薬害肝炎、100%感染の医師報告を厚生省ムダに
厚生労働省の『薬害肝炎の検証および再発防止に関する研究班』の最終報告書が7日、公開された。1986年から87年にかけて青森県三沢市で発生した集団感染で、医師は、ある時期を境に肝炎感染率100%の非加熱フィブリノゲン製剤ロットが出現していることを厚生省に文書で報告していたが、その文書は担当者レベルで止まっており、課長も血液製剤評価委員らも見ていなかったことが指摘されている。結果として、非加熱フィブリノゲン製剤が自主回収に留まって全国で使い続けられ、また感染性を保ったままの加熱製剤が承認され被害を拡大する遠因ともなった。(川口恭)
これは当時の厚生省とミドリ十字の対応を検証する中で明らかになった。坂田和江・薬害肝炎訴訟九州原告が分担研究者として担当した。問題の文書はこちら。
厚生省は薬害肝炎訴訟が起きた2002年に1度目の検証報告書をまとめているが、その報告書では「p352の上半分」の墨塗りになっている医師の名前の所までしか掲載されていなかった。今回、坂田氏の追及により、手紙にはさらに後ろ2枚(p352の下半分とp353)が存在していることが明らかになり、その部分には、ある時期(ミドリ十字が厚生省に無断で製法変更を行った時期か?)を境に感染率が跳ね上がり、感染率100%のロットが出現していると明確に示されていた。
この文書を当時の課長らは見ておらず、また切り替え用加熱製剤の承認を審議した血液製剤評価委員会にも一切示されていなかった。この時は、まだC型肝炎ウイルスが発見されておらず、加熱しても製剤の感染力が失われるという根拠はなかったのに、見切り発車的に加熱製剤が迅速承認されることになり、被害を拡大させることになった。
(坂田氏と村重直子氏との対談を近く掲載の予定です)