患者の「知る権利」と「知りたくない権利」 ─ 明細書で激論 コメント欄

投稿者: 新井裕充 | 投稿日時: 2010年02月04日 16:38

 薬の種類や検査の内容など診療内容を詳しく知るのは「患者の当然の権利だ」という考えがある。これに対し、自分の病名を知りたくない患者もいるため、「希望者にだけ知らせればいい」という考えもある。(新井裕充)

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コメント

そもそも「知る権利」と「レセプト明細書発行」との間に何の科学的合理的関連性があるのでしょうか?世間一般の常識的には非常にばかげた与太話にしか思えません。中医協は厚労大臣個人の私的諮問機関でありいわば私費で雇った専属の家庭教師のようなものでしょうが、こんなくだらぬ話題で結論も出せぬ激論になるとは中医協各委員の専門性や見識が本当に高いのかどうか、ひいては一般常識を具えて議論しているのかどうかまでもが世間から疑われてしまうのではないでしょうか。

 やはり現場でどういう光景が展開するのか、どういう負担が新たに生じるのか、厚労省の担当官には想像がつかないのですね。

…というか、レセプト手渡ししているどこかこじんまりした病院の会計窓口に1週間行って、何が起きているのか実際に見てきた方が良いでしょう。話はそれからです。

飛ばしや捏造でなければですが、読売新聞によると5日の中医協にて、『診療明細書」を原則として全患者に無料発行するよう医療機関に義務づけることで合意した。』そうです
。しかも10年度から・・・。

強制発行を薦めている人たちは、普通の買い物でもレシートはすべて確認して保存しているのでしょうか。多くの患者の場合は、医療機関の領収書であっても普通の買い物のレシートと同じ扱いだと思います。
今の領収書の様式でさえ紙が大きいと文句言ったり、その場に置いていったり捨てていく患者が多くいます。で、年末になると確定申告だと言って、多くの患者が領収書の再発行を求めてきます。

本当にどの人たちも現場を知らないんだなと実感させられる議論ですね。

前々期高齢者 さま
>中医協は厚労大臣個人の私的諮問機関でありいわば私費で雇った専属の家庭教師のようなもの

中央社会保障医療審議会(中医協)は、厚労大臣個人の私的諮問機関ではなく、厚生労働省設置法及び社会保険医療協議会法に拠って、厚労省内に設置される公的な審議会です。その上で中医協は、健康保険法の定めるところにより、厚生労働大臣の諮問に答えるだけでなく、自ら大臣に対し建議する権限も与えられています。

中医協が”厚労大臣個人の私的諮問機関”と言われるのは、いささか健保制度の正しい理解を欠いた論評かと存じますが。

日本の統治システムでは政策決定権が行政府(内閣)大臣にある以上、行政実行機関に過ぎない厚労省内に設置されても中医協は大臣の政策決定権を冒してみずからがいかなる政策も決定する権限を持たないのは明らかで、内閣任命大臣にとって中医協は自分を上回る公的権限のない私的諮問機関に過ぎないですね。
わかりやすく言えば厚労大臣が政策について中医協へ諮問して建策内容が大臣の気に入らなければ大臣権限だけでどの委員でも入れ替えできるし中医協そのものを廃止することまで可能です。

おっしゃるような健保制度の正しい理解とは何の関係もない話かと存じますが。

 中医協の廃止には国会による法改正が必要です。

社会保険医療協議会法
(昭和二十五年三月三十一日法律第四十七号)
最終改正:平成一九年七月六日法律第一〇九号
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO047.html

 また、支払い側・診療側委員についてはともかく、公益委員の任命については両院の同意が必要です。…免職はその限りではないようですね。

>厚労大臣が政策について中医協へ諮問して建策内容が大臣の気に入らなければ大臣権限だけでどの委員でも入れ替えできるし中医協そのものを廃止することまで可能です。( >前々期高齢者 様 )

中医協の廃止については、中村利仁様の仰るとおりです。また大臣権限で全ての委員の入れ替えは出来ません。公益委員は国会(両議院)の同意人事です。

>…免職はその限りではないようですね。( >中村利仁 様 )

公益委員の罷免についても、両議院の同意を得ないと出来ません。
(社会保険医療協議会法 第3条6項~9項 をご参照下さい)

論点を整理しましょう。(1)明細書発行の権利義務(2)明細書発行にかかる費用は誰が負担するか(3)明細書から暴露されるプライバシーの保護の問題  以上3点があるようです。もっとあるのでしたらまた改めて議論しますが。
(1)患者は、医療費明細書を請求する権利があるか?医療機関は、明細書を発行する義務があるか?
これについては、異論は出ていません。医療費明細書を患者が入手するのは、良いことです。請求されたら、発行しましょう。ここまではいいですね?
(2)医療費明細書を発行するには、費用がかかるが、その費用は誰が負担すべきか?①コンピュータや紙などの費用 と ②明細書に関する質問に対応する人件費 の二つが容易に想定されます。
日本の多くの患者さんは、医療制度も医療費の仕組みもまったく理解されていない(幸せといえば幸せ;日本の医療は老子のいう理想にもっとも近い、享受者がその存在に気づかないほど完璧?)ので、この際、国民教育する絶好の機会だと思われます。
保険医療機関は、原価を価格に反映させる自由を奪われている(紹介状なしの初診料や室料などの例外はありますが)ので、新たに費用がかかる場合は、それが公的に設定され請求できないと、医療機関の負担が増えて医療崩壊へとつながります。スーパーマーケットの自由競争とは違い、患者さんは、自分達が「安い」ほうを選択すると結局は医療が受けられなくなるという高い代価を払うことになるかもしれないということを慎重に賢明に判断して、医療費をどのように費用分担するかを考えていただきたいと思います。医療費の明細書というのは、非常に重みのある書類であると認識していただき、そこんじょそこらの領収書と一緒にせず、一枚5百円か千円かそこらの代価が生じることを納得していただけないでしょうか。診断書以上の情報が含まれているのですから。さらに、②の問題ですが、医者でなく事務員が質問に答えることでご容赦願いたい。ほとんどの医者は、値段と中立に、患者にとって最善の治療をしています。現在の治療法が高価すぎるという相談が患者さんからあれば、もっと安い方法もご一緒に考えますが、普通の勤務医は経済音痴です。だからこそ、安い給料(したがって安い年金)と雀の涙ほどの退職金で黙って働いているのです(馬鹿馬鹿しくなると開業しますが)。そんな貴重な勤務医を、医療費明細のことで質問して心を折り消耗させるのはやめたほうが賢明ですよ。
(3)明細書から透けて見える病名=プライバシーの問題。 これは、患者本人なら問題なく、「保険病名」で梅毒やエイズや癌やトリコモナス感染症やいろいろな病名がついていることの説明は(2)の②で対応すればよいと思われます。一時的にはショックだったり腹を立てたりもあるでしょうが、「なあんだ、そういうことなの」と納得される方がほとんどでしょう。まれな例外は、インフォームド・コンセントが不十分で(今どきそんなことは考えにくいですが)、患者の知らないところで患者に病名を隠すことになっている場合です。そもそもこれは医療倫理違反なのであってはならないことです。患者が自分自身で「知りたくない権利」を行使する場合は、そのことを患者自身が知っていますから、明細書についても、自分の代わりに医者の説明を受けて医療方針を決定する人にゆだねればよい、ということになります。(3)が問題になるのは、インフォームド・コンセントが不徹底であるという現実ゆえであり、まず、その大元から解決していくしかありません。明細書からばれてしまった場合、ケース・バイ・ケースで誠実に対応するしかありません。どんなに辛い現実でも、周囲でサポートして受け入れることができる場合がほとおんどですが、残された時間が少ないなどで対応が十分できずにショックが大きいことはありえます・・・。でも、このような理由で明細書発行そのものが留保されるほどのものではなく、明細書を請求する本人の権利は尊重されるべきだと考えます。
なんといっても、患者を○○○(聾の差別?用語とされる呼び方)桟敷に置く医療がなくなることは、良い方向に向かっていることは確かです。患者さんのほうも、それに伴って責任が生じること、医学医療の不確実さや、医療経済上の制約も受け入れること、というような、大人の成熟した態度が期待されます。患者-医師関係は長い目で見れば改善するでしょう。

 法務業の末席 さま、ご教示ありがとうございます。

 9項の文面からは、「委員たるに適しない非行がある」等の理由があれば国会の同意があれば罷免可能ということのようですね。

 少し調べる意欲が湧いてきました。


 生涯いち医師 さま、こんにちは。

 (2)については無料ということで決着したようです。

 俗に、タダより高いものはない、と申しますが。

中村利仁 さま

>少し調べる意欲が湧いてきました。

厚生省事務方は麻生内閣時代に、事故調委員会の委員長だった前田氏を、中医協の公益委員候補者としましたが、参議院の同意が得られる見通しが立たず、引っ込めるという騒動があったばかりです。この事例が示すように、中医協の公益委員の任免は、決して厚労大臣が個人的に行えるものではありません。

なにか議論の焦点が違うようですね。自分のコメントからもう一度強調しておきます。

>行政実行機関に過ぎない厚労省内に設置されても中医協は大臣の政策決定権を冒してみずからがいかなる政策も決定する権限を持たないのは明らか

中医協だけでなく厚労省についても同じことです。

直前のコメントは大臣と中医協および厚労省の「権限」の優劣についてですが、ほかに中医協では「権利」についての議論でも「知る権利」と「知らない権利」というおよそ現実に即しては考えられない対比をもって「権利」の議論をしています。中医協の政策ディベート能力そのものが疑われる議論と思います。

とはいえ、中医協や厚労省がどのような政策を大臣に建策しようとも、普通の人権感覚や政治感覚を持つ人が大臣であれば、統治システム上誰の建策をとりあげるも破棄して他に諮問するも大臣ひとりの自由裁量に任されますから、中医協や厚労省の人事にまったく触れないままでも実質建策機関に議論そのものが存在しないかのごとく無視して政策を決定することができます。

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