官民と公私 |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年09月26日 05:37 |
先日リリースされた『周産期医療の崩壊をくいとめる会』の募金活動に
とても眩しいような嬉しい気持ちを覚えると同時に
グワンと頭を殴られたような衝撃も受けました。
明らかに、今までの常識では説明できない動きです。
でも、何がどう今までと違うのか
説明しようとしても言語化できず、もどかしい1週間でした。
ただ、真剣に悩めば答が向こうからやってくるというのは本当かもしれません。
小松秀樹先生から送られてきた全く別件のメールに
「民による公益の追求」という一言が入っていて
あぁまさにこれだ、と思い当たったのでした。
今まで何の気なしに「公立病院」という言葉を使ってきました。
あれは自治体が設置主体の病院で、「公」が設置した病院ではありません。
でも世の中では慣用として
「官」と「公」とが自動変換されていることに気づきます。
「公」「私」は主として行動領域を区分する概念であり
「官」「民」は集団の属性を区分する概念ですから
「官」に属する人間が私益を追求することも
「民」に属する人間が公益を追求することも可能です。
なのに、「官」の関与することこそ「公」だという摺りこみをされていたわけです。
もちろん「官」に私益を追求してもらっては困ります。
でも逆はどうでしょう。
「民」が「公」の役割を果たしても構わない
そのことに「官」のお墨付きがなくとも構わない
はずなんです。本来は。
なに言っているんだ当たり前じゃないか
NGO、NPOって、そういうもんじゃないかと
思った方もいらっしゃるでしょう。
でも日本では、官のお墨付きがないと社会的に認めてもらえないことが多いし
お墨付きを利用して私益を追求する「なんちゃって」な団体も見聞きします。
お墨付きなしに、志だけで公益増大をはかっている団体も存在はするのでしょうが
その志が世の中全体に伝播・共有されているような活動を寡聞にして知りません。
何度か問題提起したように
今までの医療界はお行儀がいいというか何というか
「官」から何か指図があるのを待っている
指図がないと文句を言い
おかしな指図だったらそれにも文句を言う
内田樹さん言うところの庶民的姿勢がとても強いなあと感じていました。
そこに今回
民ならではの柔らかさと素早さで「公」を追求しようとする人々が現れた。
官の関与など要らない、自分たちにできることは社会に役割を果たそう
世の中が信用するかどうかは、その行動だけにかかっている、と。
まさに自立・自律する市民的姿勢であり、しかも万人に関係のある医療領域。
この志がもし伝播・共有されていくならば
現下の社会保障危機も何とかできるんじゃないか
日本人だってやりゃできるじゃないか
こんなことを思うのです。
自分の頭の中にも無意識に摺りこまれていた
「官」=「公」の錯覚を言語化できたこと
今回の壮挙に対して個人的にも感謝したい気持ちです。
そんなわけで本日これから「周産期医療の崩壊をくいとめる会」代表の
佐藤章先生にお目にかかってインタビューして来ます。
ロハス誌に掲載すると共に、このブログでもご紹介する予定です。
こうご期待。
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コメント
いつも拝見しております。
全くご意見に賛同です。
わたしは一医師ですが、佐藤先生のインタビューが待ち遠しいです。
>みーこ先生
コメントありがとうございます。
今、ご本人のチェックを受けております。
戻ってきましたらアップいたします。
少々お待ちください。
>川口様
>もちろん「官」に私益を追求してもらっては困ります。
>でも逆はどうでしょう。
>「民」が「公」の役割を果たしても構わない
日本の病院は例え設立母体が民間であっても、その役割は今まで「公」を果たしてきたのだと私は思います。総医療費は抑制されつつ、診療報酬点数という公定価格体制を維持し、患者からは当たり前のように高機能を求められてきたのではないでしょうか。
そこに金融業的な「民」の発想である「病院の株式会社経営参画」など利潤追求をも導入しようとして反感を買ったのが小泉政権下の経済財政諮問会議のように思います。
今回のリーマンの破綻でいい加減に気づいて欲しいものですね。
何でもかんでも金だけで価値判断を下そうとすることが、いかに人々を幸せにしないかということを。
私も「周産期医療の崩壊をくいとめる会」の中にきっと通常医師には備わっていない才覚を有する先生がいらっしゃるんではないかと感じましたが、早速代表の方のインタビューを実現されるとは川口様の行動力・実行力に敬服致します。記事を楽しみにお待ちしております。
>KHPN様
まことにその通りですね。
ただ、この後のエントリーで真木さんが教えてくださった
「バナナダイエット騒動」などを知るにつけ
どうして、こんなにメディアリテラシーのない人が多いのか
だから好き放題されるんじゃないか、と
目まいを覚えます。
>石先生
ありがとうございます。
週末の間にアップできるんじゃないかと思っていたのですが
もう少々お待ちください。
利益を考えないのが「公」だとすると、日本のこれまでの流れは「受益者負担」に過度に流れすぎています
大学授業料などに代表されます
民間と競合するものは、供給することにより市場を広げたりします
この受益者負担の過度の考え方が日本の公をおかしくしたのではないでしょうか
>tune様
私は「公」と「非営利」とは異なる次元の概念だと思っています。
誰の利益にもならないようなことなら
しない方がマシなんであって
自分たちだけのためでない
社会全体の利益を増す行動が
「公」でないか、と。
受益するのが個人や狭い領域に限られるものであれば
それは受益者負担もやむを得ない
しかし公益に資するものならば
その負担については社会で検討する必要がある
このように考えます。
例示された大学授業料に関しては
教育が真っ当なものである前提条件つきで
もっと個人負担が少なくてもよいのでないかとは思っています。
>川口様
>例示された大学授業料に関しては教育が真っ当なものである前提条件つきでもっと個人負担が少なくてもよいのでないかとは思っています。
仰るとおりだと思います。自分の母校など医学生の数は増えていないのに、教官数が卒業生の採用を中心に20年程前に比べほぼ倍になったようですが、私が習った時代の教官数でも、十分真っ当な教育はできていたと思います。教育の質を確保するためには、教官の人数や予算よりも、より重要なファクターがあるように思えてなりません。
話のついでに、特に臨床医学などは、教官として自校卒業生ではない外の血を入れる、或いは卒業生は自分の出身校以外のところで違ったやり方・考え方・流儀を習うという他流試合を中心とした研鑽を続けていかないと、全国80の医科大学、医学部のそれぞれの診療部門でのお山の大将を頂点とするそれぞれの小さな集団が全てという小さな世界観に多くの医師が陥ってしまう危険性があります。これがまさに医局・講座制の弊害だったのではないでしょうか。
>KHPN様
80の大学のさらにそれぞれの診療科ごとの小さな世界という表現
言い得て妙だと思います。
医療が社会との信頼関係を再構築するためにも
そこは自律的に平準化していただければと思います。