JARIとは

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年10月30日 22:57

ご質問をいただきましたので、

財団法人日本自動車研究所(JARI:Japan Automobile Research Institute)は、自動車に関する総合的研究を行う公益法人の試験研究機関ですが、記憶を辿りながら私的見地から言葉を添えたいと思います。

* (当時は)運輸省の委託で、全国のガソリンスタンドを回り、ガソリンに不純物が混じっていないかなどの調査を行っていました。
* 自動車を廃棄するとき、有毒ガスを発生させないような実験をしています。
* ドアミラーやABS(アンチロックブレーキシステム)の安全性などのテストをします。
* ハイブリッドカーや電気自動車を、つくば市内を実際に走行させて、その性能を調べます。
* 人体ダミーを搭乗させて、衝突実験をします。(コレ、すっごい迫力でした♪)

歴代所長は学識経験者が恒例で、私が初めて秘書として仕えた上司も、元東京大学生産技術研究所所長、日本で初めてオートマティックトランスミッションの開発を手がけられた流体力学の権威のある先生でした。
(20代半ばだった私からみると雲の上の人で、猛烈な緊張でビビッていました)

他の役員理事5名は、国内の自動車メーカーから見えた方で構成されていました。

当時の財団理事長は豊田章一郎氏で、トヨタと日産の取締役社長が交代でというのが慣わしのようでした。

さて、JARIの収益の半分は、テストコース使用料です。

つまり、自動車メーカーやタイヤメーカー、二輪車メーカーに8時間単位で、24時間フル稼働で施設を貸し出していました。自社でテストコースを所有する企業が多い昨今ですが、東京からトラックに積載して1時間強で運べる『つくばテストコース』は魅力で需要は多かったようです。
ウン千万円するような最新型ポルシェなど、カバーに包まれて深夜に走行テストするのです。
でも、テストコースは機密保持のため、職員も近寄れず外から絶対に見れないようになっていました。

城里にテストコースが移転して一年、ようやくつくば時代の収益が維持できるようになってきたそうです。70室を超える、立派な宿泊施設があるのもそのためです。

それから、つくばにテストコースを建設するとき、土地を提供した地元の人たちが、事務職員として多く採用されたと聞いています。
『田植え』と『七五三』と『選挙』のときは、みな当然のようにお休みなので、これには最初ビックリしました。

拙い説明で恐縮ですが、少しはイメージが湧きましたでしょうか?

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コメント

ご丁寧な解説を頂き、痛み入ります。なるほど、その様な施設だったのですね。
私は少年時代から乗り物(交通機関)に関しては多大な感心が有りましたので、お聞き致しました。
敗戦後間もなくの日本は見るも無惨な状態で
進駐軍の車を見て驚きました。
私は横浜市内におりましたからアメリカの乗用車、トラック、戦車など、総てが日本のものとは大違い、戦争に勝てるはずはないと、子供ながらに感じたものです。
60年余、現在、日本の車は世界の最高峰になりました。
性能、デザイン、燃費、総て世界の水準をを遙かに追い越しました。
当時、憧れた外車に乗る気など今はもうとう有りません。
その様な施設が有ったればこそ、、、、。
日本人、本当に良く努力致しました!!
解説、有り難う御座いました。

つくばって新しい街かと思ったら、ずいぶんと古くから研究施設があったんだねえ。
TXの駅のこともあわせて、丁寧にありがとう。
よくわかりました。

真木さんて
本当に色々なことを経験されてますね。
話の引き出しが多くてうらやましいです。

>m、n. 様

乗り物がお好きだったのですね。

亡き所長(現職で急逝しました。翌年の春から新設大学の大学長の仕事が決まっていたのに・・)
も幼い頃から、ニッサンのダットサンのエンジンの匂いを追ってどこまでも駆け続けるほど、自動車が好きな方でした。
公用車もご自分の車も、国産以外はお乗りになりませんでした。
手を汚して実験や機械いじりを厭う学生が多くなったのは淋しい限りだと、こぼされていました。

科学者なのに、繊細な文章をお書きになり、所長訓示や海外のお礼状など、こっそり私に下書きをさせてくださいました。丁寧に赤で直してくださいました。そんな面倒なことをしなくていいのに、あらゆる面で『先生』でした。

間違いなく私にとって、つくばの生活の原点でした。

すみません。ついつい思い出話に長くなりました。
生きておられたら83歳です。
今の世の中をみて、何とおっしゃるのかなあと・・

>のんち様

そうなんですよ。万博前のつくばって畑ばっかり。
でもその頃から国の研究所とか、大学とか既に東京から移転していたんですね。
20年そこそこで、これほど開発された地域は稀なんじゃないでしょうか。

>川口様

いえいえ、何事も続かなくて、ふらふらしているだけ、歳とっているだけです。
話の引き出しがあっても、うまく表現できないことがジレンマでして・・

真木さん、
現職でお亡くなりになられた所長さん。素晴らしい方だと、貴女の短い文章から感じられます。
情熱が有り、優しさが有り、真心の有ったお方ですね。
昔はその様な日本人が確かにおりました。
要するに第一級の人物です。
以前にも触れた様な記憶が有りますが、
人生は良い思い出を探す旅なり。
遠い昔の、恩師の言われた言葉が思い起こされます。
良いお人に巡り会われております事、また大切に思われている心、
素晴らしいことです!!

>m、n.様

ありがとうございます。じーんと胸に沁みました。

「人生は良い思い出を探す旅」ですか・・深い言葉ですね。

16年経った今も、残されたご家族とともに、ささやかな私の人生をも導いてくださっていると思えます。
教えを受けたご縁で、生かされているようなものです。

demanded the just-minded young man, who was obliged to admit to herself, should be so.

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