山本孝史参院議員インタビュー
自分ががん患者になるとは思っていませんでしたし、佐藤さんや三浦さんが熱心に国会請願をかけていた時期、私は落選中ということもあり、直接の接点はありませんでした。患者大集会も、地元の大阪であったにも関わらず、テレビで見たくらいで足を運んではいません。自分自身が病気になってから、がんとはどういうもので、がん医療に何が足りず、何が問題なのか並行して勉強したような次第です。5月に公表してからは、患者さんたちと接触を持ち、一緒に活動させていただいています。
――永田町の反響はいかがでしたか。
本会議場では、持ち時間の15分を超えて、18分くらいまで質問しました。普通なら議長に制止されるところなんですが、扇さん(扇千景参院議長)は最後までやらせてくれました。小泉首相もいつになく丁寧な答弁でしたし、声が届いたという感触はありました。
――話は戻りますが、なぜ支持者に知らせなかったんですか。
知らせても心配させるだけでしょう。東京で治療しているのに、お見舞いに来られても困りますし。「がん」という言葉のイメージが独り歩きすると言いますか、これだけ一般的な病気になったにも関わらず、一般の人で「がん」を正しく理解している人は少ないと思うんです。「がん=不治の病」で死期が迫っているという理解になりがちですよね。それは私の支持者だって同じです。実際にはすぐに死ぬわけじゃないし、治療法が日進月歩で、いろいろと選択肢も増えているのに、それを分かっているのは患者本人か、現在身近に患者を抱えている人だけだと思います。かつて身近に患者さんがいたという場合、知っているようで実は当時の悲惨な印象のまま止まっているという場合も多いのです。
しかし、実際には私のようにまだいろいろな仕事をする時間も体力もあるわけで、一般の方にイメージを変えてほしいと思うんですね。患者さん自身も下を向くというか、フッと落ち込みがちだけれど、上を向いて前を向いて生きていけば、そのうちに新しい治療法が出てくる可能性もあるわけで、私の前向きな姿勢を見てもらうことで励ましになればと思います。その点、国会議員という公人だと言動が伝えられやすい面はありますね。
もっとも私自身、5月22日を過ぎて、やっとこんな風に考えられるようになったんですけどね。
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