看護教員は「専門家」を育てるのか、「人」を育てるのか
【永山くに子座長(富山大大学院医学薬学研究部看護学科長)】
はい、貴重なご意見を頂きました。あ、どうぞ。
【井部俊子委員(聖路加看護大学長)】
後藤委員の発言はとても面白い。賛同する部分はたくさんありますけれども、2点、感想として申し上げたい。看護の世界というのは教育にしろ臨床にしろ、すごく理想を言うんですよね。教員にも理想の教育の方法を教え、看護師になる人たちにも、「理想の看護というのはこういうものですよ」って叩き込んで。
「じゃ、現実はどうなの?」と言われると、教育の場面も大変で、「半年も経つと元に戻る」というのは確かにそうで、それは人間的なことだと思うんです。
臨床でも、新卒が辞めるというのは、基礎教育で理想とするものをたくさん教えて、臨床実習では(患者を)1人しか受け持たないので、「こんなにできるんだ」というような幻想みたいなものを抱かせて、そして現場に行くと、4月1日から大量に(患者を)持つ訳ですよね。そして、早々に撤退する。
そういうことと非常に類似した現象が(教員にも)起きているんじゃないかと思っているので、私はぜひ医政局長に聞いておいていただきたいと思ったんですけども、それ(早期離職)は2つとも、「貧困なマンパワーがなせる技だ」と思っているので、もう少し看護の教育に国がお金を付けるという方針じゃないと、今後少し希望を持つような在り方を検討しなければいけないと思っているので、そのことが第一点で、非常にそれは共感するものがあります。
もう一点は、教員が臨床から指摘された時に、学生側に座らないで臨床側に座るという。私も臨床指導をした時にそういう教員がいて「けしからん」と思って、かっかしたことがあるんですけど、よく考えてみると、その教員はかなり臨床に近い感覚だと思うんですよ。
まだ自分は、臨床ナースとしてのアイデンティティーが半分ぐらいあって、それで(聖路加看護大に)教育に来ているんですけど、臨床の人が「あなた学生として......」と言うと、「そうよそうよ」と言って、突然アイデンティティーが臨床ナースに変わるという、そういうところがあるんじゃないかと思う。しっかり教員にはなりきっていないという点からすると、教員が臨床実践能力を付けると、あながち危険なことがある。(会場、笑い)
看護研修センターできちんと教育学を教えると、みんな幻滅する。現実と比較して幻滅してしまうという、そういう負の連鎖が起きるんじゃないかなって、思います。