史跡今昔(と思ったけど…)

投稿者: 加藤大基 | 投稿日時: 2007年08月15日 00:37

連日、本当に暑い日が続いていますね。
高校野球ファンの私は、この暑さが来ると夏の甲子園シーズン到来!といった感じで、無邪気にうれしくなります(暑さにはバテぎみですが…)。
学生時代、横浜に住んでいた私は、毎年のように横浜スタジアムに予選を見に行っていました。

最近では(といっても9年も前ですが)、現在ボストン・レッドソックスで活躍中の松坂投手が、横浜高校時代に横浜スタジアム上段に叩き込んだ大ホームランなども見ました。

また、それより数年前、湘南高校が神奈川県予選・準決勝に進んだ時は、スタンドで応援する私の真後ろから、聞き覚えのある渋い声が聞こえる……と振り返ってみると、昭和24年に湘南高校全国優勝時のセカンドだった野球解説者の佐々木信也氏が、私の真後ろに座っており、とてもびっくりしたこともありました。
(この試合で湘南高校は負けてしまったのですが、このときのメンバーが後に東大・京大野球部で活躍しているのを見て、文武両道とはこういうことをいうんだなあと感心したものです)。

しかしながら、甲子園には数えるほどしか行ったことがありません。
直近では、横浜高校の涌井投手(現西武)の試合と、東北高校のダルビッシュ投手(現北海道日本ハム)の試合が同じ日に行われたことがあり、その日に甲子園へ行ったのが最後です。
そのときは、明徳義塾に勝った涌井投手より、千葉経大附属に負けたダルビッシュ投手のほうが、すばらしい投球をしていました。
ダルビッシュ投手は、雨で手が滑った三塁手のエラーで同点に追いつかれて、延長で負けてしまったのですが、そのとき私は、雨に負けた作新学院・江川卓投手へのサトウハチローの「雨に散った江川投手」という詩を思い出していました(当然というべきか、私は江川投手の高校時代を知りませんが)。

私は昭和46年生まれですが、この世代の最大の不幸は、長嶋茂雄の現役時代を知らないことであり、次点を挙げるのなら江川卓の高校時代を知らないことだと思っています(特に前者はかなり本気で思っています)。
長嶋の引退は昭和49年、江川の高校最後の年は昭和48年と、我々世代の記憶の芽生えるギリギリのところなのです。

話がそれましたが、しかしそれからわずか3年で、涌井・ダルビッシュ両投手が日本球界を代表する投手になっているとは思いませんでした(過去に騒がれたにもかかわらず、プロであまり活躍できなかった選手を大勢知っていることもあるので)。

夏場に学生時代の友人と会うと、昔の高校野球談義に盛り上がります。
私の親友は、高校野球・鉄道・歴史・地理など、趣味の範囲が似通っており、酒の場ではお互いに何の役にも立たないオタク知識を発揮しています。
でも歴史と地理や、鉄道と地理などは言うまでもなく、全てが密接に関連しているので、なんら不思議なことではないのかもしれません。

暑い中での史跡巡りの話をしようと思って、導入部で今ホットな高校野球の話をしようと思っていたのですが、すっかり高校野球の話になってしまいました。
高校野球の話をすると際限なく出てくるのでここら辺で切り上げますが、高校野球の話をここで切り上げてもこの先長くなるので、続きは(というか本題なのに…)、また別枠ということで。

<<前の記事:一病~リウマチ~息災徒然ノート8    (気を取り直して)史跡今昔:次の記事>>