医と法のあいだを考える
木ノ元
「ガイドラインが最近は裁判で問題になることが多い。司法はガイドラインを水準、準則と理解することが多い。そうではないんだと医療界から発信するようなことはないのか」
澤
「本当の意味のガイドラインは産婦人科学会が今度2年かけてつくったものが初めてでないか。今までは厚生労働省に言われてつくった努力目標でしかなかった。(略)全員討議を経てA段階の評価になっているものについては、しなかった時に何か言われても仕方ないかなと思う」
上
「ガイドラインは厚労省が責任逃れのためにつくらせたもの(略)」
小松
「ガイドラインというのは基本的に危ないと思っている。権威ある一つのものに束ねられるようなことがあってはならない。EBMというのは、データの多い方が有力になってしまう。テニスのランキングで試合数の多い方が上位になるようなもの。つまり製薬会社がお金を出してたくさん研究させれば、有力になってしまう。そんなことを考えても1個に決めることは科学的でない。真理の暫定的な非誤謬性を忘れてはいけない」
三村弁護士(会場)
「法律も必ずしも規範だけではなく事実の当てはめもやっている。事実を見つけていくのは認知的予期ではないか。法律家と医療者が互いに理解して事実が上げられていくようになれば問題なく判決が出るようになってくるのでないか」
(中略)
木ノ元
「例外はあるにしても、基本的には医療慣行と医療水準とは同一のものと考えて問題ないはず。例外的に、医療慣行は医療水準でないという判決が出るから医療界が司法に対して不信感を持つことになる」
上
「個人的にけしからんと思っているのは、医療事故調の検討会で前田座長が『大野病院事件の判決は地裁判決だから参考にならない』と言ったこと。誰が言ったかというのが、そんなに問題か。最高裁の言うことは正しいで思考停止していいのか。歴史的に見れば権威が間違えていたことは山ほどある。それを正すのがジャーナリズムとアカデミズムの役割ではないのか。なぜ、前田座長に対する批判の声が法律界から自律的に出てこないのか」
小松
「医療水準という言葉がないと言ったのに、その後も何事もなかったかのように医療水準とは何かという議論が行われた。このこと自体が、いかに断絶が大きいかということを表している」
少なくとも議論が全然噛み合わなかったということだけは、認識が揃ったと思いたいのだけれど、もし法側の人がそう思ってないのだとすると、やはり断絶は深刻と言わざるを得ない。