「民主党に依存しては駄目」 ─ 社会保障基本法シンポ
政権交代後、共産系の団体は何をどう主張していくのか─。社会保障費の抑制から充実への転換が叫ばれる中、生存権を保障した憲法25条を具体化する「社会保障基本法」の実現に向け、京都府保険医協会(関浩理事長)は9月27日、東京都内で「貧困をなくし社会保障を守る『基本法』を考える」と題するシンポジウムを開催した。(新井裕充)
会場となった渋谷区代々木の「あいおい損保新宿ホール」には、全国労働組合総連合、全国自治体労働組合総連合、全日本民主医療機関連合会など共産系団体の関係者ら500人余りが詰め掛けた。
参加者から、「提言型の運動に切り替えなければいけない」「民主党に依存して、『つくってよね』では駄目で、やはり我々がつくっていく」などの意見が出され、今後も社会保障の充実に向けた活動を展開していくことを確認した。
テーマは、「ひとりひとりの生命と尊厳を守れる社会をめざして」。シンポジウムの呼びかけ人は、▽落合恵子氏(作家・クレヨンハウス主宰者) ▽後藤道夫氏(都留文科大学教授) ▽竹下義樹氏(弁護士・つくし法律事務所、全国生活保護裁判連絡会事務局長) ▽本田宏氏(済生会栗橋病院副院長、NPO法人医療制度研究会副理事長) ▽湯浅誠氏(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長) ▽渡辺治氏(一橋大学教授)─の5人。
呼びかけ人を代表して、竹下弁護士が開会の挨拶。「貧困社会、ワーキングプア、格差社会など、非常に嫌な言葉が定着してしまった。そういう社会的な背景の下、8月30日に政権の交代があったのだろう」と振り返り、シンポジウムを開催した趣旨を次のように述べた。
「国民皆保険といわれるこの日本で、医療が命を守れない。障害者福祉が障害者の社会参加を実現できない。年金に対する国民の信頼が揺らいでいる。生活保護という最後の砦である生活保障の場面で餓死者を出す日本の現実がある。こういう社会をどうすれば克服できるのか。みんなが安心して暮らせる社会を実現するにはどういうシステムが必要なのか。我々なりに少し勉強してみました。そして今日、皆さんと共にこのシンポジウムを通じて日本の現実を変えていく。そして、より安定した社会保障がこの国に定着するような道筋を皆さんと思いを1つにできる、共有できる。そういう機会にしたいと思って、この企画を立てました。3時間余りの中で、ぜひ皆さんと日本を変えるための、そして本当の社会保障が実効あるための国にするための道筋を明らかにできればと思っています」
シンポジウムの第1部「ズバリ!ダメ出し─現場からの告発」では、▽雇用・労働(河添誠・首都圏青年ユニオン書記長) ▽医療(本田宏・済生会栗橋病院副院長) ▽介護(竹森チヤ子・東京民医連加盟社会福祉法人「すこやか福祉会」理事長) ▽高齢者医療(笹森清・労働者福祉中央協議会会長) ▽生活保護(竹下義樹・弁護士)─の5人が各分野の現状や今後の課題などを述べた。
第2部の対談「生き残りの選択...本格的福祉国家への道」では、竹崎三立氏(東京社会保障推進協議会会長)が司会を務め、鳩山連立政権とのかかわり方や、今後の社会保障の行方について意見が交わされた。
昨年末、東京・日比谷公園に「年越し派遣村」を開設するなど貧困者の支援に取り組んでいる湯浅誠氏は、「相手が自公政権でも民主党政権でも、その政権の可能性の最大限まで物事を進めることが目標だが、自公政権の時よりも民主党政権のほうがその可能性の射程は伸びた。その伸びた分のどこまでを取っていけるかが私たちの課題だろう」と語った。
湯浅氏の発言を受け、竹崎氏は「今まで政権与党に要求するような運動が主体だった」とした上で、次のように問い掛けた。
「(民主党の)マニフェストを読んで、今度の連立政権は我々の要求を少しはくみ取ってくれるかもしれない。(東京保険医協会では)『どちらかというと提言型の運動に切り替えなければいけないのではないか』という議論をしている。今後はどのようなアプローチをしていけばいいか」
渡辺治氏(一橋大教授)は自民・民主両党の得票率の推移を示しながら、「7割の人々が自民と民主の間で動いている。反構造改革の社民党と共産党(の得票率)は13%、12、11と(年々)落ちている、つまり(革新政党に票が)流れていない」と指摘した。
その上で、「我々は単に圧力団体となるだけではなく、民主党に対してきちんとした、構造改革型国家でもない、自民党の利益誘導型国家でもない、新しい福祉国家型の国家構想をぜひつくらせる。民主党に依存して、『つくってよね』では駄目で、やはり我々がそれをつくっていく」と述べ、「社会保障基本法」の実現に向けて期待を込めた。
最後に、「憲法25条の実現を求めるアピール(案)」を採択し、3時間を超えるシンポジウムは閉会した。「憲法25条の実現を求めるアピール」は次ページを参照。
【憲法25条の生存権】
診療報酬の引き下げやリハビリの日数制限など、社会保障制度の不備によって人々の生命や健康、暮らしなどが侵害されても、これを「憲法違反」と言わないのはなぜだろうか。裁判所はなぜ、国の不作為を「違憲である」と宣言しないのだろうか。
国民の生存権を定めた憲法25条の解釈をめぐっては、憲法が制定された当時から判例・学説上の対立がある。古くは、同条の「健康で文化的な最低限度の生活」という表現が抽象的で不明確であることなどを理由に、「国の努力義務を定めたにすぎない」との考えが有力だった。この見解によると、25条から具体的な給付請求権を引き出せない。
その後、朝日訴訟や堀木訴訟など裁判上の争いを経て、「25条は法的な権利を定めたもの」とする見解が学説上は多数を占めているが、裁判所の判断は依然として生存権の保障に消極的といわれる。学説上も、25条に基づく「立法不作為の違憲確認訴訟」には消極的で、「生存権の実現には具体的な立法が必要」との考えが多数。つまり、25条を具体化した立法がなければ、裁判所で国の怠慢を追及できない。たとえ、国が医療や介護、福祉、雇用、労働など社会保障の崩壊から目を背け、弱者を救済せずに放置しても国の不作為は問われない。
近年、25条をめぐっては、「1項と2項の関係をどう考えるか」という点が重要テーマになっている。堀木訴訟の控訴審判決は、「1項・2項分離論」を採用。1項は「救貧施策」で、2項は「防貧施策」を定めたと解し、2項の場合には広い立法裁量が認められるので違憲の問題を生じないとする。
これに対し、学説の多くは1項と2項を一体的に理解する立場で、分離論に反対している。現在の最大の焦点は、「国の裁量に客観的な枠をはめられるか」という点にあり、25条を具体化する法律の充実が求められている。
確かに、健康保険や児童手当など多くの法律が整備されているため、形式的には生存権の実現が図られているともいえる。しかし、実質的に見ればその内容は不十分であり、より一層の充実が必要だろう。「社会保障基本法」の実現に期待したい。
憲法25条(生存権)
1項 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
2項 「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」