久しぶりのメンタル崩壊 |
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投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2017年07月10日 15:26 |
先日、久しぶりに産後うつの真っ最中を思い出すようなメンタル崩壊が起きた。
息子が通っている子ども園で風邪が流行っていて、先々週ぐらいから息子は熱を出したり、咳や鼻水が出たりと、ずっとぐずぐずと風邪をひき続けている。
熱は39度ぐらいまで上がるときもあり、先週は子ども園から呼び出されることもあったし、登園を休むことも2回あった。
下痢や鼻水、何を食べさせるかといったケアも手間はかかるが、今回もっともつらいのは、夜中の連続の咳だった。
今回の風邪はわりと咳が続くタイプらしく、起きている時も咳き込むが、寝ている時の方がひどい。
深夜2時以降、続けて咳をし出すので、もちろん私は目が覚める(なんで子どもの咳ってあんなに気になるんだろうか)。
息子は寝ぼけていたり、起きていたりだが、寝ぼけていると私にくっつこうと体を寄せてきたりする(と言うと可愛く聞こえるが、実際は頭突きとか踵落としとか、痛い系が多い)ので、私も目が覚める。
私は背中をさすってやったり、心細そうなときは手や腕、脚を握ってやったりする。
夜中の咳は、鼻水が喉に落ち込んで起こることも多いので、電動鼻水吸い取り器で吸い取ったりもする。
これが先週半ばから週末にかけて、ずっと続いていた。
お陰で、私は毎日2、3時間ぐらいしか寝られず、ひどい睡眠不足が続いていた。
それでも日中は子ども園に行ってくれるので、つら過ぎる時は体を休めたり、なんとかバランスを保って仕事も続けていた。
しかし、呼び出されたり、園を休むことになると、私の体の方がつらくなった。
何しろ、昨日2歳になった息子はイヤイヤ期全盛大魔神(私の中でイヤイヤモンスターからイヤイヤ大魔神に呼び名が変わった)だ。
熱があろうが下痢や鼻水をしていようが、要求はあれこれ凄いし、一緒に遊ばないと泣き喚くし、まあ本当に強い。
息子に付き合って遊ぶ自分を客観的に見ると、「去年の今頃に比べて本当に私は元気になったな…」としみじみ思う。
それなりに体力があれば遊んでやれるのだが、ないとキツイ。
そしてこの前の土曜日、私は日中に仕事をする予定だったので、子ども園に土曜保育をお願いしていた。
その日は夫も仕事で早朝から車で遠出していなかった。
私は夜中からずっと息子の咳で起きていて、ほとんど寝られなかったので、睡眠不足でフラフラ、頭痛もひどかった。
それでもとりあえず息子が子ども園に行ってくれたら、少しでも寝て、仕事に向かおうと思っていた。
しかし、息子自身も睡眠不足なのかひどく不機嫌で、体に触ると明らかに熱かった。
もしやと思い体温を測ると、37.5度あった。
これでは子ども園に行けないじゃないか…。
それでも連れて行ったとしても、園の先生が息子の体に触って熱いと思ったら熱を測るだろうし、それで37.5度あったら即呼び出される(通っている子ども園の呼び出しの基準は「37.5度」)。
いつも出掛ける準備をするのに多大な苦労を要するイヤイヤ大魔神を頑張って連れて行って、すぐさま呼び出されるのでは、私も疲れるだけだ。
最初からもう今日は休みにした方がいいのかもしれない・・・。
そう思って、私は子ども園に電話して休むと告げた。
仕方ない、私も今日の仕事は休みにして、家で面倒を見よう。
そう思ってしばらく息子の相手をしていたが、とにかく機嫌が悪くて、何をしても嫌がるし、怒るし、泣くし、叩いてくるし、大変だった。
息子も眠たかったり、体がしんどいんだろうなと思うものの、あまりにも機嫌が悪すぎて、私もつらくなってきた。
私も眠たいし、体が怠いし、頭も痛い。
とにかく、休ませてほしい、少しでいいから休ませてほしい。
ここ数日の睡眠不足がたたって、私のメンタルは明らかに落ち込んでいた。その自覚もあった。
こういう時は絶対に無理をしてはいけない。無理をすると、絶対にヤバくなる。
それが分かっていたので、息子の相手もほどほどにしておこうと思っているのだが、息子は目の前で泣き喚き、あれで遊んで、次はこれ、お菓子を食べたい、抱っこして外に連れて行って、と次から次に要求してきた。
しんどいなあ、2歳児。
体、めっちゃしんどいなあ。
眠い。
お腹も空いた。
睡眠不足に空腹は最悪だ。せめて少しでも食べないと、もたない。
そう思って私が朝ご飯を用意し始めると、息子が手を引っ張る。
いつも私が食事を用意したり、食べたりしていると、こうやって「こっちに来て遊べ」と要求してくる(この朝、息子本人は朝ごはんは要らないと拒否した)。
こういう時、私は「泣き喚かせてでも自分は食べる」と「今は食べずに遊び、機嫌がよくなってから落ち着いて食べる」を天秤にかける。
独身時代の頃の私は、「そんなの子どもなんてほっといて食べればいいじゃん。泣こうが何しようが、大人がちゃんと食べてペースを保っておくのが大事でしょう」と思っていた。
しかし、この考えは子どもが生まれた瞬間、崩れ落ちた。
何度も書いているが、子どもの泣き声は本当に苦しいのだ。痛いほどに苦しい。それを放っておくというのはなかなかできない。
息子はある程度遊んでやって機嫌がよくなれば、私が食事だろうが電話だろうが何か別のことをしても気にしなかったりする。
また、「遊びやスキンシップなどの子どもからの情緒的な要求に対してはできる限り付き合ってあげる方がよい」と私が好んで参考にしている育児書には共通して書かれているので、それも一つの行動指針になっている。(この辺の考え方は人によってかなり違うと思います)
なので、体力やメンタルの余裕があるときは遊んでやるし、余裕がなければ自分を優先する。
でもこの時は、息子が私を引っ張る力に負けてしまった。それほど、体がフラフラで力が入らなかった。
この時は、絶対に自分を大事にしなければいけないタイミングだったと思う。
でも私はあまりにしんどくて、息子に抵抗すること、ご飯を食べることすら「めんどくさい」と思ってしまった。
そして不機嫌な息子の次から次へと続く「これで遊んで」に答えているうちに、
ああ、本当につらい。
私、本当に今、しんどい。
つらいなあ。
と思って、気づいたら、涙がぽろぽろとこぼれて、止まらなくなっていた。
息子は静かに涙をこぼし続ける私を見て、何かおかしいと思ったらしく、私にくっついて「哺乳瓶でミルクを飲みたい」と求め始めた。
息子はとっくに卒乳しているが、体調が悪く食欲がない時、安心して落ち着きたいときなどには哺乳瓶でフォローアップミルクを飲む。息子にとっての精神安定剤みたいなものだと思っている。
抱っこしろとせがむので、私は断るのもめんどくさくて、フラフラしながら抱っこしてミルクを作った。
ミルクを作りながらも、ボタボタと涙が落ちていた。
そして息子に飲ませている時も、涙はずっと落ち続け、鼻水まで混ざり、息子の服がべちゃべちゃになった。
息子はミルクを飲みながら私の頬の涙を触っていたかと思うと、飲んでいた哺乳瓶をぐいっと押し戻し、立ち上がり、「これ!」と言って私にティッシュを持ってきてくれた。
「あはは、お母さんが『はなぴ』だね(いつも息子の鼻水をティッシュで拭く時に『ピッ』という効果音を付けているので、鼻水を拭うことを『はなぴ』と言うようになった)」と私は力なく笑った。
そして息子が持ってきてくれたティッシュを使って思い切り鼻をかんだが、涙も鼻水も全然止まらず、私は涙を流し続けた。
そして心配そうに私を見ている息子を抱き絞めた。
「やんちゃん(息子のあだ名)ごめんね、お母さんちょっとしんどいわ」
そう言いながらも泣いていた。
だんだん嗚咽が大きくなってきた。
息子は私に抱き絞められて、静かにしていた。
ダメだ、しんどい。
もう、無理だ。
この時、産後うつの酷かったころの様子が自分の中に甦ってきた。
同じだ。
あの頃と同じ、圧倒的な孤立感。
絶望感。
息子の泣き声を前に、誰か助けてくれと叫んでいたあの頃。
私は一人だ。
一人で、この状況をなんとかしなければいけない。
でも、体がしんどい。つら過ぎる。
無理だ。
でも、この状況を何とかするのは、私しかいない。
体がしんどくても、眠くても、つらくても、子どもはうんちもする、何か食べさせないといけない、遊んでやらないといけない。泣き喚いたらあやしてやらないといけない。
それができるのは、
私 し か い な い ん だ。
そう思えば思うほど、体から力が抜けた。
動けなくなった。
涙が止まらなかった。
ああ、これは本当にヤバい。またあの時と同じメンタルだ。
頭の中にいる冷静な自分が自分を見ていた。
このままだと、あの時と同じパニックになる。
現実に、私は涙が止まらず、だんだん過呼吸になりかけていた。
何とかしなければ、このままだとまた倒れるかもしれない。
こんな時に友達に電話をかけても困らせるだけだと思った。
(相変わらず私は人を頼るのが下手だ)
そして、ふと病児保育を思い立った。
そうだ、病児保育に預けよう。
このまま子どもと二人きりでいたら私は危険だ。
まずは子どもと離れること。
そして私は休むこと、食べること。
私は抱きしめていた息子を離し、「やんちゃん、病児保育に行こう。いつも行ってるのと違う保育園だよ。このままだとお母さん危ないと思う。だから、やんちゃんはお母さんと離れるの寂しいと思うけど、病児保育に行こう。お母さんは家で休む。やんちゃんは病児保育で遊ぼう。そしたらお母さん元気になるから、その方がお母さん笑えるから」
そう言って私が息子から離れると、息子は泣き出した。
箕面市には病児保育がない。
頼むとしたら隣の豊中市になるので、少し遠いが仕方ない。
私は病児保育のパンフレットを取り出し、前回利用したことのあるところにかけてみたら土曜日なので休み。
もう一つの、内科医院が併設している病児保育にかけてみたら、土曜だがやっていた。
受け入れに空きがあるということで、私は泣きながら「ありがとうございます。よろしくお願い致します」と言って、荷物を用意した。
夫が車を使っていたので電車を使うことも考えたが、自宅から最寄り駅まで、また病児保育の最寄り駅から病児保育まで距離があった。イヤイヤ大魔人を連れて自転車に乗ったり、電車に乗ったり乗り換えたり、また歩いたり、と考えるだけで途方に暮れた。その日は暑かったし、私も疲労困憊で、電車はどう考えても無理だった。
お金がかかるけど、豊中までタクシーを使おう。
お金はこういう時に使うものだと思おう。
私はタクシーの送迎を頼み、豊中まで向かった。
車中で息子を膝に抱き、子どもが5人いるという運転手さんの延々と続く子育て論にぼんやりと相槌を打っていた。
メンタルが落ち込んでいるときに正論を言われても、余計に落ち込むだけなんだよな。アドバイスも、指導も聞きたくない。ただしんどいよねって言ってもらったらそれでいいし、今回みたいなこういう時には、助けてほしい。子どもと私を離してほしい。
降車時に運転手さんから「お母さんいい笑顔だし、体力もありそうだし、二人目三人目産めますよ! その方が子育て楽になりますよ!!」と満面の笑顔で言われた。
泣きはらしたこんなひどい顔でも、他人から見たらそんな風に見えるんかな。
そう思い、外出できて楽しそうな息子の手を引いて、クリニックに向かった。
受診後、病児保育のフロアに案内され、向かった。
息子は病児保育のフロアに入る辺りから、「何かおかしい」と思い始めたらしく火が付いたように泣き始め、スタッフの方と打ち合わせしている最中もずっと大声で泣いていた。
そんな状態ながらも、スタッフの方は皆さん丁寧で、笑顔で細かく対応してくださったので、安心できた。
私は「やんちゃん、お母さん休んで元気になるからね。頑張って仕事もしてくるからね!」と笑って声をかけ、スタッフの方に息子を託してクリニックを後にした。
クリニックを出たのは11時頃、さらに蒸し暑くなっていた。
なかなかつかまらないタクシーをつかまえ、ようやく乗り込んで腰を落ち着けた時に、私は大きくため息をついた。
セーフティーネットだ。
と、しみじみと思った。
隣の市にある土曜日の病児保育は、どうしようもないほどに疲れ、メンタルの落ち込んだ私を救ってくれた、セーフティーネットだった。
私が休んだ結果、私が息子と笑顔で向き合えるのは目に見えているのだから、息子にとってもよかったのだと私は信じている。
そして、大変だったながらも、病児保育に助けを求め、そのために動いた私も頑張った。よくやった。
一昨年、パニック起こして倒れた時よりは成長できてる。
そして息子も、初めての場所で頑張ってくれている。
この病児保育に早々に登録してくれていた夫にも感謝。
大変だったけど、それでもそれなりに、私も家族も頑張ってる。
そんな風に思いながら家に着いた。
食事して寝ようと思ったが、交感神経が立っていたためか、疲れ果てているはずなのになかなか眠れず、結局睡眠導入剤を少しだけかじって、寝た。
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