子ども亡くす親の気持ち分かり合える機会が減ってきた―細谷亮太聖路加国際病院副院長
■「治らない子どもには福祉が必要」
1948年に治療を始めたファーバーはえらい人で、「治らない病気なら患者さんを支える必要がある」ということを1940年代からちゃんと考えていました。でも、大人についてはそういうことは考えられませんでした。大人は歳をとったら死んでいくものだと思われていました。1940年代のアメリカでさえ、大人が死んでいくというときにトータルに面倒を見ようと言う人は多分いなかったです。でも子どもは死んではいけない存在なので、病気で天寿を全うできない子どもたちのために、ハーバーはトータルケアをやろうということを1950年代から言い始めました。治らない病気にかかった子どもたちには福祉を考えてあげないといけない。輸血や感染症コントロールなどいろんな合併症に対して面倒を見ないといけないし、精神衛生面のメンタルなケアや家族の経済的なケアなんかも全部やって、面倒を見ようということを1960年代に確立されていました。
■「日本で不治の小児疾患をみられるか」
そこでトレーニングを受けた、ファーバーの弟子だった西村昴三先生が1960年に日本に戻ってこられました。西村先生がどう思ったかというと、1960年代に「我が国のように経済的に余裕が少ないところでかかる不治の小児疾患に対し、精神的にも経済的にも負担の多い治療を試みる事が果たして社会的に受け入れられる否かは現状では微妙な問題だろう」と言っておられました。今から約50年前に、卓見だと思います。それから論文で、1948年に論文を書いて以来1500人近い患者さんを治療してきたけど、治った人は1%しかいなかった、5年以上生きた人は1%いなかったということを、1960年代半ばに書かれていました。実際、1970年ぐらいに日本はどうだったか。僕が大学を卒業するぎりぎり前ぐらいです。日本全体で、白血病で5年ぐらい生きていいた人は24人しかいませんでした。それが10年経って150人近くになり、それから30年経ったら聖路加だけで150人ぐらいの白血病の患者さんが治って生きています。この間にものすごい進歩があって、治る病気になってきたんですね。すごい勢いで白血病や小児がんは治るようになってきました。
子どもが命を落とす原因についてちょっと見てみると、0歳代の子ども子たちの死因第1位は先天奇形で、1000人ぐらいの人が亡くなります。保育園などで問題になっている乳幼児突然死症候群(SIDS)は200人ぐらいになります。1年間に生まれる人は100万人で、1歳までになくなるのは2000人足らず。乳児死亡率は1000分の2です。私が生まれたのは団塊なので昭和22、3年の時代には1000人の赤ちゃんが生まれると、1歳になるまでに死ぬ人は大体100人近くいました。私の母親の年代には1000人の赤ちゃんのうち150人は1歳を迎えるまでになくなりました。