医者にプライバシーはないのか? |
|
投稿者: 中村利仁 | 投稿日時: 2010年03月07日 01:41 |
平成22年2月
日本医師会 第Ⅺ次生命倫理懇談会
[PDF]「高度情報化社会における生命倫理」 についての報告
全体として非常に勉強になる報告書です。
しかしながら、「医師によるインターネット言論について」(P15〜20)の項の記述だけは規範と現実等のバランスが取れて居らず、医療と医学研究の実際も無視したものであり、いただけません。
言うまでもなくインターネットは(一見)匿名利用可能な空間です。それであるが故に、特に医師のコミュニティに限らず問題山積となっています。
このブログのコメント欄でも、ありとあらゆる嫌がらせがあり、「荒らし」もあり、うちいくつかは医育機関や医療機関内からの書き込みが強く疑われています。管理者の皆さんのご心労たるや大変なものですが、特に求めが無くとも、また相手が医者であろうがなかろうが、相手方管理者への報告や、削除等の不適切コメントへの対処は行っています。これは医者の職業倫理の問題ではありません。医者でなくとも必ず従うべき、ネット上の一般的なエチケットというものです。
匿名か実名かの議論(P17、19〜20)もまた、医者に限った議論ではありません。そして、ネット上での実名主義は、その技術的基盤の問題から却って「なりすまし」などの問題を生じ、深刻化してしまいますが、それについての語り尽くされた議論には全く触れられて居らず、バランスに著しく欠けています。医者の実名を自称する者が実はそうでなかったとき、事態は非常に厄介です。取り返しのつかないこともあるからです。
インターネット言論については、充分な経験と見識を持った人々に議論に参加してもらうべきであったと思います。
ついでながら、「「虚偽情報・未確認情報の流布」は、それだけで名誉毀損罪等の成立要件
を満たす。」(P18)という記述は法文や判例に照らすと不正確であり、また、インターネットに限らず、メディアリテラシー教育の基本として、全て情報は誰かにとって都合よく加工されていると考えるべきは当然です。
マスメディアもまたしばしば医学的に間違っていたり、曖昧さの残る情報を流布していますが、これに対して一定のコメントを寄せるのは、個人的にはむしろ専門職としての義務であると考えています。その道を封じることは、医者とマスメディアの双方にとって実害が大きいと考えます。
結果として誤った政策は批判され、その責任者は主としてマスメディアによって追求されるのが一般的です。しかしながら、専門職にしか評価ができない分野の問題については、その批判は見当違いなマスメディアに頼るわけにはいかず、これを行うことをも、専門職の社会的責任の一環と考えるべきでしょう。
しかしこれらもまた、「政策の立案・実施等に関わる行政関係者、医療に関連する記事を書いた報道機関の記者等に対するネット上の攻撃」(P18)として全面的に否定されています。やはりバランスに欠けるというべきでしょう。
また、最近のいくつかの医療を巡る訴訟では、あるいは公訴が不適当であることが明らかとなり、あるいはまた原告の請求が全て棄却されています。この場合、むしろ、日本医師会は専門職団体として「医療行為に関連した傷害、ないしその疑いがある傷害を受けた患者やその家族、彼らを支援する非医療者や医療者」に対して一言あって然るべきではないのでしょうか。医療従事者が守られるべき立場に置かれることもあるのであって、これを無視することは無責任であり、やはりバランスに欠けた記述であると考えます。
医学研究の現実を無視した記述としては、たとえば、「直接診療に関わっていない患者の診療記録を本人の許可なく閲覧する行為」(P16)があります。これは症例検討と呼ばれ、長い長い間、日本の医学会では普通に行われ、医学の進歩に大きく寄与してきました。
確かに強弁すれば、少なくとも観察研究は原則として「臨床研究の倫理指針」の対象外であり、死亡した患者の個人情報についても一般的には保護の対象外ではあります。それに、漸く近年は可能な限り患者さんご本人の同意を頂戴して、学会発表を行うことが普通になりつつあるようです。
大学病院や研修病院であれば、学会での症例検討については暗黙の「許可」を頂戴しているのだと主張することも可能でしょう。しかし、医療機関で診療に関連した医師達が診療の目的のために相談するのとは異なります。
この記述を読む限り、死亡した患者さんの一例報告は、学会から姿を消すことが避けられません。一例報告では死亡が回避できず、あるいはまた病理解剖などを伴う教育的症例が多く、日本の医学の進歩を大きく阻害することが確実で、とても医師が筆を起こしたとは思えない記述になっています。
インターネット環境と学会発表の異なる点は、それを構成するのが医師だけであるのかどうかだけです。年齢と性別は医師にとっても重要な情報ですが、氏名や詳細な住所地は興味の対象外です。その情報はほぼ全ての場合、マスメディアによる報道で広まっています。
医師は、マスメディアによる氏名報道・住所地報道に反対の声を上げるべきなのでしょうか。
この報告書の中で、この項目だけが極端に知識不足が目立ち、また思案に欠けている点が少なくありません。他は非常に高度で示唆的な内容に富むだけに、それがひどく惜しまれます。
<<前の記事:医療従事者の別件逮捕:自白は信用できるのか? 「病院は植民地じゃない」幕内院長吼える コメント欄:次の記事>>
コメント
中村様のご意見に同意です。この文章のインターネット言論の項目については「医師」を主語に書かれていますが、その内容は医師という職種に限られたことではなく「利用者」と置き換えればすべての人に当てはまることです。
医師は法的に患者個人情報の守秘義務が科せられていますが、それを除けば社会人のネットユーザーとして他の職種の方と同じ規範で等身大に行動すればよいことであり、医師は聖人君子であれといわんばかりにことさら「医師」強調するのは時代錯誤の感があります。
さらに、この内容だと医療裁判の原告側(患者側)の意見の報道内容に医師はいちいちクレームをつけるなと言わんばかりですが、従来の報道を見る限りマスコミの発信する記事には医学的にみて語句の使用や解釈の誤りなど訂正すべき点がしばしば含まれており、そのままの内容で一般大衆に流すのは問題と思われるものが多いのは多くの医療従事者が感じている事です。
実名での討論なら無責任な発言や誹謗・中傷がなくなるという意見がありますが、実名だと自らの立場を悪くするような意見は表に出ず、有利な立場にある人の意見が通りやすい(パワハラと同じ構造)バイアスが生じます。
匿名の発言は、自分の肩書きや立場を離れ自由に意見でき、立場を気にして発言を控えることがない分、人を傷つける発言が飛び交う短所を生じますが、普段は表にでてこない事実や考え方がフラットに出てくるので、適切に取捨選択すればより真実に近づく長所があります。
繰り返しになりますが、発言に責任をもつことや個人を誹謗・中傷しないのはネット利用の規則遵守やモラルの問題であって、匿名か実名は主たる問題ではないと考えます。
さらにネット上の実名の担保は必ずしも容易ではありません。私はネットで医師として発言するときはこのハンドルネームを使いますが、しかし同じハンドルネームをもし別の人に使われて発言されれば、それが私の発言でないと証明し衆知させるのさほど簡単ではありません。実名であってもそれは同じことです。なぜなら実名はその人のことをよく知らない人にとっては匿名と同じく単なる個人を表す記号に過ぎませんから。結局のところネットでの発言内容からその個人に信用を得るしかないのは「実社会」と何ら変わりないと思います。
名前の本人保証を厳しくしていけば国民総背番号制と同様、肩書きやら本籍やら詳細な個人情報を「実名」につけなければならなくなります。それはネット上の意見に対しても「実社会」でさまざまな方向から圧力をかけやすくなることでもありますから実名主義は力を持たない人に対してはまことに言論統制をやりやすい方法です。(ちなみに私は国民総背番号制に反対ではありません)
この問題についてマスコミはもっと批判的に考え抑制的に行動すべき立場にあると思うのですが、ネットの言論統制に対してはほとんど反対の声が聞こえてこないのが不思議でなりません。自らの言論の自由だけは永久に保証されているとでも思っているのでしょうか。
皆に真実を知らせる役割を担っているのは誰なのでしょう。捏造や偏向を指摘され、不正が暴かれたら困るのは誰なのでしょう。
中村利仁先生としろふくろうさんのコメントが勉強になりました。
特に
憲法第21条2項
1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない
が気になります。厚生労働省・医道審議会によるブロクの検閲につながる指針ではないか疑います。
また発信される情報の質の担保の項目で
1997 年米国医師会雑誌「JAMA」は、患者がインターネットで医療
情報を利用する際に、その情報が信頼に足るものであるかどうかを判断する指標を提言している。すなわち、Authorship(著者、寄稿者、所属等)、Source(引用文献等の情報源、著作権情報)Disclosure(サイト所有者、出資者、広告指針、利益相反)、Currency(最終更新日)の4 点を挙げ、これを目安にサイトの信頼性
を測定することが可能であるとしている
等の記載があります
この報告書の質の担保は検討されたでしょうか
まず、Authorship
この論文も含めSourceの正確な記載がないように思います。
これは報告書そのもので、ダイジェスト版ではないと思いますが通常は報告書の最後に正確な引用文献等の情報源を掲載すべきでは
あと、この報告書は色々と勉強にはなるのですが、本会議6 回、作業部会3 回の議事録が公開されていないように思います
本報告書の最終
途中、投稿で失礼しました。
まず、Authorshipは了としても
この論文も含めSourceの正確な記載がないように思います。
これは報告書そのもので、ダイジェスト版ではないと思いますが通常は報告書の最後に正確な引用文献等の情報源を掲載すべきでは
あと、この報告書は色々と勉強にはなるのですが、本会議6 回、作業部会3 回の議事録が公開されていないように思います
その議論の過程もぜひ知りたいと思います。
中村先生がご指摘の部分、筆者は大手メディアの人間かもしれないということですね。
日医の報告書となってはいるが、問題の部分を書いたのは大手メディアの記者。
まず、大手メディアの記者の発する医療裁判や患者の有害事象記事に、医学的な裏付けがないままに書かれていることを医療の専門家が批判することが医師の信頼を傷つけることになるというのは、おかしな言い分です。
むしろ、医学的な裏付けや現場のシステムをきちんと把握しないままにセンセーショナルに書きたてる記者のほうこそ批判されるべきで、医師を含めた医療専門家を文句をつけるのは筋違いです。
もちろん、これからもメディアの間違った医療記事に対しては、その内容に関して、医師はビシバシと批判を続けるます。
職業がなんであろうと、配慮のない、人が傷つくこと
をネットで発言する愚かな人は一部います。
そういう発言をしにくくするために、仮に実名発信を
義務付けたとしたら、根拠のない、いい加減な医療報道
を医師が批判しにくくなり、国民は計り知れない損失を
受けると思います。
この報告書で、マスコミの売るための「医者叩き記事」
に安易に迎合したような記述がみられるのは残念です。