『患者の経済負担を考える』
その結果、私は主治医とよく話し合って選び、効果をあげて命を保ってくれている治療を続けることができなくなった。どのように考えてもそれは不合理で納得がいかなかったが、だれも答えてくれない。国にも医師会にも学者にも尋ねたけれど誰も納得いく答えをくれなかった。法律や訴訟の知識もない私だが、黙って従うことには耐えられなかった。私は提訴に踏み切ったが、これが裁判になることは普通はない。なぜならこのような問題は保険治療では治せない重病患者しか直面しないし、その上に自らの混合治療を公表しなければならないという患者にとっても病院にとっても深刻なリスクがあるため表面化することはないのである。だから裁判を起こした私も患者会を作ることはできないのである。
ただ弁護団は門前払いだったが、裁判所だけは問題を純粋に判断し、取り上げてくれると思った。その意味で裁判は一市民、一国民の合法的最終手段だ。
腎臓がんの骨転移が確定し、セカンドオピニオンの結果、がんセンターでの治療継続を選んだ私は主治医と協議し、放射線治療後にインターフェロン療法とLAK療法を併用する治療方法を選んだ。主治医はLAK療法が自分のリンパ球を使うため副作用が軽微なのでQOLが保たれると述べた。LAK療法治療費が請求されないのは不思議だったが、混合治療のことなど知らなかった。幸いがんは悪化しなかった。医学的な因果関係は誰にも不明であるが、患者の私にとっては結果がすべてであり、私はLAK治療のおかげと思っている。
4年後LAK治療が奪われて初めて混合治療が医療制度によって禁じられていることを知った。どのような理由から、何の目的で、何を根拠に禁じられているか、徹底的に調べたが、私の命がかかった治療が奪われるに相当するものは見いだせず、提訴に踏み切った。
LAK療法は、2006年4月の医療制度改革で先進医療の見直しがあって、有効性に疑問符がつけられ、落とされた経緯がある。それまでは特定承認保険医療機関で保険診療との併用は可能だった。私のような進行がん患者には、有効性自体がそれほど明確に判定でき、それほど決定的に重要なものなのかと素朴に疑問に思う。重病患者や難病患者が切望する先進治療の可否を決定する判断において、有効率やエビデンスにグレー部分はないのか、一体何をもって有効とするのか。数を調整するとかいう行政的判断が介入しているのではないのか。プロセスは一切闇である。中医協は公開されているが、それらを審議する専門家会議は秘密である。次にそのように密室で決められた不確定な有効性判定が安全性ほどに決定的な要素なのか。また安全性の判定にも何が基準なのかなど同じ疑いは可能である。
実は安全性でさえ命のかかった患者には二次的である。患者の理知と意志は相当なリスクを承知で数パーセントの有効性を求めて先進治療を受けられる可能性を求める。国は患者が信頼する保険医の裁量と患者の治療選択権、自己決定権を認めて、治療を広く解放すべきであり、保険財政の観点から先進治療は当面自費としても、併用する保険治療には給付を行うべきである。