長生きを安心して喜ぶ そんな社会取り戻そう~ハート・リング通信㊳
ハート・リング運動専務理事 早田雅美
「人はいつか必ず老いる」ことは、誰もが理解しています。一方、「若返り」「アンチエイジング」は、現代人が競ってめざす魅力あるテーマになっています。つまり私たちの生きる時代は、自然の摂理に逆らって若いことを尊ぶ時代と言えます。
実は江戸時代、人々の幸せは人生の後半に置かれていました。江戸時代は、平均寿命が今より大幅に短かかったとの印象をお持ちでしょうが、実は乳幼児死亡率が圧倒的に高かったことによるもので、20歳を超えて生きると60歳を超えることも多く、社会の関心は長寿にありました。例えば1697年の盛岡藩内調査では、領内に80歳以上が780人、100歳以上も3人いて、最高齢は112歳という記録があるようです。
今から20年ほど前、立川昭二・北里大学名誉教授は著書「江戸老いの文化」(筑摩書房)で、江戸庶民の生活を表した式亭三馬の「浮世風呂」などから「老(お)入(いれ)」という言葉を紹介しています。意味は「老後」です。老後という言葉には、終わった後というどこか暗いニュアンスが混じります。しかし「老い」に入ると言われるとイメージは変わります。また、井原西鶴は「日本永代蔵」の中で、理想とする老後の生活を次のようにイメージしていると言います。「そもそも祖父祖母無事にして、その子に嫁を取り、又その孫成人して嫁を呼び、同じ家に夫婦三組しかも幼馴染にて語らいをなしけること、ためしもなき幸せなり」。与謝蕪村は、「麦蒔きや百まで生きる貌ばかり」と農民の淡々と生きる横顔を詠んでいます。
江戸幕府が旗本に隠居を許したのは70歳以上であり、しかも本人が働きたければ辞めなくてもよく、実際幕府の役職名簿には70代80代の現役の名前が多数紹介され、94歳のお奉行様まで実在していました。(「江戸時代の老いと看取り」柳谷慶子氏著 山川出版社)。庶民の暮らしの中でも、働ける限り家族が協力し合っていただろうことは想像に難くありません。江戸時代の日本は、老いを寿ぐ「総活躍社会」だったのです。
明治に移った時、「富国強兵」をスローガンに徴兵制がスタートしました。と同時に「壮健」な者が現役とされ、「定年(隠居年齢)」が一気に50歳へと引き下げられた歴史があります。
さらに戦後猛スピードで成長と拡大を続けてきた結果、老いた者や健康に自信をなくした者は居場所を見つけにくい社会が出来上がりました。ハート・リング運動が行った意識調査でも、もし自分が認知症になったとしたら、多くの方は「自分は家族の迷惑な存在」と感じてしまう実態が浮き彫りになっています。
今こそ私たちは、老いを正面から見つめ直し、人としての幸せのあり方も見つめ直すべき時に来ているのではないでしょうか。安心して長生きしたい......そんな自然なことが、もっと当たり前であってほしいものです。