チェ・ゲバラと田原総一郎

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2009年02月08日 12:55

昨日、公開から1週間遅れながら『チェ・ゲバラ39歳別れの手紙』を観てきた。前作が最後にカタルシスを感じることのできるものだったのに対して、本作は胃に石を突っ込まれるような救いのない映画だった。しかし淡々とした中に、何か魂を揺さぶられるものがあることはたしかであり、2作品合わせて多くの人に観て感じて考えてほしいと思った。

話はかわって、仙台での事故調説明会の記事にコメントをちょうど1週間前にいただき、それに対する返事の中でTV朝日系『サンデープロジェクト』の派遣法制定の経過を追う特集に言及した。「後からとやかく言うより、できる前に報じろよな」という根本的な感想はおいておくとして、今日の後篇も興味があったので見た。

過度なセンセーショナリズムに走ることなく淡々と事実経過を追っていて、好感の持てる作り方だった。なるほどねえ、と思っていたら特集の終わったところ、番組全体の終わる寸前に面白いことが起きた。

ご覧になっていればお気づきになったと思うのだが、司会の田原総一郎氏が突然「今になって、この時のこれが悪かったなんて、そんなのおかしい」と怒り出したのだ。

「その時に言え」という意味なら同意する。しかし怒り方が、まるで自分が批判の対象にされているかのように妙に感情的だった。いったい何を怒ったんだろうかと、しばし考え、そしてある仮説に達した。

彼は、現在のテレビ報道を相当思い通りに制御できると自負していると思う。しかし自分が制御できなくなった後に何を報じられるか、自分の行動もまた検証の対象になる、その可能性に気づき慄然としたのではないか。

私は多くを語るほど田原氏のことを知らない。ただ言えるのは、彼が何かに恐怖を感じたこと。もし自分の行動が歴史の検証にさらされるかもしれないという自覚を持って、自分の良心に従って日々を行動しているのなら、あの特集にあそこまで怒ることはなかっただろうと思うのだ。

これは田原氏だけの問題ではなく、未来からの視座を持たない人々が今の日本の中枢に多すぎると、検討会の傍聴などをしていてつくづく感じる。そして自分自身も、お前は常に考えているのかと自問すれば恥じ入るしかない。

比べるのも失礼な話だが、チェ・ゲバラとの違いは、案外その一点に集約されるのかもしれない。

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コメント

これまでロハスメディカルブログに直接ブックマークしておりましたので、ニュース内記事に気付いていませんでした。そういう方も多々いるものと思います。

 ひょっとすると、後知恵的な評価に腹が立っただけかも知れません。

 後世の史家にも大別二種類があって、自分達がその後の歴史の流れを知っていると言うことを度外視して、ただただ結果の悪かったことを批評する立場と、当時の人物の置かれた状況をできるだけ考えて、その上で過程の適否を評価する立場の二種類です。

 前者と思えば、自分でも不公正と思います。

>T様
ご指摘ありがとうございます。今後はニュースの方もよろしくお願いします。

>rijin先生
「この時こういうことがあった」という事実発掘と
それに対して価値判断することとは、別の次元の話だと思います。
価値判断するのは私もちょっと待てと思いますが、事実発掘はすべきだろう、と。
その時点で本人に恥じるようなことがなければ
何を掘り出されようが、恐れる必要はないんでないか、と。
私には、田原氏の反応の中に恐れが見えてしまったのです。

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