アマゾン・レビューに対する反論

投稿者: 加藤大基 | 投稿日時: 2007年06月01日 12:35

アマゾンの拙著に対するコメントで、現在の医療崩壊に対する医療者側の責任について、改めて考えさせられる記載がありました。
しかし、事実誤認が多くあるので、この場を借りてご指摘・訂正させていただきます。

まず、浅草花川戸クリニックの院長に関して。
私自身、自分の名前で検索などほとんどしたことがなかったので、気づきませんでしたが、今回ご指摘を受け、大分以前のものがまだ消されずに残っていたことに気づかされました。
確かに半年余り、ここの院長をしていた時期がありました。
そもそもは、私の前の院長から現院長へ引き継ぐ際に、双方の諸手続きに時間がかかるとのことで、その間、双方より頼まれて院長をしていた経緯があります。
ネットの情報が古かったり、誤りがあることは、半ば常識ではありますが、さすがにこのような事態になるようだと看過できないので、現院長へ早急に訂正を願い出ようと考えています。

また、「暇だから本が執筆できた」という件について。
確かに半分は正しいです。
しかしこの文面からは、「放射線科が暇だから」というニュアンスが伝わってきます(タイトルからも)。
この部分に関しては、二重の誤りがあります。
一つ目は、放射線治療(特に外部病院)が暇ではないということ。
二つ目は、そもそも術後の執筆期間に私は、放射線治療医としての仕事をしていないということ

拙著を読んで下さった方はお分かりかと思いますが、術後の執筆の期間、私は放射線科医としての仕事をしていません。
病棟フリーのクリニックに勤務していたわけで、「暇な放射線科」にいたから執筆できたわけでは全くありません。
この部分に関しては、拙著をほとんど( あるいは全く?)お読みになられていないのではとの印象を受けました。

そもそも勤務医の労働条件は、科による差異も勿論あるのですが、病院による差異(特に大学病院以外の外部病院間)の方が大きい場合が少なくないのです。この事実を無視して、科のみで議論することは、不毛といわざるをえません。
これは実際に、病院を何箇所か転勤してみれば、分かることなのですが。

早晩、このようなご指摘(放射線科=暇・楽との短絡的誤解)を受けるだろうなぁとは思っていたので、やっぱり来たな、といった印象です。
私も学生時分までは、放射線治療部門の労働に対して著しく誤った認識(放射線科=暇・楽との短絡的誤解)をしていたことを思い出しました。

開業医vs勤務医や、異なる科の医者同士が、不毛な足の引っ張り合いをしている間にも日本の医療は崩壊の方向へ向かっていってしまうのです。

勤務医の労働環境が、今まで大きく改善されることなく来てしまったことに対する医療者側の責任の一端を改めて見た気がしました。

<<前の記事:格差    アバスチンと相場記事:次の記事>>

コメント

私も今日はこれについて書こうかと思っておりましたが
一足早くお書きいただいたので
コメントといたします。

書いた方の心情も分からないではありません。
自分は文句も言わず馬車馬のように働き明日も見えないのに
途中で抜けた医師が勝手なことを書いてやがる
(読まずに決め付け)
という憤りや嫉妬が混ざり合った気持ちなのでしょう。

私も記者時代
’華麗な転身’を遂げた元記者たちを見て
同じような気持ちを抱いていたことがあるので
むしろよく分かるというべきかもしれません。

でも、腹が立つなら自分で本を書けばよいのだし
書けないのなら自分が書けない分を書いてくれたと思えばいい。
激務ゆえ、そう考えられない貧しい精神状況へ
追い込まれているのだろう、と推測するに
やはり医療者の労働環境改善は急務だと思います。

どれくらい忙しい、どれくらい暇だは、やはり比較するべき対照でしょうか?
そこに誤解が出ると先生は嫌ですか?日本の医療事情に誤解が出ると思うのですか?
それとも事実と異なっていると先生はどうしても読者に伝える必要があると感じたんですか?
文章を書いた事がある人間は一度は感じるはずです。素直に自分の感情を出して、わかりやすく、そして楽しんで読んでもらえるように書いたはずなのに、どうしてわかってくれないのか。
先生の思い・考え・常識と捉えていることは先生を長く知らないと同一に近い感情を抱くのは難しいです。
でもあれは先生の文章ですよね。
ライターをつける事無く一生懸命に書いた先生の文章です。
先生の一生懸命な気持ちを読み取れる読者ならちゃんと分かるはずですよ。
いいじゃないですか。ここはのんびりかまえて。
先生の本、読みました。
私はちゃんと受け止めたつもりですよ。

>川口様
>仁山様

コメントいただき、ありがとうございます。
全くもって、お二人のおっしゃる通りだと思います。

私も、前夜に文章を書いたものの、もう一度冷静な目で文章を確認したいと思い、改めて翌日の昼に読み直した上でブログにアップしたのですが、それでもやはり少々頭に血が上っていたのかもしれません。
一般論として、事実を曲解することは、甚だ遺憾であるとの思いを伝えたかっただけです。

世の中には色々な意見があってしかるべきであり、全体主義的な思想統制ではなく、柔軟かつ自由な言論が交わされる世の中を希求する精神は失いたくないものだとは常々思っています。

今回の件については、改めて自戒する契機にしたいと思います。

件のレビューが消えましたね。
10人中2人しか「参考になった」にしてなかったですから
あまりにも支持を得られないのに
驚いて削除したのでしょうか。

加藤先生

本の紹介もかねて
取材をしたいのですが。
ご連絡方法など教えてください。

産経新聞・北村理

>北村様

ご連絡いただき、ありがとうございます。
本日、電話にてお約束させていただいた日時に、お会いできることを楽しみにしております。

はじめまして。
加藤先生。
私は、吉田と申します。
感謝の御礼の手紙かメールをと思い、本を見て、ここにたどり着きました。
先生の著書を何度も何度も繰り返し拝読させていただき、立ち直ることができました。ありがとうございました。
先生と同じように、肺にできた腫瘍が悪性かそれとも何かを見極めるために手術をいたしました。悪性であるという所見を挙げないわけには、いかないということで、先生と同じような検査をして、手術もいたしました。結果、良性の腫瘍でホッとしたのですが、私は、医療従事者でもなく、病気に対する知識もとぼしく、先生の本で、初めてがんや検査について色々な意味を知りました。それまで、先生からの話や自分なりにインターネットなどで、調べたつもりでしたが、医療の世界は奥が深く、改めて、その意味を知ることとなりました。手術前は、全く未知の世界でとても不安で、悪性と思っただけで、涙がとまりませんでした。退院後、痛みから来る不安と、悪性ではないかという緊張がとけたためか、心のバランスを崩してしまい、悪性ではなかったのに、手術後4週間たっても元気になることができずにいました。
そのような時に、先生の本と出合いました。自分の中で昇華するのに2週間、何度も何度も繰り返し読みました。
私が一番ありがたかったのは、心の持ち方と生は有限である、ということです。
吉田松陰の春・夏・秋・冬、ルターのりんごの話、古市公威の話など、私には、新鮮で、再び、がんばれよ、もう、だめかと思っていたのに、授かった命なのだから、まだ、いろんなチャンスはある、あなたの気持ち次第だよと、諭されているようでした。そして、私なりの春・夏・秋・冬の満足のいく、後悔しない生き方をしようと、心に決めました。また、有限である生、ある程度、年を老いてから亡くなるものと勝手に思っておりましたが、実は、違うということを、今回死を意識した時に、再認識させられました。人は、100%死ぬ、命に限りがあるということを知り、1日1日を感謝して、足るを知り、生活していきたいと思います。
深く、暗いもやの中におりましたが、ここ1週間でかなり気持ちが楽になりました。
本当にありがとうございました。
私の担当の外科のお医者様も月~金は、朝・夕の2回土・日もなく毎日回診にきてくださり、一体いつ休むのだろう?なんて、素朴に思い、ハードな仕事だと、本当に思っていたところへ、全く同じ内容の激務のことが書かれてあったので、やはり、と、納得してしまいました。
先生だって、休みがないと、いくらなんでも、心も体も壊れますよね。労働環境は、とても大切だと思います。
駄文で申し訳ございませんが、心より、感謝申し上げます。
末筆となりましたが、先生のご健康をお祈り申し上げるとともに、この本が多くの人に読まれますよう、そして、多くの患者さんたちに、勇気を与えてくれることを願っております。
ありがとうございました。
              多謝

>吉田様

コメントいただき、ありがとうございます。
私の7月20日のブログに、返信を書かせていただきましたので、ご覧いただけると幸いです。

コメントを投稿


上の画像に表示されているセキュリティコード(6桁の半角数字)を入力してください。