延命中止、法と倫理のはざまにあるもの
死期が迫っている患者に対する治療方針をどのように決定したらいいだろうか。本人の生前の意思表示が文書に残されているなら、それに従ってもいいか。個人の意思は、日々変化するものではないか。死期が迫っていて患者の意思が確認できない場合はどうか。家族の判断に従って、延命を中止してもいいか―。(新井裕充)
厚生労働省は4月14日、医療や介護、法律などの有識者で構成する「終末期医療のあり方に関する懇談会」(座長=町野朔・上智大大学院法学研究科教授)の第4回会合を開き、林章敏委員(聖路加国際病院緩和ケア科医長)と樋口範雄委員(東大大学院法学政治学研究科教授)からヒアリングを行った。
林委員は、新たな緩和ケアの在り方などについて意見を発表した。林委員は、患者の"痛み"が身体的な苦痛にとどまらず、精神的、社会的な苦痛も含む「全人的痛み」であるとして、ある時点を境に「治癒」から「緩和医療」に"ギアチェンジ"するのではなく、疾患の初期段階から緩和医療がかかわる必要性を指摘。
その上で、診療所や訪問看護ステーション、他の診療科などと連携して、治療と同時並行で進める(パラレルケア)の中で、緩和ケア外来が果たす役割を強調した上で、同院での「リビング・ウィル」の取り組みを紹介した。
樋口範雄委員(東京大大学院法学政治学研究科教授)は、「不明確な法の伝える明確なメッセージ」と題して意見を発表。事前に求められたテーマは「終末期医療における法の関わり」だったが、「法の関わり」に消極的な姿勢を示した。
樋口委員は、訴訟社会のアメリカでさえ、院内の倫理審査委員会の判断を優先している事例を紹介した上で、日本でも医療現場の判断を第一義的に尊重すべきと主張。「なぜ日本は法律だけで医療を動かそうとするのか」と述べた。
さらに、法律専門誌の刑法学者の対談を引用し、「刑法上の評価では、『人工呼吸器を付けない』という判断と、『途中で引き抜く』という判断は同じ」と言い切った。
■「人工呼吸器を付けないことと外すことは同じ」、相次ぐ反対意見
意見交換では、「人工呼吸器を付けないことと外すことは同じ」という発言への反対意見が相次いだ。
「医師は(人工呼吸器の取り外しを)単に何かを外すようにしか思っていないという現実がある。それに法律家は乗ってはいけない」「両者(人工呼吸器を付けないことと取り外し)を同列に置くということは、必ずしも一般的な考え方ではない」「(樋口委員が)『ガイドラインで十分じゃないか』と言うのは、かなり楽観的」「(アメリカでは)自分が意思表示できなくなった時点で、『代弁者』が意志を執行するという立場を取る。重要なところが説明されていない」など。
同日の会合は予定の終了時間をオーバーしたが、傍聴席は息をのんだように静まり返り、熱心にメモを取る姿が目立った。1時間に及び意見交換を終えて、町野座長は次のようにまとめた。
「インフォームド・コンセントだけで考えてきたのが『リビング・ウィル』の考え方。インフォームド・コンセントは、ポイントとして考えるが、プロセスを重視する今の考え方からすると、これ(リビング・ウィル)は必ずしもすべてを把握しない。プロセスの中で、『リビング・ウィル』が適切な方法かどうかを議論しなければならないという点で、意見は集約されている」
以下、同日の懇談会での樋口委員の発表と、これに対する委員の反応をお伝えする。
(スライド1)不明確な法の伝える明確なメッセージ
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それでは少しの間、お時間を頂きます。キャッチフレーズ(不明確な法の伝える明確なメッセージ)だけはつくったのですが、「これで本当に分かるのか」ということもありますが......。
* 2~4 樋口委員の意見
* 5~7 委員の反応
皆さんはこの記事にどう感じておられるのでしょうか
私はALS患者を連れ出して、さらに人工呼吸器を外して見せたことに著しい不快感を感じます。確かに短時間人工呼吸器を外しても人体に害はありませんし、喀痰吸引では当たり前のことです。しかし公開の会議の場でやることではないでしょう。強引に自分の論理に人々を誘導しようとするいやらしさと感じられます。
こんなことをしても延命治療の意味を考えるきっかけにはならないと思います。本気で延命治療の事を考えようとするなら、そしてその実態を知らないのであれば、ALSの患者に対して人工呼吸器をつけたいか、そのままつけずに行くのかを聞く場に立ち会えば良いと思います。植物状態になった患者さんのベッドサイドへ行けばよいと思います。がん末期と言われた人々のところへ行けばよいと思います。みんなそれぞれ違う苦悩を持っています。
延命治療をどうすべきかと緩和医療とは、また次元の違う話です。緩和医療は延命治療を放棄した医療ではなく、患者の「生活」を最大限に重視した治療です。だから「早期からの緩和治療」という概念が生まれるのです。「生」について「死」について本気で向き合う人々に審議してほしいものです。
まさに死にいたろうとしようとしている人であって、その人を救いうる手段がある場合に、その人を救おうとしないことは、直接的にその人を殺すことと同等の、間接的殺人であるという法の論理はよくわかります。これを引き合いに出して人工呼吸器をつけないことは殺人に当たるとするのは随分乱暴です。またすべての判断を医師だけにゆだね、結果を見てから法的対応を考えようというのもとてもひどい話です。みんなで考えるべきことです。延命による余命延長がどれぐらいだと延命する価値があると考えるのか、延命による生活がどのようなものであれば延命する価値があると考えるのか、延命するかどうかを患者個人の主観に任せて良いものか、ある程度の基準を作るべきか、みんなで考えてほしいと思います。利害関係が複雑でもめ事が起こりそうな時に、それを防ぐためのルールを作るというのが社会の基本でしょう。