文字の大きさ

ニュース〜医療の今がわかる

山本孝史参院議員インタビュー

――健康保険法の審議で「がん」を告白したのはなぜですか。

 がん対策に日本の医療の問題が集約しているから、ということになりますが、もう少し内幕を説明しましょう。

 がん対策基本法は4月に民主党が法案を提出して、当初は政局がらみで審議に入れないかと思われていましたが、その後、5月23日に与党案が出ると決まりました。私の代表質問は、その前日の22日です。実質的会期末が6月16日に迫っていて、正直、法案を一本化して通すのは難しい状況でした。しかし、この国会を逃すと成立は丸々1年遅れてしまいます。しかも、熱が冷めてしまったら次の国会でも確実に成立するとは限りません。少なくとも一本化には成功するとか、衆院だけでも通過するとか、動きを作り出したかったのです。

 そのためには、議場の仲間たちに理解と協力を求める必要がありました。その際、自らがん患者であることを明らかすべきかどうか迷いました。公表した方が議員たちの耳に届きやすいのかなと思いました。そして公表せずに、結果として法案が成立しなければ、後悔するだろうとも思いました。5月の連休明けには、公表しようと腹を固めていました。

――支持者には相談されたんですか。

 実は、支持者や親類には、がんを患っていることすら知らせていませんでした。その意味で、テレビや報道を通して知らせるのでは順序が違うだろうと躊躇する気持ちも若干はありましたが、託された「バトン」に応える方が先だと思いました。

――バトン。

 自らもがん患者として、患者会の活動をリードしてこられた三浦捷一先生や佐藤均さんが亡くなられ、私は彼らからバトンを渡されたように感じるのです。佐藤さんは昨年の6月28日に、三浦先生も、私のがんが見つかった12月20日に亡くなられたと後で知りました。がん患者の声を政治や行政に届けるリーダーがいなくなっていました。

 肝臓病や腎臓病、小児特定疾患や薬害エイズなどは患者団体が活発に活動していましたけれど、がんに関しては昨年5月に大阪で開かれた「がん患者大集会」まで、当事者としての動きがなかったと思うのです。おそらく、がんの部位ごとに患者や家族の要望や思いに違いがあることで、まとまって声を挙げにくかったのでしょう。そんな中で、三浦先生や佐藤さんが患者自身として声を挙げ、未承認薬の早期使用解禁を訴えました。そして、それによって頑なだった行政も動いたわけですね。でも、残念ながらお二人ともなくなってしまいました。

 ちょうどそんな時に国会議員である自分が進行がんということが分かり、ある意味、与えられた使命というかバトンを託されたというか、そんなふうに感じて、自分にできること、自分にしかできないことがあるのではないかと考えたのです。4年前の健康保険法改正の時は、今井澄先生(元諏訪中央病院院長、故人)が民主党から代表質問に立ちました。今井さんも、その時、がんでした。

  • MRICメールマガジンby医療ガバナンス学会
loading ...
月別インデックス