「ラグ被害者の声も聴いて」 薬害検証委インタビュー③ コメント欄

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2009年07月25日 10:04

 医薬品の用法の厳格化を求めるなどの第一次提言を出した厚労省の『薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会』に対して、先般、ドラッグラグやワクチンラグに悩む6つの患者団体が連名で要望書を出した。その真意はどんなことなのか、要望書の取りまとめをした「細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会」事務局長の高畑紀一氏に聴いた。(川口恭)

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コメント

 重要な視点だと思います。これまでの議論では、すっぽりと抜け落ちていました。これをきっかけに、国民的な議論が広がることを期待します。

 一般市民の方がここまで言っています。医療界は反省すべきですね。

 「副作用」を問題にする勢力に、「主作用」側が完全に負けている、ということですが、その原因は、医療者がきちんとインフォームドコンセントを実施してこなかったことによる医療不信にほかなりません。
  医療者は、「こういうリスクはあるが、実施したほうが利益が大きい」という、バランスのとれた説明を誠意をもってすべきだったのに、良いことばかりを強調してきたことは確かです。自分が積極的治療を信じているので、起こり得る悪いことには言及せずに、誘導してしまったわけです。医療者が「これぐらいの副作用は我慢してもらわなくては。何しろこれをしなければ死んでしまうんだから」あるいは、「打てる手はすべて打たねば。手段があるのに手をこまねいているなんて、医者としてはできない。やればやるほど儲かるし。副作用の報告?まだ決まったわけじゃないだろ・・」というような、医療側の論理で突き進んでしまったのです。その非は潔く認めるべきです。
  しかし、非は非として、大局的には、「公衆衛生(公共の利益)」という観点から考えるべきでしょう。特にワクチン行政の転換は急務です。日本のワクチン政策は公衆衛生の常識からあまりにも逸脱しています。
  不運にも副作用で亡くなった患者さんやその遺族が、副作用ばかりを非難して医療行政を大きくゆがめてしまったことは事実で、やはり、どうしてこうなってしまったかという検証と反省が必要です。
  もちろん、副作用被害者救済策も必要です。 
  しかし、主作用と副作用のどちらを重視するのか ――― 医療者がプロとしてバランスの取れたインフォームドコンセントを示して国民に選択してもらいましょう。

 生涯いち医師 先生、こんにちは。

> 医療者がプロとしてバランスの取れたインフォームドコンセントを示して国民に選択してもらいましょう。

 認知バイアスというものがあります。カエサルの言葉を借りれば、「人間は、自分が信じたいと望むことを喜んで信じるものである」ということになります。

 かつてインフォームド・コンセントが充分でなかったというご指摘はおっしゃるとおりと思います。しかしながら、ICには人間の本質に根ざした限界があるのです。

 逆に言えば、認知バイアスを利用すれば、どのような方向への誘導もほぼ思いのままであり、そこまで理解した医療従事者が患者さんの選択に影響力を及ぼすことは好ましくないというご指摘ならば、それもまたごもっともと思います。

 医療従事者は、認知バイアスに対して可能な限り中立的な選択肢の提示の仕方を学ばなければならないのでしょう。

 ただし、それでも受け手の側の患者さんは、自らの認知バイアスから自由になれません。結局、医療従事者が事前に誠実なICに努力すること「だけ」では、問題の解決と防止には不充分です。

 この問題の根は深く、解決は医療従事者の努力だけでは不可能であろうと思います。

 そういう意味で、国民の中には医療を巡って様々な立場があり、互いにトレードオフの関係にある選択肢を求めているのであるということが広まることは、非常に有意義なことであろうと思います。

 よく考えれば、薬剤自体が主作用と副作用のどちらに対しても価値中立的であるように、医療従事者も各々のクライアントである患者さんの立場の代弁者にはなれますが、それに比べれば、自身がどのような意見を持つかはプロフェッショナルとしては些末なことに過ぎません。

 立場の異なる国民間の直接・間接の対話を一層進めていくことが、一時的な更なる混沌を通して、光明に達する唯一の方途であるように思います。

インフォームドコンセント

極論すれば、80%の方は、本人がどう望んでいようとも、説得しようとする人の意のままで、納得してしまうでしょう。これは大きな情報格差のある場合仕方のないことです。見せかけの「患者の同意」ではなく、本当に理解して同意してもらおうとすれば、中学から大学までの全国民に、医学教育を週4時間以上するしかないでしょう。そうすれば国語と同じように医学を理解し、常識的判断ができるようになるでしょう。どんなに頑張っても1時間やそこらの時間の説明で、納得して治療を受けるなど無理です。「わかるように説明してほしい」というなら、毎週講義してあげますから1年後に判断してくださいというしかないですね。


作用と副作用

かならず付きまとうものですから、どこで納得するかです。欧米は一般に作用を重視して早めに市販・使用し始めますが、薬剤副作用モニタリングもしっかりしていて、まずいと思えば早めに使用を中止します。このため事故率は決して低くありませんが、被害者総数はそれほど大きいわけではありません。
一方日本は慎重に認可しますので、事故率自体は低いのですが、市販後のモニタリングは不熱心なので、一つの事故での被害者はとても多くなります。
日本型と欧米型をいいとこ取りすれば、もっと良い医療を提供できるのですが。

薬害と言う言葉が、議論を混乱させる諸悪の根源だと思います。

「薬害」という言葉には、「薬による被害は、誰かに責任がある」というニュアンスが込められているように思います。しかし、皆様仰るとおり、薬を投与する限り、副作用と言うものはついて回ると思います。

「誰に責任がなくとも、薬による被害は発生するもの」という事を国民が認識しなくては、「薬害」問題、「ドラッグラグ」問題は、先に進まないと思います。


なお、個人的には薬害とドラッグラグはトレードオフの関係であり、薬害を解消しようと思えばドラッグラグは避けられないでしょうし、ドラッグラグを解消しようと思えば薬害は避けられないような印象です。

「薬害」は、重大な副作用の発生が予想される時に、その副作用を避ける手段を公開せず、人為的に被害が広がった場合に限定して使用すべきです。でないと議論が見えにくくなると思います。

「被害者」という特権獲得・保持のためには、加害者である国。製薬会社に無限の謝罪・反省をさせなければならず、そのために手段を選んではいられません。

まあ、自称薬害被害者の特権を自称ラグ被害者がうらやんでいるだけだと思いますよ。

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