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睡眠のリテラシー18

高橋正也 独立行政法人労働安全衛生研究所作業条件適応研究グループ上席研究員

 皆さんは手術を受けたことはありますか。不安な夜を過ごした翌朝、家族などに見送られながら、ストレッチャーに乗って手術室に向かいます。麻酔がかかるまでの間、執刀医の腕を信じ、よい状態で手術室から戻れるよう、祈ります。

 執刀医は当然に万全の体調で手術に臨んでくれているはずと、患者は考えています。実際、ほとんどの医師はプロ意識をもって適切に対応しています。ただ、もし前の晩に当直が入っていて、睡眠が充分にとれないまま翌朝から手術の担当になっていたら、どうなるでしょうか。

 私たちの心身がうまく働くのは、目覚めてからせいぜい16時間くらいと言われています。朝7時に起きたとすれば、夜11時ごろまでです。それより長く起きていると、お酒を飲んでいないにもかかわらず、飲んだ時と同じくらいに心身の機能は低下することが明らかになっています。このような状態で仕事をすれば、作業能率が低下したり、ミスも起こりやすくなったりします。

 実は、この研究成果は今から15年前に発表されています。にもかかわらず、どういうわけか社会的には広く浸透していないようにみえます。お酒に酔って仕事につくのは言語道断です。であれば、しっかりと眠らずに仕事を始めることも、同じように厳しくとらえるべきではないでしょうか。

 日本外科学会による最近の調査によれば、対象となった外科医のなかで当直明けに手術を「いつも」行うのは31%、「しばしば」行うのは26%でした。しかも、当直明けに手術経験のある外科医では、医療事故を実際に起こしたと答えたのは4%、医療事故ではないものの、手術の質が悪くなったと答えたのは20%に及んでいました。これらの数字には眉をひそめたくはなりますが、「酩酊」している執刀医であれば、悲しいかな、当然の結末かもしれません。

 このような現実はわが国でも米国でもほぼ同じようです。一昨年の末、米国の有名な医学雑誌に興味深い論文が掲載されました。麻酔科医と睡眠専門医などによるこの論文は、睡眠不足の外科医による手術は危険として、もし執刀医が前夜にしっかり眠っていなかったら、その旨を患者に説明し、それでも手術を受けるかどうかを確かめる必要があると訴えました。

 これに対して、案の定、米国の外科学会からは強烈な反論が出されました。彼らは、睡眠を適切にとれない状況は勤務(当直)によるものだけではなく、家庭内(プライベート)の問題などによっても起こりうるため、睡眠不足ということだけをもって患者への説明を義務化するのは正しくないと考えました。むしろ、手術のレベルが落ちるかどうかを見極め、それに対応できる力を外科医自らがつけるべきであると主張しました。

 一筋縄ではいかないことは確かですが、もし手術の前に執刀医から「私、昨晩はあまり眠っていないのですが......」と告白されたら、皆さんはどうされますか。

たかはし・まさや●1990年東京学芸大学教育学部卒業。以来、仕事のスケジュールと睡眠問題に関する研究に従事。2001年、米国ハーバード大学医学部留学。

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