死因究明検討会16(3)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年11月14日 12:24

木下委員と嘉山参考人の罵り合いに前田座長が割って入ったところから。
いきなり爆弾発言が飛び出す。


順を追って読みたい方は、(a → b → )で、どうぞ。


前田
「ちょっとすれ違いがある。犯罪かどうかという話をしているけれど、過失犯も犯罪だから。医療過誤は犯罪だから


嘉山
「犯罪なのだとしたら、規定が明確にされていなければならない。しかし自然現象の上に基準を持ってくるのはなじまない。先生、これは現場の声だ」


前田
「犯罪であるもの、不透明なもの、もう少し医療側の基準で切り分けてくれるならば、処罰されるのは非常にごく一部に限られることになる。応報という言葉が反発を招いているのだとしたら不徳の致すところだが、ひどい事件があったら処罰しないわけにいかない。なので免責はできない。どんなにひどい過失でも処罰できないことになってしまう」


嘉山
「基準があると本気で思っているのか。質の問題に法を科す、そんなこと。私なんか、外来で頭を開いて助けたことがある。そんなの教科書に載ってない。助かったから感謝されたけど、死んでたら処罰されるのか。きちんと運用するから大丈夫だと言っている人がいるけれど、実際に運用されている頃には法を作った人たちは死んでいないんだ。法文が独り歩きするのは目に見えている。我々はもうすぐ現場を去るから、別に今のまま法になったって困らない。でも、こんなものができてしまったら、これからを支える使命感を持った若い人たちが何もチャレンジできなくなってしまう。そんなの社会にとってはかりしれない損失だ。もっと教養を持って、ものごとを進めてほしい」


徳田
「確認だが、この委員会は、責任追及を行わないことでよろしいか。木下先生に伺いたいが、21条のことも含めて、この問題はあまりにも我々にとって理不尽だ」


木下
「医療界として了承した身として申し上げるのは、この第三者機関は責任追及はしない、と。ただ、その時にこれは明らかにヒドイという例は通知してほしい、それを警察・検察は尊重する、そういう仕組みになっている。通知しないとするならば、今まで通り警察の方が判断する。そこから見れば非常に狭められたことだけ通知すればよいのだから、対象が非常に狭くなって、我々医療側も動きやすくなる」


徳田
「大変申し訳ないが、それでは責任について判断していて、責任追及の一端を担っていると言わざるを得ない。何度も同じことを繰り返すが、医療安全のためには、当事者が包み隠さず話すということが大切で、そのことをどう担保するのか。一般的に責任を追及されると分かっていると本当のことを言わなくなってしまう。医療安全という観点から、事故死をどのように位置づけるのか、その結論をいただいたうえで改めて意見を述べる機会をいただきたい。1人1人の委員から、ご意見を伺えればと思う。そのために、もう一度時間を割いていただきたい」


豊田
「嘉山先生に伺いたい。私も、そんなにたくさんの数じゃないけれど、自分の病院の事故調や他の病院の院内事故調の外部委員をやったりしている。それから自分が関わってなくても、委員をやったような方のお話を伺うことがある。医療側が誠実に対応した事例では、ちゃんとやってくれたんだから刑事には問わないでほしいという声が患者側から出てくる。嘉山先生もそういう経験をされているのではないか。なぜ全部警察へ行っちゃうと思うのか。きちんと対応すれば、自然と警察へ流れる方向へは行かなくなると思うのに、どうしてそんなことを言うのか」


嘉山
「最近でもウチの科で過誤があった。亡くなったわけじゃないんだが、明らかな計算間違いだったので謝罪した。ただね、いくら患者家族が言わなくても、犯罪だと思えば警察は自律的に捜査に入る。そうなっている。なぜそうなっているか、法律がそうなっているから。私ハッキリ言っておく。これが通ったら、私は事故調査をやめる。なぜならば真実を聴けなくなるから。人間そういうものだ。たぶん手術もできなくなっちゃう。何が犯罪になるか分からない以上怖くてできない。これが現場の声だ」


前田
「大学病院の院内事故調でこれは犯罪じゃないかというのが出てきたらどうするのか」


嘉山
「何が間違ってて何が正当な医療か我々でも判断をくだすのは難しい。この委員会とは別の話になってしまうが、医療界が自律してこなかったのは確か。木下委員にも申し上げたいが、日医にはガバナンスがない。自律的な組織をつくって自分たちで処罰していくのが専門家としての義務だと思っている。でも、それを刑法でやるのは萎縮医療を招くだけだ」


前田
「医療界がやるから口を出すなというのでは、治外法権だ」


嘉山
「自然科学だから規定するのは無理なんだ。無理だから明文化もできない。法でやるんだというなら明文化したものを出してくれ。責任追及じゃないと言いながら、普通の人が文章を読んだらペナルティを問う仕組みにしか見えない。だいたい民主党案にこれだけ賛成が集まっているのに、どうして議論の俎上にも上がらないのか。それが民主主義的なのか」


前田
「もちろん最後には国会で議論されるわけだから、その際には民主党案との比較もされるだろう」


嘉山
「ここでも検討したらよいではないか」


加藤
「私が今まで院内事故調にかかわった経験から言うと、たとえ刑事罰があっても、包み隠さず執刀医やナースが話されたという経験をしてきている。02年に名古屋大病院であったカテーテルで腹部大動脈を突き破った件では、院内事故調で執刀医は弁護人をつけ黙秘権の告示も受けたうえで、二度とこういうことを起こさないようにという気持ちで全部話してくれた。そういう気持ちの医療者が少なくないのでないか。刑事免責がなければしゃべらないという人が本当に大半か。私はそうは認識していない。

資料1のP4、『原因究明・再発防止と責任追及とは明確に分離し、それぞれ独立した組織』という表現は、読み方によっては責任追及は刑事が独立で動いちゃえというようにも読める。が、それは本意ではないのだろう。今回の第三次試案はごくごく悪質なものに限って通知するわけで、部分的・例外的なものだけが対象になる。それを全面的に否定して、警察が動いた方がいいということか」


徳田
「医療安全という立場では、きちんと方向がされることが大事であり、そのためには報告の免責が大前提と申し上げている。それによって全ての情報があからさまになることの方が大事だ。それをどう裁くかは別建てで別の枠組みを考えたらいがかと申し上げている。最後に提案をしたい。どのように事故調査をしても患者遺族が納得しなければ当然訴訟になる。それでも医療安全全体のためには情報が出てくる方がいいと考えている。現状の枠組みでも、医療機能評価機構を強化していけば、かなりの調査はできるはず。ところが、そういう安全の仕組みの構築がすごく遅れている。この検討会でも、死亡事故だけでなくて全部を扱ったらどうかという意見が出ていたはずだ。ヒヤリハットをどうするのか、そういうことをもっとちっとやってくれるシステムこそ医療現場は必要としている。そこのところをきちんとこの検討会で議論してきたか、してこなかったと承知している。少し時間はかかるかもしれないが、医療安全のために本当に必要なシステムをつくってほしい」


嘉山
「加藤先生、普段は医療者性悪説で見ていて、今度は性善説でものを言っている。先生が事故調でどんな言い方をしているかも聞いているけれど、正直に言ったら警察には言ってあげるから、私の言うことなら警察はきいてくれるからという言い方をしているだろう。それは加藤先生だけの特殊な話だ。ここまで揉めている話をこのまま通さないというのは、患者さんのため、国民のためだ」


児玉
「嘉山参考人の資料の2-4-5は、私どもの趣旨で言うところの調査報告書が民事や刑事に使われることを想定しているならば、現行法上はこの程度のことしかできないという例示か」


嘉山
「こういうことを我々の事故調はやってますとという趣旨。厚労省主導で機構に届けるやり方に則っている。それが法律上どういう意味を持つのかは知らない。現状でも調査をしっかりやっているという趣旨だ」


児玉
「p51のようなものの言い方は責任追及とは違うのか」


嘉山
「大学での懲戒処分はある。それを念頭においている」


児玉
「調査報告書が民事にも刑事にも使われるということでよろしいか」


嘉山
「何に使われるという意識はない」


鮎澤
「嘉山先生に伺いたいのは、大学に預けてくれれば調査できるという趣旨だったと思うが、そのことについて全国の大学は了解しているのか。徳田先生は、日本全国の病院は、その一部である大学病院が調査委員会を主宰することに同意するかお答えいただきたい」


嘉山
「この委員会の大綱だって別に了解したわけじゃないし、予算だって分かってない。海のものとも山のものともつかない。それと同じレベルの話で、大学病院全部がこれを受けるかといったら、まだ話をしてはいない。国立大学の中では案として出したことがある。鮎澤委員は、大学病院は一部だというけれど、ハイリスク医療をやっているのは主に大学病院だ。だから調査対象に占める割合は多い。この委員会として法案をつくって大学にやりなさいと言えば、対応可能だと考えている」


徳田
「基本的に各病院がまず自分で調査すべきという考えだ。ただ大学病院のようにやれるかは別。今ある機構のシステムを利用して支援してほしい。現実論として大学病院を使うという考え方もあるのかもしれないが、しかしその情報を1カ所に集めてきちんと分析しないと意味がない」
(了)

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コメント

医療過誤をそもそも犯罪として扱わないことを、先進国の医療安全システムは採用しているのですが。そういう考えに変って来ているのです。
明らかに故意によるもの→薬物依存症の医師によるもの、知っていて健康な臓器を取り出した外科医(臓器の取り違いではない)、患者へのabuse、などは刑事事件化します。


前田議長は、そのことすら知らないようで。全然、わかっていませんね。
議長になるまえに、もっと医療安全のシステムを勉強したら如何でしょうか。
いつまで、こんな認識力の低い人間が議長を続けているのか。

この議長に、この問題を論じる資格と能力はないと思いますが。

嘉山先生のご発言「もっと教養を持って、ものごとを進めてほしい」
→「もっと、医療安全のシステムに長じた人が議長になって、議論してほしい。あまりにも、議長に知識がなさすぎて」

前田議長の発言「医療界がやるから口を出すなというのでは、治外法権だ」
→「あなたは認識不足で、お話にならないレベル、もう議長はおやめください」

やはり、この会議、解散して、別のところで、仕切りなおすべきです。

嘉山先生の意見に賛成です。

(1)「医療界が自律してこなかったのは確か。日医にはガバナンスがない。自律的な組織をつくって自分たちで処罰していくのが専門家としての義務」
(2)「犯罪なのだとしたら、規定が明確にされていなければならない。しかし自然現象の上に基準を持ってくるのはなじまない。」
(3)「基準があると本気で思っているのか。質の問題に法を科す、そんなこと」

(1)~(3)はよく理解できます。全くその通りだと思います。木下さんは理解していない。試案を見れば悪者探しに終始しているのは明白なこと。刑事の排除の一言も書かれていない。悪者探しに終始すれば個人を特定することに主眼が置かれ、内在するシステムとしての欠陥は見過ごされてしまいかねません。

科学と法律の違い、たとえば医学において明文化されている”いわゆる”診断基準においても、絶対のものではなく、あくまでも標準偏差内にあるものが対象です。そこでσ以外にはみ出た症例は明文化されていないわけだから医療側の責任になってしまうのは明らか。法律で医学に基準を設けるのは不可能だと思います。

(4)「法案をつくって大学にやりなさいと言えば、対応可能だと考えている」
これだけは無理があるのではないでしょうか。各大学でレベルも違う。標準の医療技術を論じるならば、大学ではなく(大学人が任に当たるとしても)統一組織があったほうがいいと考えます。

刑法第211条第1項(業務上過失致死傷等)
業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

気持ちはわかりますが、これを直さないと医療過誤→刑事起訴の可能性は無くならないと思います。これは医療安全調の話ではなく法制審議会マターなのではないですか?

>業務上過失致死傷等

会議の参考人として招かれた数名の医師を含めて関心のある医師の多くが問題視しているは、過失について。
どこまでが過失で、どこまでが過失でないのか。
医療過誤は過失なのか、そうでないのか。

診療の結果、患者にとっての有害事象は過失なのか・・・前田議長には、その区別が出来ないようです。
医療安全の考え方と、先進国で行なわれている実際のシステムについて認識が浅すぎることが、かれの最大の欠点です。
だから、議論が混乱して迷走状態のまま、会議が延々と16回も続いているのです。

刑法第194条(特別公務員職権濫用)
裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者がその職権を濫用して、人を逮捕し、又は監禁したときは、六月以上十年以下の懲役又は禁錮に処する。

厚労省(相)が何と言おうが、安全調が何と言おうが、刑法第211条第1項(業務上過失致死傷等)の要件を構成すると警察が個別に判断し、裁判所が逮捕状を発行すれば医師は逮捕されてしまうと思います。医師が安易に逮捕されてしまうことを、法に基づいて抑制するためには上記によって対抗し、警察や裁判官の判断や行動を慎重にさせることが、現在のわが国の法の制度設計ではないのでしょうか。

はじめまして。
普段からROMさせていただいております。

今回の前田教授の発言ですが、現行法を前提とする限り、医療過誤によって致死結果が発生すれば業務上過失致死罪という犯罪になってしまうのは、当然の話であって、「医療過誤は犯罪だから」との発言は法律家として当然の理解だと思います。
なぜこの部分を太字にして「いきなり爆弾発言が飛び出す」などとおっしゃっているのでしょうか。別に爆弾発言でもなんでもないと思いますが

>法律家として当然の理解だと思います

先進国における近年の医療安全のシステムづくりは、患者に起こった有害事象を故意でないかぎり刑罰で裁かないない方向で、と言う進み具合なのです。

基本的な医療安全の方向性、有害事象は医療過誤なのか、医療過誤でないのか、の区別、がきちんというか、全くできていないのが前田議長であって、医療安全の考え方としては周回遅れのまま、会議の議長を続けているのです。

つまり彼の勉強不足が議論を迷走させており、議長としての更迭が必要です。

>先進国における近年の医療安全のシステムづくりは、患者に起こった有害事象を故意でないかぎり刑罰で裁かないない方向で、と言う進み具合なのです。

世界にも稀な(だったと思いますが詳しい方ご助言をお願いします)「業務上過失致死」という概念が(残念ながら?)現在のわが国の刑法に存在するので医療過誤が刑事訴追の対象になってしまうという現実があるという事実を議長は単に述べているだけなのではないのでしょうか。

この委員会の議長をどなたに変えても刑法の「業務上過失致死」の部分を改正しないと何ら変わらないのではないですか?そして、法律の専門家によってこの部分の刑法改正をうまく議論してもらえる場はどこになりますか?(無論最後は立法府たる国会ですが、その前段階に政府提案として刑法改正を行う場合、通常は法務省が法制審議会に諮っていくというのが、私の限られた知識での理解ですが、間違っていたらご指摘ください)

「医療過誤は犯罪」とくくってしまったら、最先端の医療が萎縮し誰も手を出さなくなり、医療の進歩が困難になる等の理由もこの検討会の発足趣旨なわけで、この発言はその経緯をまったく理解していないということを露呈してしまっているのです。刑法で話が済むならそもそもこの検討会は必要ありません。

「医療過誤は犯罪」と言い切る法律家に対しては、医療過誤のうち犯罪に問われるものと問われないものの区別をはっきりと明文化して欲しいとごく当然の主張しているだけで、医療過誤をすべて免責して欲しいと主張しているのではありません。

しかしながら病気は自然現象ですから、そういう線引きは現実には困難でしょう。ならどうするのが、患者一般にとって一番利益となるのかと少なくとも座長には考えてもらいその方向で議論を進めてほしいわけです。

当事者の患者の利益や応報感情を重要視するのは不毛であり、それは現行の民法で処理すれば足りることだと思います。

>この委員会の議長をどなたに変えても刑法の「業務上過失致死」の部分を改正しないと何ら変わらないのではないですか?

もちろん、業務上過失致死の見直しは将来的には必要かもしれません。
医療安全のためにそれが必要なら、議長もそれについて言及すればよいのですが、全くしていません。
法の運用次第なのです。それは医療安全委員会が決めるべきことではなく、司法との話し合いも必要です。
まちがった法の運用があるなら。それを改めればよい。
諸外国が医療安全のシステムを作り上げていく過程を全く学習していないな、と思いますよ。

スウェーデンなどの北欧や、ニュージーランドでは医療裁判そのものを制限していますが、そういう考え方へのコメントもありません。

目の前の刑法から一歩も出ていないのです。
刑法とか、そういうことから離れた議論が全くできていない。
医療安全のシステムづくりは、刑法云々を話し合う場ではないはずです。

いつまでも医療過誤=犯罪とか、有害事象を過誤扱い、している認識の低さに呆れているいるだけです。
医療安全のシステムと、刑法との違いが全くわかっていない議長の認識の低さに呆れているだけです。

いずれにせよ、この会議からは何も生まれないと思います。

>「医療過誤は犯罪」とくくってしまったら、最先端の医療が萎縮し誰も手を出さなくなり、医療の進歩が困難になる等の理由もこの検討会の発足趣旨なわけで、この発言はその経緯をまったく理解していないということを露呈してしまっているのです。

 発足趣旨の理解が少々異なると思います。「医療過誤は犯罪」であるとする現行刑法の改正が容易ではないため、「医療過誤が犯罪であっても、その訴追を抑制する」ことが発足趣旨であると思います。
 現行刑法が軽過失も重過失も犯罪である、と規定し、公務員は法に定める範囲において、告発する義務を負う(刑事訴訟法239条2項)とされているにもかかわらず、大綱案では重過失の通知のみを規定し、これを前田教授が、「本来、軽過失であっても業務上過失致死罪に該当するはずだが、これを重過失の行為に限定するのが刑法35条の役割であり、許された危険の思想だ」として理論的裏づけをしていることから見ても、前田教授がこの点を理解していない、との批判は失当であると思います。

>先進国における近年の医療安全のシステムづくりは、患者に起こった有害事象を故意でないかぎり刑罰で裁かないない方向で、と言う進み具合なのです。

 英米法体系の国家においてもrecklessnessは処罰対象としており、故意のみに限定されている、とは言いがたいかとは思いますが、徐々にそのような方向性になっていると理解しております。
 なお、医療安全システム作りの際にいわゆるWHOのガイドライン等で言及される刑事免責とは英米法において中心的に採用されている使用免責(use immunity)をいうもののようですから、必ずしも医療安全システム作りが不処罰に直接つながる、と言いがたいように思います。その点で、諸外国と比べて行政処分等が不十分であったため刑事処分が前面に来てしまった日本においては、諸外国とは若干異なる工夫をしていく必要もあるか、と思います。
 もっとも、私は行政処分(それも再教育を中心とした)を充実させることで、刑法の出る場面を抑制する(米国のやり方)ことが長期的には最良だと思っています。その点で、大綱案に示された病院等に対する行政処分の強化などには期待しています

>医療安全のシステムづくりは、刑法云々を話し合う場ではないはずです。

 おそらくそこが大綱案の根本的に矛盾した点でしょう。本音では「医療安全システム作り」と「刑事訴追の謙抑的運用」の二兎を追いながら表面上は「医療安全システム作り」を目的とした機関としているわけですから。
 しかし、「刑事訴追の謙抑的運用」という設立趣旨を放棄すれば良い、というわけにもいかないと思います。
 医療安全システム作りは一定程度刑事訴追を抑制する効果はあるでしょうが、その効果は限定的でしょう。現在の医師の各方面の意見を見ても、最大の関心事は刑事訴追についてのようです(個人的にはあまり好ましくない傾向だと思っていますが)。単に運用を改めることとするだけで医療側が安心するのならばそれでよいとは思うのですが。

「医療過誤は犯罪」は正論であるとの趣旨とお見受けしますが、この文脈でつかわれている医療過誤という用語はしっかり定義・把握できているのでしょうか?

医療の現場では、なんらミスはなくとも患者は亡くなることもあり、病気が悪化することもあるのです。つまり一般に言う医療過誤にはこのミスのないものも含まれているという前提で医療関係者は使います。その意味では医療過誤という用語が悪いのですが。(これは少なくとも医療用語ではありませんので念のため)

いっぽうミスがあった結果の悪いケースであっても、そのミスが単なるケアレスミスなのか、合理性のあるミスなのかで責任は違ってくるというのが医療関係者の共通理解でそこを何とかこの検討会で法的にもはっきりと区別して欲しいと考えています。

このあたりの話を参考人と委員が激論しているときの議長の言葉がこれなのですよ。議長は明らかに医療過誤を「ミスがある結果が良くなかったケース」と考えておいでで、ミスの質的違いについては理解不能なようです。議論の土俵にも上がれていません。

通常の犯罪の故意に対応して、業務上過失の構成要件には予見可能性が必要かと思いますが、どんな初歩的な治療にもうまくいかない可能性があることを医療関係者は認識していますがありますから、医療の場合どんな失敗でもすべての過失について予見可能性があることになります。ということは医療の業務上過失は他の業務よりあてはめやすくなり、他の業務と同じ構成要件で過失を判断することは医療にとって著しい不利益となりますね。

とにかく過失についてもう少し現状に即した合理的な形で法を運用して欲しいというのがわれわれの願いです。治外法権(これも議長の認識不足を表している衝撃的な発言でしたが)を求めているのではありません。これは司法や立法に携わる方々のの怠慢です。そしてその不利益は医療の萎縮や立ち去りという形で一般の国民が被っているのです。


刑法第35条(正当行為)
法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

刑法第38条(故意)
罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

医療者は「正当な業務」として診療を行い、特段「罪を犯す意思」を持って診療に臨んでいるわけでないことは私は自明の理だと思いますが、「過失犯」のひとつとして刑法第211条第1項に「業務上過失致死傷罪」が特別に規定されているために、結果責任のような形で医療者も含めて「刑法犯」の疑いで逮捕・起訴されてしまうような法的な構造になっていることが問題なのではないでしょうか。

医療過誤事件の場合、実際には数万円の罰金で終わっているとの話も聞きますが、そのために公権力が被疑者である医師を逮捕・拘留まで行ってしまうことが、結果として医師としての職業生命をも奪ってしまうことにも繋がり(こうなると別途民事訴訟で患者や遺族側に支払うべき資金も現実的には手当てできなくなります)、また、善意と使命感を持って患者の診療を行う大多数の医療者を他の犯罪者同様に取り扱おうとすることが、彼らに許容し難い心情的苦痛を産み出し、結果、現場の医療崩壊を招いてしまう。

これは行き過ぎなのでしょう。逃亡の危険性が高いわけでもないのでしょうから逮捕・拘留などをせずに在宅起訴で十分です。

>「医療過誤は犯罪」は正論であるとの趣旨とお見受けしますが、この文脈でつかわれている医療過誤という用語はしっかり定義・把握できているのでしょうか?


正式な定義は現実はありませんがWikipediaによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%83%9F%E3%82%B9
「医療事故のうち医療従事者側等の人的または物的なミス(過失)がある場合をいう言葉である。すなわち、医療従事者が、医療の遂行において、医療的準則において患者に不利益を被り被害を生じさせた状態である。医療過誤であることを確定するためには、過失の法的構成要件が揃っている必要がある。」
とされています。
有害事象はミスがない場合も起こりますが、それは通常医療事故と呼ぶと認識しております。
医療事故と医療過誤の定義についての千葉県病院局策定の安全管理指針でも同様の定義がされています。
http://www31.atwiki.jp/rokurokubi/pages/111.html

>医療の場合どんな失敗でもすべての過失について予見可能性があることになります。ということは医療の業務上過失は他の業務よりあてはめやすくなり、他の業務と同じ構成要件で過失を判断することは医療にとって著しい不利益となりますね。

従来の過失判断方法は交通事故における過失判断方法をそのまま使っていますから、必ずしも医療の過失判断に適合しているとは言えず、とはいえ医療が刑事訴追される例は非常に少なかったため新たな判例の基準が確立しているとは言えないのはご指摘の通りかと思います。
福島大野の判決は回避可能性を認めつつ回避義務違反を認めない、という構成をとっており、この点で注目されるべき判決であると思います。司法は基本的に受身とならざるを得ず(起訴がなければ判決は出せない)、なかなか新基準を確立することは一朝一夕にはできない、とは思いますが、こうした努力は司法も継続して続けていただきたい、と思います。

初めてここに投稿させて頂きます。
 現在、事故調のことで紛糾していますが、本来なら行われている委員会を2つに分けるべきではないでしょうか?
 一つは、医療の安全性と質の向上という目的だけを目指す委員会。将来的にはアメリカで言うところのJCAHOの様な組織につながればいいと思います。この組織で検討された内容は、刑事にも民事にも使用されることはなく、将来の安全な質の高い医療につなげる目的でのみ使用可とします。
 もう一つは、医療に関する法の整合性、医療の何が犯罪になるか徹底的に議論してもらうような委員会(もちろん議長は前田先生になるかと)。ここでは何が犯罪となるかをきちっと明文化して頂きたいと考えます。何かと勘違いされていますが、医療者は完全な免責を求めているのではありません。はっきりした基準と合理性のある内容を求めているのです。
 このふたつを一緒にやることは、やはり無理があると思うのですが…。

ろくろくびさま

医療事故の中に医療過誤と医療過誤でないものがあると引用のサイトからは読み取れます。これに沿って過失を基準に医療事故を分類すると、
①過失のない有害事象
②軽過失の有害事象
③重過失の有害事象
となるかと思います。

座長の頭の中ではこのうち②③を指して「医療過誤は犯罪」と断じていて、②は免責③は有責という構図に当てはめようとしているのでしょう。

しかし医療関係者は、この分類はレトロスペクティブで、いわば机上の空論、流行の言葉では後出しじゃんけんで実際の医療現場では無意味であることを知っていて、それを超えた議論を期待しています。交通事故の裁判では有効な分類なのかもしれませんが、時々刻々変化する病態に対応する医療現場では常に己の知識と経験からベストと思う治療を選択しているだけで、事後に①~③を区別されても困るのです。

この医療の現場と法との齟齬を解決してくれるのがこの検討会だと期待していたところ、座長ですらそこのところの事情をこの期に及んでも理解していただけないことに「法と医療の相互理解はかくも困難であるのかという」絶望感すら感じています。

また大野病院事件については最高裁判決でないので参考にならないと座長自ら発言しておられます。上級審で覆された判決とは違い、検察が控訴すらできなかったのに判例にならないというのはどういう理屈か理解に苦しみます。

>皆様
大変勉強になるコメントの数々まことにありがとうございます。
私から付け加えることは特に何もございません。
このような議論を、検討会の初期にやってくれていればと思います。

>てくてくさま

>座長の頭の中ではこのうち②③を指して「医療過誤は犯罪」と断じていて、②は免責③は有責という構図に当てはめようとしているのでしょう。

そう理解してよいかと思います。

>事後に①~③を区別されても困るのです。

 おっしゃりたいことは分かるのですが、どこかで「処罰相当の過失であるか否か」の線引きをしなければ、非常に悪質な過失であろうとも不処罰となってしまいます。これでは国民の十分な理解を得られないばかりでなく、再教育を中心とした行政処分または医師の団体による自律的処分さえも不可能となってしまいます。
 たしかに、どこで線引きをすべきか、というと、具体的に「ここだ!」というものがあるわけではないだろう、と思います。しかし、交通事故の過失判断においても自動車の普及に伴って多数の判決を蓄積していき、ある程度の線引きが可能になったのと同様、医療においても相当数の事例を蓄積していくことによって、「大体ここら辺」といったものを模索していくしかないのではないか、と思います。

>大野病院事件については最高裁判決でないので参考にならないと座長自ら発言しておられます。

 あの発言があったとき、私は現場にいまして、「誤解されそうなこと言わなきゃいいのに」と思っていたところ、案の定キャリアブレインが馬鹿な記事を書いていて閉口させられたのですが、前田座長の言いたいことがいまいち上手く伝わっていないように思います。
 せっかく川口さまが文字に起こしてくださったので以下を参考に書きます。
https://lohasmedical.jp/blog/2008/10/post_1420.php

まず、前田座長の発言
>大野病院は地裁判決なので、あの判断が間違っているということではないけれど、最高裁判決でなければ法律家は判例と呼ばないので、法律家としてはあまり重視できない。一つの判決だけで、厚生労働省の方に書き込んじゃうとまずい

これは直前の樋口委員の以下の発言を受けたものです。

>そこで法文として書き込むのがどうなのかは分からないが、ちょうどこの8月に大野病院事件の判決が出て、裁判所が一つのルールを示してくれた。著しく標準的医療から逸脱するとは、こういうことだと。確定はしたものの地裁判決であって、ではあるが具体的な事件で基準が示された。これは分かりやすいと思う。・・・判決を注で出していただけると、責任追及でない別の仕組みでがんばろうという気運が盛り上がるのでないか。

 つまり、福島大野の「判断基準」を厚労省が文書に書くことがまずい、ということを言うために出てきた話なのです。そして、これは基本的に正論です。一つの判決で行政機関が文書にその「判断基準」を書くのならば、最高裁判決が原則として必要でしょうし、もしそれがないのならば国会を通すべきである、という考えが普通ではないか、と思います。
 また、実際上も、あまり福島大野の「判断基準」を絶対視すべきではない、と思います。なぜなら、
>臨床に携わっている医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反したものには刑罰を科す基準となり得る医学的準則は、当該科目の臨床に携わる医師が、当該場面に直面した場合に、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の、一般性あるいは通有性を具備したものでなければならない。

 この地裁の判断基準は福島大野事件では妥当であるとはいえ、例えば新規の治療方法を採用したような場合にはかえって有害となる可能性があるためです。あまりこの基準を一般化し、一人歩きさせてしまうことは必ずしも良いことばかりではありません。
 しかしながら、決して福島大野の判断基準の重みが軽いわけではありません。後続の判決や、検察の起訴判断、事故調の通知基準等に事実上大きな影響力があることは間違いなく、前田座長も「大野病院事件のことに関して言うと、最高裁のもの以外判例とは言わない。しかし、これだけ世の中に注目され評価されているものが影響を与えないわけもない。」と述べており、決して福島大野の判決を軽視しているわけではありません。

>川口さま
 度重なる長文投稿となり、申し訳ございませんm( _ _ )m

ろくろくびさま

くらくらするようなレスありがとうございます。前段部分に、ひとつひとつ反論する元気がありませんが、ろくろくびさまのお考えどおりとしますと、すすみつつある医療崩壊は防げないとだけ言わせていただきます。

後半部分の「判例にはならない」と言われた件ですが、

芝原邦爾、西原典之、山口厚編「刑法判例百選Ⅰ 総論(第5版)」有斐閣

では、全103判例中、最高裁(大審院を含む)判決が76例、高裁判決が12例、地裁判決は14例、簡裁判決が1例となっていますね。どうどうと最高裁判決以外の判決が判例として取り上げられていますよ。同じ用語が場合によって使い分けられるのはいかがなものでしょうか?

てくてくさま

そもそも年間20件に満たない、といわれる刑事処分(しかもその大半は略式起訴による罰金刑)を抑制しても、医療崩壊を防ぐ効果はそれほど大きくないでしょう。しかも福島大野、割り箸と無罪判決が続いた今、訴訟リスクという観点から見れば民事訴訟のほうがはるかに大きな問題であろうかと思いますし、訴訟リスクは医療崩壊の原因の一要素にしか過ぎないと思います。
医療崩壊防止のために過失の不処罰を、というのはやはりその妥当性・実現可能性・効果等の観点から見て、適当とは言いがたい、と思っております。医療崩壊を防ぐ効果を刑事処分制度に対して過大に期待しても、期待はずれに終わってしまうかと思います。

判例の定義ですが、仰るとおり、狭義の意味で使われる場合と、広義の意味で使われる場合があります。たとえば「判例違反」「判例法」という場合は通常最高裁判例を指しますが、「判例集」などでは下級審判決ばかりか、下級審決定さえも判例と読んでいたりしていて、まちまちです。
わたしが前田座長の発言を聞いたときに、「誤解されそうなこと言わなきゃいいのに」と思った、ということを上で書きましたが、そう思った理由はまさに、判例という言葉の定義が一定ではない、というところにあります。

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