ」のは、学校や保育園を閉鎖しない場合だと思うのですが・・・。
確かにNatureの論文からしても、学校閉鎖等を絶対視することはできません。しかし子どもの感染率低下に効果が期待できないわけではない以上、学校閉鎖を行わないというのはかえって現実的でない気がします。
となれば、むしろCDCのように臨機応変の判断こそ大切なはずです。ただし、いずれにしても状況は地域ごとに大きく異なるかもしれませんから、そうした判断は最終的には地域に委ねるのが懸命に思えます。となると国の役割は、当事者の声を吸い上げて大まかな指針を確立することや、閉鎖により経済損失にも地域差が出てくることを見越して対応を事前に検討しておいていただくことかな、と思うのです。
つまり、「親が休まなくてもすむ」体制づくりでなく、「親が休まざるを得ない状況を想定して、その経済的損失をいかに迎え撃ち、軽減するか。それを議論し、国民に示し、整備していくことで、納得・安心に導ける」体制をつくっていくことこそが「急務」なのでは?
・・・と、その部分を読みながら考えたのでした。
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コメント
関西で起こった高校生の集団感染が、5月ではなく、大学入試のセンター試験直前の1月に発生したとしたら。都道府県ごとの対策を決定しなければならない立場の知事は、県内の全高校を1週間以上休校させるかどうか、悩むだろうなぁ~。
東海地震の警戒警報が発令された場合、新幹線をはじめ警戒区域の全ての鉄道を停止させ、企業や学校は直ちに休業して閉鎖するように、大規模地震対策特別措置法に規定されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E5%9C%B0%E9%9C%87
だけど、地震予知警報が出されても万一空振りだった場合の社会的混乱を考えると、これだけ大規模な地震災害予防措置は、逆に政治的責任が恐くて誰も発動できないだろう。すなわち余りに計画が立派で厳し過ぎて、実際には使えない「お飾りの計画」になっていると言われている。
新型インフルエンザ対策を含めた感染症法に定めた対策措置が、実際に発動したときに感染拡大防止に効果が期待できるかという医学的見積もりと、発動にによる社会的混乱のダメージの大きさを見積もって、何処まで予防措置を実施するかの政治的判断は、非常に悩ましいところだと思う。
堀米さま
>「親が休まなくてもすむ」体制
に関して、面白い記事をみつけました。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/20090602/331151/?ST=management
それによると、「SARS(重症急性呼吸器症候群)で死者を出したことのある国々では、日本よりはるかに、遠隔勤務への取り組みが進んでいる」のだそうです。
企業にとっては、保育・教育の面のみならず、遠隔勤務や事業継続計画における優先順位付けなどの要素が重要なようです。
まず最初に、私は検疫にも学校閉鎖にも反対です。
今回の一連の国の対策に対して、批判する声が色々上がる中、検疫は必要だがやり方が間違っているという意見と、検疫そのものがばかげているという意見がありますし、学校閉鎖についても感染拡大防止策として有効だが経済的損失を心配する立場や進学への影響などを心配する立場と、インフルエンザに対して学校閉鎖自体を疑問視する立場があるように思います。
本質的に、感染症対策は患者を隔離するのではなく、各個人が自分の信じる方法で自分を守るべきものと思います。マスクが有効と信じるのなら自分がマスクをすればよいし、子供を休ませるのがよいと思えば休ませればよいでしょう。他人がマスクするかしないかを問題視することは間違っていると思います。咳のエチケットにしても、咳をする人の何パーセントがインフルエンザあるいは感染性の呼吸器疾患なのでしょうか。喘息の方、肺がんの方、心疾患の方が咳をしているのを見て眉をひそめている人を見ることはとても嫌な気分です。
感染症対策に経済効果を引き合いに出すことも非常に嫌悪感を感じます。たとえばエボラや西ナイルなど、検疫で国内流入防止効果が高いと思われる感染力の強い重篤疾患については経済効果は関係なく頑張るべきと思います。一方感染経路のわかっていないインフルエンザに対して検疫体制や学校閉鎖などの対策をとることは、本質的に間違っていると思います。通常のインフルエンザ(季節性という表現は個人的に好みません)の流行に渡り鳥が関係ないことはほぼ間違いないことだと思いますし、旅行者が媒介の主体でないこともスペイン風邪の流行速度を見ても、あるいは毎年のインフルエンザ感染マップを見ても明らかでしょう。
私個人と友人の当直業務での今年の経験からで、非常に根拠の薄い話ですし、今となっては確かめるすべもないのですが、今年の春の甲子園が終了するころから北海道の一部、東京、神奈川、大阪、兵庫で学生を中心とするインフルエンザAが流行し、学級閉鎖など起こりました。これまで25年にわたる医者生活で初めての経験です。おそらく国内幹線の第一発見者となられた先生も私どもと同じ違和感を感じ、検査を行ったのでしょう。
いくつかの地域は甲子園出場校の地域です。神戸・大阪のウィルスはかなり早い時期に別系統に「進化」したもののという発表がありました。いいかえれば検疫体制をとってからの見逃し症例ではない可能性も高いと思います。
検疫が機能せずにすり抜けた症例はすでに5例を超え、2次感染も10例を超えたのでしょうか。最近はめっきり報道されなくなり実数がつかみづらくなっていますが、検疫で隔離した症例数を超える検疫すり抜け例が出る体制は、検疫体制が不十分なのか、そもそも検疫が不可能なのか。私は不可能だと思います。
インフルエンザの専門家と称して対策案を練っておられる方々で、年間50例以上のインフルエンザを診療している方は一体何人おられるのでしょうか。インフルエンザは世界中のどこの国においても罹患率、重症化率、死亡率を出せないことを何人の方が知っておられるのでしょうか。某県の感染症対策を策定している「専門家」が、N95マスクを数日間は使用できる、ビニール袋に入れて翌日また使えばよいと言っていたことを御存知でしょうか。通常インフルエンザは冬季に流行しますが、気温がウィルスの活動を抑えるという説には何ら根拠がないことを「専門科」の方たちは御存知でしょうか。そもそもインフルエンザによる肺炎で、肺の炎症はウィルスによるものか、それ以外の理由によるものか、御存知なのでしょうか。
ふじたん様
>検疫そのものが不要。
まあ冷静に考えてみれば確かにそうですね。インフルエンザに対する検疫の目指すところを押し進めていくと、最終的にハンセン病患者の隔離策と同じ倫理的過ちをおかすことになりそうです。ご教示ありがとうございました。
ふじたんさま
>検疫は必要だがやり方が間違っているという意見と、検疫そのものがばかげているという意見がありますし
実は、米国でも制度としての「検疫」はあり、CDCがやっているようです。ただ、「やり方」がわが国と違うのは確かなようです。
http://www.cdc.gov/ncidod/dq/facts2.htm
米国の国際空港の中を探検してみるとCDCのオフィスがちゃんとあってびっくりすることがあります。
パンダ様
はい。ほとんどすべての国が検疫を行うための法律、行う組織、行動を定めたマニュアルを持っています。
対象とする疾患は感染力の強い疾患で、国内には存在しないか非常にまれな疾患で、国内に広がると社会的影響が大きな疾患です。ここまではほぼ世界共通でしょう。
感染から発症までの期間が短く症状が分かりやすい疾患は検疫しやすく、逆の場合は非常に困難です。また特定の動物からのみ感染するなど感染経路を絞りやすい場合も比較的検疫しやすく、ヒトからヒトへの空気感染となるとかなり困難で、感染経路不明の場合は検疫はほとんど不可能です。
インフルエンザの場合、ブタであっても鳥であっても、これらの前提条件から検疫の困難な疾患に分類されます。CDCはこれらの前提条件に忠実ですし、日本はほとんど無視しているようです。
ちなみに発熱外来は医療機関における検疫で、これも無意味です。
皆様
検疫についての議論は以前よりありましたが、具体的でわかりやすい指摘をありがとうございます。
確かにふじたんさんのおっしゃるように、インフルエンザについては私もこのところ最終的に、その性質上、検疫はほぼ無意味だろうと思うようになっています。当初は限られた情報でそう思ってしまったのですが、一時多くのことをいろいろな人からご教示いただき、さらに調べるうちにやはりもとの結論に戻ってきた感じです。とはいえ、いずれにしてもあくまでこの問題が生じてから得た知識を総動員しての素人判断ではありますが・・・。
しかしそこで思うのが、私のような非医療者でも、情報に数接していくうちにそうした判断を下すようになる、ということです。ですが、それらの情報は政府の正式見解でもありませんし、世の中の多くの人は私以上にずっと限られた情報しか受け取っていませんよね。テレビに出てきた麻生総理に、「冷静な対応を」とただただ言われ続けている。その恐ろしさに改めて気づかされる思いです。
ハンセン病の隔離政策のお話も出てきましたが、かつては国民は皆それを正しいことと信じて疑っていなかったのです。それは今よりもずっと情報流通が限られていたことが大きいかと思いますが、それでも行政の対応について見れば、当時と今でどれだけの違いがあるのか。そう思うと、そうした行政に国民の健康を任せること自体も、とても不安になってきてしまいます。
堀米さま
>検疫はほぼ無意味
この言葉は、公共政策としての公衆衛生を勉強している者として違和感があります。確かに「入国時の隔離と停留」は今回の新型インフルエンザの国内侵入防止に効果的な対応といえなかったという評価はできるかもしれませんが、入国時から開始されるアクティブ・サーベイランス(これも「検疫」の一翼を担います)については、効果があったという評価ができるのではないでしょうか?
>「冷静な対応を」とただただ言われ続けている
これは全く同感です。政府の対応としては海外発生期と国内発生期では重点とすべき事項が異なり、その状況に応じた、きめ細かなメッセージを発することが必要だと思います。
私の前回投稿中の「ハンセン病」はタイプミスで、正しくは「ハンセン氏病」です。お詫びして訂正します。
ネットに使用するパソコンには医学関係の書類やソフト(辞書含む)を入れてないので、いちいち変換しながら打ってるうちに氏を入れ忘れたものです。
投稿直後から気がついていましたが読み替えてくれるだろうと思って放置しておりました。今回堀米さまが誤記のまま引用なさったのでここで訂正させていただきます。お手を煩わせて済みませんが、引用なさったほうの貴コメントだけでも「ハンセン氏病」へ訂正よろしくお願い申し上げます。
(コメント欄節約の意味で、このコメントは承認なさらないほうがよいと思います)
ハンセン病の日本名称ですが、かつてはハンセン氏病と呼ばれていた時期もありましたが、政府は1996年の「らい予防法」の廃止によって公的にハンセン病と呼称するようになり、それ以前の1980年代から患者関係者の間では、ハンセン病で通っていたようです。
いずれにしてもハンセン病に関してはその歴史的経緯から、呼称については慎重であるべきですね。あまり自覚がなかったので、今後はそうしたところにも気を配らねばと思います。個人的にも問題提起をありがとうございました。