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ニュース〜医療の今がわかる

村重直子の眼11 薗部友良・VPDを知って子供を守ろうの会代表(下)


村重
「ワクチンで国の賠償責任を問われて負け続けてきたので、役人は腰が引けるのは分かるんですけど、同じことを繰り返しているだけだから、定期接種と任意接種の線引きが変わらない、定期接種が増えないんですよね。そこを打開するには、無過失補償や免責が必要です。日本の法制度が誰かの過失を規定しないと被害を受けた人の救済ができない仕組みになっているから、とにかく過失にしちゃうのです」

薗部
「それを改正するには、どこがポイントになるんでしょう。司法そのものなのか、厚生労働省の法律の作り方なのか」

村重
「法制度全体がそうなってると思います。だから、どこか一つだけ、厚労省が変わればとか司法が変わればという話ではなくて、明治政府からほとんど同じ考え方でやってきているものを一個大きく変えるには、それだけの国民のコンセンサスが要ると思うんですね。やっぱり議論して、みんなが知って、みんながこっちの方がいいよねということになれば、そういう国民の声を受け止めるのは役人ではなく国会議員なので、選挙で選ぶこともできるでしょうし、国民から政治家へ声が届くことで変わると思っています。フランスの無過失補償の長官にお話を聴いたことがあるんですけど、元々は裁判をして誰かの過失を認めさせないと患者さんは補償されない状態だったそうです」

薗部
「日本と同じだったのですね」

村重
「はい、そこで患者さん側が補償される権利を主張した、と。過失がどうのこうのではなくて、被害に対して、不自由な生活をするんだから、それに対して補償される権利があると主張したことがきっかけになったと仰ってました。やっぱり国民の側から、過失の追及が重要なのではない、目の前で困っている人たちを皆で助け合おうというように発想の転換ができれば、変えることは十分に可能だと思います」

薗部
「スウェーデンでもやっぱり無過失補償という話を聞いているのですが、世界の先進国はそういう方向へ来ているんですか」

村重
「私が調べた範囲ですけど、過失責任を問うシステムは限界があるという論文もあって、今アメリカとフランスの例を出しましたけど、ニュージーランドはそもそも裁判する権利を認めてないんですね。アメリカとフランスは裁判する権利も今まで通りあって、プラスアルファのものとして無過失補償のお金を受け取ったら裁判しない、どちらか選びなさいという風になっているんですけど、ニュージーランドは全部補償するかわりに裁判する権利がない。対象が本当に幅広くて、スポーツの事故から家で転んで後遺症が残った場合まで、全部含めて税金で補償するんです。税金という形ですけど、互助の精神でみんなで出し合ったお金で補償するので、福祉・介護のように困っている人の生活を支えようという考え方ですね。お金を出すから、その代わり誰かの責任追及はダメよとなっています。このように国によって、いろいろな制度の作り方があって、どこの国をまねればいいということではなくて、日本人はどうしたいんですかということだと思います。今までの日本の制度と合うものでいい、でも発想の転換が必要です。日本の制度の中でうまく回るやり方を考えていかないといけない。やり方はいろいろあると思います。その前に概念として過失を問うても皆が不幸になるばかりだから、皆で助け合いましょうという発想が持てれば、じゃあ次どうしましょう、どうやって財源を確保して範囲はどの程度でという話が出てくると思うんです」

薗部
「そこはとてもよく分かるのですが、たとえばニュージーランドで接種後に脳炎が起こったという場合に、これはワクチンのせいだというようなものを認定する委員会はあるのでしょうか。アメリカには因果関係は抜きにして、ある一定の期間内に、ある重い症状が出たらと補償するという規定がありますね。」

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