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ニュース〜医療の今がわかる

【町野座長】
 ほかにありませんか。それでは、ちょっと中川先生に質問させていただいてよろしいでしょうか。
 「法律が必要になることがある」というのは、どういう意味でしょうか。つまり、いろいろ言われているのは、現場にいる医療関係者について、ある程度の法的な安定性を保障しなければいけない。つまり、いつ処罰されるか、いつ警察が入ってくるか、それをはっきりさせてもらわなきゃ困るということが一つある。
 と同時にもう一つの意味は、患者さんといいますか、そちらのほうが、不当に過剰な医療や延命を施されている。それを拒絶する患者の権利があるはずだから、それを保障するために(法整備が)必要だ。その両方......(途中で中川委員が「その2点......」と割り込む)。

【中川委員】
4月14日「終末期医療のあり方に関する懇談会」7.jpg 特に最近は、(今回の厚労省の)意識調査でも、例えば「治る見込みがなくなった場合には過剰な延命治療は嫌です」という回答が多い訳ですよ。国民の意識調査としても。
 従って、医療側の信頼も大切ですが、それでもやっぱり全体として、こういう会議でも、(延命治療の中止を)保障する方向で動いていかないと。国民の考えも変わってきているので、それを尊重しながらやっていくことも大切だろう。それから、患者さん側で「もうこれ以上、これ(延命治療)をしないでくれ」と主張されて用紙に書いてもらったりしますが、しかし、それを(法的に)保障するものは何もありません。
 例えば、違う人が出てきて、「何だ、とんでもないことをしてるな」という風になった場合に、これ(適法性)を保障する医療側の保証もない訳です。両方の意味で、成熟した日本の社会ではそういうことも必要ではないかと考えている訳であります。樋口先生は、ちょっと楽観的だという風に......。それが前提ですけどね、やることが前提だけども、それだけですべてが通るとは、ちょっと医療側は思っていません。
 それから、「人工呼吸器を付ける」と「外す」ということは明らかに違うと考えないと。例えば、手術とか検査とか全部やるのは「説明と同意」でやってる訳です、今、現場で。「説明と同意」で、人工呼吸器を付けるか付けないかということは、十分に説明しないとなりませんが、これ(人工呼吸器を付けるか付けないか)は、「説明と同意」の範疇(はんちゅう)だと思っているんです。
 しかし、1回付けたものを外すということになると、これは全く別の問題が起こってくるんじゃないかと考えていますので、むしろ、町野先生のようなお考えがいいです、私は。

【町野座長】
 ちょっと、「同じ」と言われると「そうかな?」と......。結論は......ですけども。

【田村里子委員(医療法人東札幌病院MSW課長)】
4月14日「終末期医療のあり方に関する懇談会」10.jpg あの、ちょっとお伺いしたいのですが、(中川)先生がおっしゃっている、患者さんやご家族と十分にコミュニケーションをしながら合意形成をしていくことが基本であるということ、それを尽くした上でさらに書面があって、それを何か保証する意味での法という風におっしゃったんですが、文書を持ってくる人とか、「このようにしてほしい」ということで、後見人の方がお見えになったりとか、最初の出会いの時になくはないんですが、プロセスの中で「これをどうするんだ」という一つひとつの選択の局面を、とことん話し合えば、そういうものをこうやって見せて話し合うことの必要がないってことで、常に合意形成をきちんと踏んでいくという安心感があれば、それを何か確認を取って保証するということが、亡くなられた後、「そうではなかった」という思いを残せないということが、いつも実践の中では思うところなんですが、それをさらに確認をしたり保証するというところの、求められているものは何なのかというところを......。

【中川委員】
 あの......、おっしゃることは分かります。当院も、慢性期の患者さんが入院してますが、うちの職員でも医師でも、そういう考えの方、結構います。それはそれでいいんです。私は否定はしません。ただ、総和としてね、そういう人たちだけではないのも、患者さんも......だし、医療側も、それだけで全体を進めていけるかというとそうではない場合もあります。
 もうね、非常に、「説明と同意」というのはものすごい大切だと思う。「説明と同意」がうまくいってくると、「意思表示の用紙が必要か」と言う職員もいます。私は代表して言っていますが、全員がそう思っている訳ではありません。アンケートの数字を取って確認してますけど。
 しかし、どうでしょうかねぇ。まぁ、あなた(田村委員)のとこなんかは本当に「説明と同意」がうまくいって申し分なくやられているけども、すべて100人に100人がそういくかどうかは、分からないと思うんですね。だから、そこをやっぱり......、どうなんでしょう。だから、それがすべて世論の中で合意されていけばですね、これはもう素晴らしいことだと思いますが、どうなんでしょうか。

【川島委員】
 「合意がなされた」ということは、本人もそれをきちっと納得しているし、医療従事者も納得しているという、そういう証が合意形成です。合意形成されているということが前提で物事が進むのであれば、何も書面は必要ない訳です。それをただ書き記すだけでいい訳で、それが、最も直近のものがいつでもつくり出される、つまり繰り返して、人間の意思というのは毎日違いますから、そのたびごとに合意形成をしていくように努めるのが医療従事者の、最も大事なところです。
じゃ、合意形成がなされないから、後で法律的に守ってもらうというのは、自分の足りなさを他に押し付けるということになりかねない。
 合意形成がなされていないままに医療が始まるということであれば、これはもともと、その患者家族が望んでいるかどうか分からないけれども、医療を勝手にやっているということになる訳です。それがもし、本当に必要な医療であるのならば、きちっと説明をさらにすれば合意が形成されるはずです。形成されないのは、プロの医療者側にほとんど問題があるという風に考えた方がいい。なぜなら、患者家族はアマチュアだからです。プロの側に問題があるのか、アマチュアの側に問題があるのか。よく、アマチュアの患者家族に対して、"モンスターペイシェント"という言葉があります。ごくごくまれに、そういう人がいるかもしれません。ほとんどは、プロの説明によって、変えられてしまうんです。であれば、プロこそがきちっとした説明をすべきであって、主客転倒、本末転倒では困るということです。私は、そのように思います。

【伊藤たてお委員(日本難病・疾病団体協議会代表)】
 今日は大変いい話を伺わせてもらって、何を言っていいか分からない状況があるのですが、ちょっとだけご質問したいと思います。
 ちょっと樋口先生ですけれども、人工呼吸器を付けるというのと、途中で外すということがあると思うんですが、患者さん......、これは、ALS(全身の筋肉が徐々にまひして数年以内に自力で呼吸ができなくなる原因不明の難病)に限っての話にほぼ近いかと思うのですが、患者や家族が「人工呼吸器を付けてくれ」ということを病院に懇願しているにもかかわらず、「うちの病院では付けません」と言って付けてくれないというのは、これは......、(延命の)中止になるのか、法律的にどうなるのか、ちょっと分からなかったのでおききしたいと思います。
 あと中川先生、医師としてプロとしてどう説明するかということですが、先生方がおっしゃるように、明らかに患者の側は素人なんですね。ですから、もしも熱心な先生にこんこんと説得されたら、やっぱりそっちに従ってしまうんですよ。そうすると、そこで患者側の主体性とか家族の主体性というのは何なんだろう。確かに、医療ではアマチュアだ。けれど、人生においては、あるいは人生の経験においては必ずしも人生の経験においてはアマチュアではないんです。全く対等だと思うんですね。
 そういうときに、熱心なあまり、説明をされたらどうか。最近そういう例があったのですが、一生懸命に呼び出しがあって、「どうしますか、どういう治療を最終的に選択しますか」と言われた。「あまり詳しい説明を受けた記憶はない」という話なんですが、最終的には延命治療を望まないということで、サインをして書類を出したらそれっきりもう病院から呼び出しがこないんだと。では、何が欲しくてさかんに声を掛けてくれたんだろう。ということも現実に起きる訳ですよね。だから、先生方のような素晴らしい病院に掛かることができる患者さんと、大勢の国民はそうではない病院にいるという中で、この議論をしていかないと、理想の部分だけでは患者側としては納得しがたい部分もあるなぁということを感じていました。ちょっと、感想といいますか、それと質問を併せてお願いします。

【日本ALS協会】(同協会の川口有美子さんが代読)
 日本ALS協会の橋本(操会長)です。今、伊藤さんのお話を聴いて、全く同じ意見なんですけれども、難治性疾患で治らないということで最初に告知を受けて、病気の説明を受けますときに、やはり、どうしてもネガティブなお話が多いということで、患者会には大変たくさんの相談というか、困った事例が押し寄せてきます。それは、治療を停止するとか治療をしないとか、そういうことの前にある話で、きちんとした告知を受けたい、それからそのような病気になったとしても、最期まで自分らしく人間らしく生きられるということを、まず、今の自分の命の根源をきちんと肯定してほしいと思って患者は行くんですね、たとえ、治らなかったとしても、ひどい病気が進行していくとしても、励ましてほしい。そう思って行くんですが、そうではない事例が大変、多いです。そして、そういうときに用いられるのがまず文章なんです。
 最初に、治らない病気だとすぐに「呼吸器をどうしますか」ときかれて、すぐに文章を書くように勧められます。そういう事例が大変、多いです。ですから、私たちは「リビング・ウィル」とか、文章を書くということに非常に疑問を持っています。そこからまず改善していただかないと。このような議論は、私たちは今日、先生方のお話を聴いて、胸が熱くなる思いでありがたいと思いますが、まずそこに一番の問題があるということを知っていただきたいと思っています。

【町野委員】
 ありがとうございました。

【櫻井紀子委員(全国老人福祉施設協議会、特別養護老人ホーム「さくばらホーム」施設長)】
 私は特別養護老人ホームですから、平均年齢が85歳という状況の中で、90歳、100歳の人を受け入れてケアをしている中で、今までのお話を聴いて、もう、ものすごく胸が苦しくなったのは、「人工呼吸をする」とか「しない」とか、という世界ではない訳です。
 人生の終焉(えん)をどう迎えるように支援するかっていうところが中心であるので、「死とは何か」ということを考えた時に、高齢者の、特に「後期高齢者」という表現がいいかどうかは別として、90歳を過ぎた方が、うちの場合、4分の1ぐらいいらっしゃるんですが、そういう人に、例えば何かが起こったから救急で、そして人工呼吸をするとかしないとか、という世界でもないし、またそれを受け入れてくれる医療機関というものもない中で、ケアをしているという状況なので、なんか、お話を聴いていて、一体、私たち高齢者のケアをしている者は、そこのところをどういう風にすみ分けて考えていったらいいんだろうかという風に、今日はなんかもう、胸が苦しい思いで聴かせてもらいました。

【中山康子委員(NPO法人在宅緩和ケア支援センター虹代表理事)】
 私もNPOという形で、医療従事者............(マイク不調で聴き取れず)、いろんな話を(同)、やはり、ずっと議論が続いている訳ですが、やはり国民というか(同)、がんとかいろんな病気になったときに、(同)「思ってもいなかった」ということで、いろんな報道とか、いろんな勉強の機会があって、(同)あまり注目していらっしゃらないという現実があるんですね。ですので、治らない病状になったときに、自分で、ご本人で考えられる仕組みをやはり国としてつくっていく。樋口委員がおっしゃった、個人の問題意識は変化するものだというのを、とても私もよく、(同)。なので、いいケアを受けながら(同)。
 それが無理だと、(同)水分が補給されない。健康摂取も自分で、(同)水分が補給されないような状況で考えさせられるということの(同)、やはり医療だけではなく、ケアというところで提供しながら、患者さんが選択できる仕組みを国民に向けて言っていかないと(同)という気がします。

【町野座長】
 えっと、今日、開始が(マイクの故障で)10分遅れたこともありますから(予定の終了時間だが)、もうちょっとよろしいですか? はい。もし、まだ......(池上委員が挙手するが気付かず)、樋口先生、何かございますか?

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