ねんきん特別便

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2008年10月03日 23:44

ねんきん特別便』が届きました。


ねんきん特別便.JPG


昨年6月半ばに電話照会して、7月下旬に市役所の国民年金課で調べてもらい
土浦市社会保険事務所から、被保険者記録照会回答票が送付されたのが9月、
すっかり忘れていた1年後の昨日、社会保険庁から届きました。
(舛添厚労大臣の直筆サインが紙面の上3分の1を占めていました)

厚生年金に入っていたのは、

つくば万博→金融機関→自動車研究所→外資系→医療機関

230月、とりあえず漏れはないけれど、どうして2ページにもなるのかな?
とよく見たら、外資の11年間、日本法人下の組織だった期間と、筑波の研究所が独立して別会社になっていた時期が交互にあったということを、年金記録から思い出しました。
そうでなくても長い社名だったので、さらに多くの行数が費やされていました。

仮に年金受給年齢まで存命していたとして、一体どの程度、どのような形で保障があるのか、全く予想困難ですが、内田樹先生曰く、現時点で財源が残っていたということだけでも奇跡的かと思えば、、、

健康に留意して、細~く長~く働き続け、納税できる状況を保てるように精進するしかないなぁ、、、、
と思います。

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コメント

リウマチで長く仕事を続けてきたこと賞賛に値します。
注射が痛いとか、誰にでも効き目があるわけでないことや、生物学的製剤も完璧ではないことを真木さんに知らせてもらった情報で少し勉強できました。
ありがとうございます。これからも有用な情報、お願いします。

先日、うちの家内にも年金特別便が届きました。

某国立大病院に数年間勤務し、結婚、出産を機に退職し、その後、私の扶養家族として国民保険の第3号被保険者となったという極めてシンプルな経歴です。

文部省共済組合(というか大学病院事務局から)から社会保険事務所にきちんと連絡がなされているかどうか不安だったので、その当時、社会保険事務所に一応電話で確認したところ、連絡は来ているとのことで年金手帳も入手し安心していたのですが、今回の年金特別便の記載では、旧文部省共済の経歴分が抜けていました。

平成4年あたりの話ですから既に電算化はされていたのだろうとは思いますが、一度は社会保険事務所に記録が伝わっていながら、また、その事実をその当時確認もしているのに、どうしてこうなるのか、不思議でなりません。

家内に言わせると、実務のような面倒な仕事を外注したり他人に押し付けたりして確認や監督もきちんとしないという要するに「横着な文化」がそうさせたのではないかとのことです。

社会保険庁に限った話ではありませんが、この風潮を何とかしようと「民間活力導入」とか「民営化」とやったところ、逆に「アウトソーシング」という公務員が益々実務から手を離してしまい、現実や実務を良く理解しなくなるという「横着な文化」を助長する方向に向かってしまったのがこの20年だったような気がします。

リウマチ患者様、

仕事をさせてもらえるのは、周りが我がままを受け入れてくれた忍耐あってこそで、(有り難いお言葉はお世辞であっても)誇れるものは何もないです。
リウマチに関しては、自分の身体と対話しながら、私自身も学び続けていきたいなと思います。こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。


KHPN先生、コメントありがとうございます。

旧文部省でさえ、、抜けるのですね。驚きました。
短期間勤務で中途脱退や、会社が倒産などで解散した基金などの場合は、さらに悲惨な状況になって然りと、改めて問題の深刻さを感じました。
なぜ、こんな杜撰なことになるのか、理解に苦しみます。

奥様は、現在も共済組合と連絡がとれそうで、今回の特別便が届いたことで、不備が判明しただけでもよかった(*^_^*)v!(せめてそう思うしかないですよね)、早急に記録の訂正がなされますように。


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