『がん研究、戦略持って再構築を』 中村祐輔・東大医科研教授
空洞化する創薬
4月16日から、がんセンターの研究所長を兼務しています。研究というのは論文としてその成果を発表することが一つの目標ですが、これまでは比較的強かったこのような分野でも、日本の国際競争力が落ちてきていると思います。さらに、医学研究としてのゴールは、診断法や治療法を開発することですが、この応用分野ではもっと大きく遅れています。たとえば、がんの治療薬として、約10年の間に20種類の分子標的治療薬をFDAが承認しているのに、日本発が全くありません。まさに日本のがん治療は、欧米の製薬企業に依存しているという状況になっています。
また、世界における薬剤使用に占める日本の割合も、日本の医療費抑制政策の流れで急速に落ちてきています。日本に欧米の製薬企業が目を向けていたのは、日本がたくさん薬を使っていたのが大きな要因の一つですが、マーケットの相対的割合の減少で、欧米の製薬企業から忘れ去られつつあります。外資系製薬企業の日本国内における研究所がほとんどなくなりました。それが中国やシンガポールに移っているわけですから、明らかな日本パッシングが製薬業界レベルでは起こっています。商業的側面でも学術的側面でも、日本の存在感が段々薄まっていることは間違いのない事実だと思います。
これまで、日本はがんの基礎研究のレベルは非常に高いものがありました。例えば、ハーセプチンというのは、元になる遺伝子を見つけたのは豊島久真男先生たち日本のグループですし、オキサリプラチンというのは元々日本にシーズがありましたが、日本で開発できずにスイスのデビオファーム社という会社に行ってしまったものです。イリノテカンの診断に関しても、名古屋大学のグループが先行したものですが、キット化したのはアメリカの会社で、アメリカの会社が日本で承認を取っています。
今、文部科学省の中でも、見つけたシーズをいかにうまく利用して国の戦略として診断薬とか治療薬につなげていくべきかなどを含め、今後のがん研究全体にわたる議論がされています。基礎研究の成果を社会に還元するためには、一つの流れとしてやっていかないとできませんから、しっかりとした戦略を立て。それを戦術として落とし込んで実行していく司令塔役が必要です。このような司令塔や戦略がなかったために、診断薬や治療薬を開発する力が日本では弱かったのです。3回にわたる対がん10カ年計画が展開されてきて、がん対策基本法もできましたけれど、研究開発に向けた仕組みが政策の中に生かされてはこなかったのではないでしょうか。