対話こそが解決への道。

投稿者: | 投稿日時: 2009年03月17日 12:27

昨日、この4月にADR法が3年目を迎えることもあって、医療ADRが求められている理由を再確認しました。つまり、医療紛争解決の手段として現在とられている民事訴訟が、実際には、患者や遺族が求めている真相の究明や医療側の真摯な対応には結びつかないケースが多い、ということです。

その点を踏まえながら、今日は、医療ADRで考えられる2つのタイプ「裁判準拠型」と「対話自律型」について、考えていきたいと思います。ちなみに、周産期医療の崩壊をくい止める会で注目しているのは後者、「対話自立型」です。その点、念頭に置きながら、しばしおつきあいください。


さっそく本題に入りますと、まず、「裁判準拠型」とはどういうものでしょうか。ベースとなっている考え方は、「裁判や法的解決こそが、本来あるべき適正な紛争解決方法である」というものです(やはり弁護士や法学者に強い発想です)。ところが医療訴訟となると、実際のところ多大な時間やコストを要するため、患者・家族としてもなかなか踏み切れないものです。そこで、最終的に当事者(医療機関側、患者側)の合意で解決するとしても、その解決案は裁判例をベースに弁護士が提案し、主導する――これが文字どおり「裁判準拠型」ADRです。実際すでに、交通事故紛争処理センターなどではこのシステムによる前例があり、そこでは評判もなかなかだといいます。

しかし、お察しが付くかと思いますが、この形式では、審議される内容的は裁判と変わらないのです。つまり、限定された争点のみが議論され、「病室・手術室内で何があったのか」、その全体像が明らかになるとは限りません。しかも、判例をベースに、法的解決をより簡易迅速に浸透させようとする発想では、医療側がいやおうなく防御姿勢となる現状に大きな変化が期待できるとも思えません。


一方、「対話自立型」ADRはどうでしょう。こちらは、ADRが自由で柔軟な制度であることを積極的にとらえ、裁判や法的解決では満たしきれない当事者のニーズに応えていこう、という理念に基づいています。

ここで重要なのは、医療紛争における患者側と医療側のニーズは、実は多くの場合、根本の部分でかなり一致しているということです。患者・家族のニーズは昨日触れましたが、医療側も「相手と向き合って対話をしたい」「真摯に臨床経過を明らかにしたい」「再発を抑制したい」「適正な金銭賠償をしたい」と複雑な思いを抱えているのです。

そこで「対話自立型」ADRでは、「相手方と向き合って話したい」という両当事者のニーズをダイレクトに反映させます。つまり、患者側・医療側の直接対話を通して両者の納得と合意形成を目指すのです。柔軟で未来志向の対話の中でなら、両者が事故の再発予防策について協議することも期待できます。こうして最善と思われる解決を当事者自身が自律的に模索していくという、“私的自治”を追求していくのが、この「対話自律型」ADRというわけです。そこでの仲介する第三者の役割は、当事者による自主的解決をさまざまな形でサポート援助していくことになります。


以上から、医療紛争における民事訴訟にかわる解決手段として、どちらがより好ましいかは明白だと考えます。しかもそれは、個別のケースの当事者間にとって、というだけではありません。近年の医療訴訟の増加がリスクの高い医療への挑戦を躊躇させ、特定の診療科の医師不足などを招き、結果として医療崩壊の大きな要因となってきたことを考えれば、いわゆる法的解決は限界にきていると言えます。すなわち法的解決を本質とする裁判下請け型ADRは、これまで医療訴訟が医療や社会にもたらしてきた悪循環を助長しかねません。法的解決を無視しようというわけではありませんが、医療崩壊の背景と経緯を考えるとき、そして真に患者・家族の求めるものを実現することのできる制度を追求するとき、対話自律型ADRの果たす役割は決して小さくなさそうです。


すごく基本的なことながら、医療崩壊で最終的に困るのは、私たち患者側、一般国民なのです。それが当事者としての意識がないまま、無関心のうちに、医療紛争解決の手段としても「裁判準拠型」ADRが普及してしまえば、後々公開するのは我々自身でもあるのです。

一方、くい止める会では当然、「対話自律型」ADRを支持し、そのあり方や制度構築についても積極的に関心をもって研究を進めています。「妊産婦死亡した方のご家族を支える募金活動」もそうですが、くい止める会の取り組みは、目の前に起きている問題の解決に終わらず、将来の医療と社会を視野に入れたものになっているのです。

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