文字の大きさ

ニュース〜医療の今がわかる



(スライド15)その後の動き
スライド15_樋口範雄教授資料.jpg その後の動きです。(プロセス・ガイドラインが出た翌月の)2007年6月に「尊厳死法制化を考える議員連盟」の要綱案が公表されました。

 11月になると、日本救急医学会のガイドラインが出ました。厚生労働省のプロセス・ガイドラインを一歩進めて、救急の場面ではどうなのかを救急医が自ら考えるということを行いました。

 次の年の2月、昨年の2月ですが、日本学術会議(臨床医学委員会の終末期医療分科会報告書「終末期医療のあり方について―亜急性型の終末期について」)が出ました。

スライド16_樋口範雄教授資料.jpg この「亜急性型の終末期」というのは、がんなんです。座長は柿添(忠生)先生(日本対がん協会会長)です。がんを中心にした終末期の医療についての在り方の報告書、一種のガイドラインが出されました。

 その間に射水市民病院事件は、「厳しい処分は求めない」という送検ですので、それ以後もう音沙汰がなくなっている訳です。

 この懇談会が昨年の10月に開始されましたが、ちょうど同じ時期に千葉の(亀田総合病院の)患者についての報道がありました。

(スライド16)延命医療中止の法案要綱案
 これについて少しだけ短くコメントします。「延命医療中止の法案」の要綱案は、はっきりしていて、これ(延命医療の中止)について文書をつくって、きちんとやれば(臨死状態を2人以上の医師が判断するなど必要な要件を満たせば)適法であって、刑事訴追が行われるようなことはないということをはっきり定めるというのが要綱案です。それにはそれなりの意味があるとは思いますが......。

(スライド17)このままの法律が通ったら
スライド17_樋口範雄教授資料.jpg しかし、このまま単純に法律が通ったら、やはり問題がなくはない。一方では、「文書があるね」というだけで、そんな風に簡単にお医者さんが......というと、そうではないと私は期待しているのですが。
 本人にとっては、「ずっと前の文書があるからね」という話で、事態がまったく分からないのに「不本意な死」という危険が......。

 逆に、このような要件をつくってしまうと、こういう要件を満たしていない限りは、どんな嫌な治療でもとにかく続けざるを得ないという話になって、「不本意な生の危険」ということになりかねない。
 つまり、これは不器用な法律というのか、この法案だけではないのですが、法律っていうのは、そういう"不器用さ"をどうしても持っているからだと思うのです。「広過ぎて、狭過ぎて」という、どっちにとっても問題だという危惧(きぐ)が残るということです。

(スライド18)救急医学会のガイドライン
スライド18_樋口範雄教授資料.jpg そこで、救急医学会のガイドラインですが、一番前の文章にこういうことを言いました。「このガイドラインは、人のみち(倫)にかなうことを行った場合に、法的にとがめられることなんか、あるはずがないという考えによります」と、堂々とした。

 つまり、救急医療医は救急の医療の倫理で、「何が正しいかをここで指針として示すんですよ」ということを示したんです。改善の余地はあるとは思いますが、やっぱり立派な態度だと私は思います。

(スライド19)日本学術会議
スライド19_樋口範雄教授資料.jpg 日本学術会議です。ここでは亜急性期、つまりがんについての終末期医療に関して、法律上の判断基準というのは不明確なままだと。

 しかし、大事なのは(スライドの)一番最後ですが、「医療の中止の条件を定めることよりも、わが国の終末期医療全般の質の向上、格差の是正を強く求めることこそ重要であり、これこそ本来の終末期医療のあるべき姿と当分科会は考える」と言う。それが一番大事なんですが......。

スライド20_樋口範雄教授資料.jpg(スライド20)終末期医療のあり方―亜急性型
 その上で、がんの終末期についても延命治療を中止する。延命治療の(中止の)中には、人工呼吸器の取り外しを含めて考えて、その方が適切な場合もある得るんだというを示しているんです。

 しかし、それは個別の患者についてじっくり考えた上での話ということです。

(スライド21)不明確な法=実は明確なメッセージ
スライド21_樋口範雄教授資料.jpg そこで、「わが国では法律が非常に不明確なので問題だ」ということを言う人がたくさんいるんですが、実は明確なメッセージを伝えているのではないかと私は思うのです。
 私自身の「生き方」が間違っているせいで、(スライドの)漢字も間違ってますが(笑い)、「行き方」っていうのが......。生き方、死に方というのは、やはり個人の自由の問題。画一的なものは嫌。つまり、「こういう状態になったら死になさい」というのは、たまったもんじゃない。「こういう状態になっても生きなさい」というのを押し付けられるのも嫌だという、これを法も支持していますよ、ということです。

 だから、「安易な法はつくらない」という態度で表しているのではないか。これまでも検察・警察・裁判所の態度は、私が楽観的ななのかもしれませんが、「法を過剰に恐れる必要はない」ということを言っている。「こういう問題(生き方・死に方)は法律の問題ではない」ということを言っている。

(スライド24)終末期医療と刑法
スライド24_樋口範雄教授資料.jpg これは一番最後のスライドで、「ジュリスト」(Jurist、有斐閣)という(法律)専門家の雑誌があって、先週出たばかりの号です。そこに、現在の刑事法、刑法の専門家が、町野(座長)さん以外にも(刑法学者)がいらっしゃるので、(誌上で)何人もの人が終末期医療について語っているんです。
 これは専門的な雑誌で読みにくいので、読んでいただくのは大変だと思いますが、もし興味があったら読んでいただきたい。そこで、慶應(義塾大教授の)井田(良)さんは、少なくとも刑法上の評価にあたっては、治療行為を(差し控えること)、例えば「人工呼吸器を付けない」という判断と、「いったん付けたものを途中で引き抜く」という判断は同じだということをはっきり言っています。
 それでないと、初めから「付けない」という態度に出られたんでは、生き残る命が救えなくなるからです。(井田良教授は)刑法の専門家です。(※ 発言のママ)

 あと、私の同僚で(東京大教授の)佐伯(仁志)さんは「人工呼吸器をいったん付けると外せないというので付けないという例があるという話もあるが、それは非常に不当なことで、厚生労働省のプロセス・ガイドラインに従って判断がなされれば、そこに警察が介入することなど考えられないのではないかと刑法の専門家は思っていた」と言う。で、(東京大教授の)と山口(厚)さんも、「私も全く同感です」と言っているんですね。
 もちろん、「学者が言ったって警察を拘束するものではないよ」と言われるかもしれない。もう一人、裁判官です。これは東京高裁の(原田國男)裁判官ですが、こういう分野は「本来ですと刑事事件になるべきではない分野のように思います」。これが法律家の基準だと、私は思っているんです。

(スライド22)千葉の病院の事件でも
スライド22_樋口範雄教授資料.jpg で、スライドを戻っていただいて、千葉の(亀田総合)病院について私が発言するのもあれなんですが、(亀田信介)院長先生はためらってですね、「これで呼吸器を外してしまったら、私の同僚が、部下が警察に逮捕されるかもしれない」というようなことをおっしゃったそうですが、やっぱり私はそうではないと思うんですね。

 院長先生が決断すると、呼吸器を外して、あの方は亡くなりますね。それは大変なことですから、私が院長先生だったらやりたくないような気持ちになりますし......。いや、私は院長先生じゃないから、これも勝手な思い込みだと思いますけれど。
 やっぱり、人の生死に対するためらいというのがあって、そのためらいや迷いがあって当然なのでそれを不要にする、楽にしてあげるような法律をつくるのは、間違っているような気が、する、訳です。

(スライド23)結びに代えて
スライド23_樋口範雄教授資料.jpg そこで最後に、結びですが、わが国で延命治療の中止だけで刑事処分された例は......、繰り返し言いますけれども、ないんです。

 刑事司法を恐れて、それで医療者が右往左往するというのは、本来の医療からして全く間違っていることなんです。

 それをなんとかしないといけないことは確かなので、私は法律ではなくて、医療倫理と個々人の問題意識の在り方、しかもそれは日々変化するものです。そういうもので考えなければいけないと思うのです。
 これでは中川先生は絶対に満足しない。「また同じことを言っているだけだ」とおっしゃると思うので、中川先生にも満足していただけるような、そういう今までとは違うような法律はないものだろうか。(参考人として出席している)橋本(操)さん、日本ALS協会の会長の橋本さんにも「それなら大丈夫」と思ってもらえるような法律というのができるなら、それはできてもいいと思うかもしれないが、今日の時点では、私はこのように考えているということを申し上げたい。
 すみません、(予定より)ちょっと長い時間を取ってしまいました。ありがとうございました。

  • MRICメールマガジンby医療ガバナンス学会
loading ...
月別インデックス