「自然に『死』と向き合える社会に」―認知症患者の介護家族の声⑤
■介護保険が日本人の依存体質を助長
――介護保険は、制度を作る側、サービスをする側の都合で動いているところがありますよね。
そうですね、本人を支えながらゆっくり動いたらトイレにも行けるのに、介護する側の手間暇を考えたら「はい、オムツにしましょう」。ゆっくり行ったら移動もできるのに「はい、車いす」。お風呂に入れたいと思ったらデイサービスを使うとか、今は手を出し過ぎてしまいます。こうなってくると、介護の仕事をする人たちが介護の主導権を持ってしまうわけです。今の介護は気持ちの準備ができていなくても手続きをすればケアマネが来てくれて、サービスが受けられます。介護保険が本人や家族の力を奪ったところもあると思うんです。
――深く考えなくても申請すれば、使えますからね。任せてしまえます。
介護保険が日本人の依存体質を作ってしまったとも言えるのでは。介護が始まると、介護保険の認定があり、ケアマネが来て、サービスが始まります。介護保険を使わなければいけなくなってしまっています。家族は介護をゆっくり学んでいる暇もありません。家族には強くなるための時間が必要ですが、介護を他人の手に任せるのが普通になってしまいました。
――そうですね、何も考えなくても制度を使える。
家族が一つずつ乗り越え、学び、考えていく時間が奪われていますね。すると本人の力が奪われることになる。家族はそういうところに後ろめたさもあるので、介護する人たちへの文句となって現れてくるんです。今の介護保険は、個人主義ではなくて、利己主義になってしまっています。本当の個人主義なら相手も大事にしてフィフティーフィフティーの関係を築くことができます。でも今の日本は自分が良ければよいという都合のいい考え方です。ですが、自分が困った時に自分の家族だけで解決しようとしてもできません。だから日ごろからの繋がりが大事ですし、家族のためには介護者が知識や技術を持っていないといけませんが、今は介護者も介護保険に振り回されてしまっています。本人のことをちゃんと知っていれば、ケアマネジメントだって自分たちでできます。介護保険は本人の負担が1割あるということがミソなんです。自分たちで契約して使っているという意識を持つので、あくまで自分たちが主体なんだと思いやすい。
――その通りだと思います。本当は介護保険に使われているんだけど、そう思えないようになっているトリックがありますね。こういうことが、介護保険に限らず今の日本はすごく多い気がします。あまり考えないで、短時間で処理をしてしまう。
自分で判断ができなくなってるんですよね。今の日本人は考える力を削がれてしまっています。日本は高度経済成長時代に右肩上がりで成長し、バブルも経験しました。お金で解決するという姿勢が続いた結果とも言えるんじゃないでしょうか。人との関わりもだんだん薄くなってきて、メールで済ませたり、話をしないで済ませようとします。昔は家族が何人かで一緒に暮らしていましたが、今は一人で介護をするようになってきました。ここに来られる方でも一人のお子さんが親御さんを、また夫婦のどちらかが介護しておられるというパターンが多いです。でも一人ではできないので、今こそつながりが、人の縁が大事になってくるんだと思います。日本はこれまで楽した分の帳尻合わせが来ているんだと思います。
――そうですね。日本ではなんでも手軽に早く、というコンビニエンス化しているところがあると思いますが、そうして大事なものを端折ったり、省略しているところがあると思います。介護という人と人が関わらざるを得ない部分にはそこが顕著に出ますよね。
最近はそういう介護者の無知や考える力をなくしているところに付け込んだ介護ビジネスが増えています。一泊千円ぐらいで、ひどい状態の部屋に泊らせる宿泊サービスがあります。命を軽視して人間性をなくした、福祉とは呼べないものがはびこってしまう社会に、私たちが加担しているとも言えるので、しっかり見極めないといけません。介護保険が暗躍させているとも言えるので、行政はもっとしっかりしてほしいと思います。医療はまだ守られていますけど、介護にはどんどんこういうものが入ってきてしまいます。
――私たちの無知や無関心、考える力をなくしているところに付け込んで、さらに不安を煽るようなビジネスが多いですね。これは悪循環だと思います。死というものについても、困ったら病院に運べばなんとかなると、医療の実態を知らないまま依存してしまっているところがあると思います。
やっぱり怖いからですよね。知らないと不安で、怖いから病院に運ぶ。だけど、普段から家族が本人の体の状態をちゃんと分かっていて、周りに人がいて家族を安心させてあげられたら、大丈夫だと思います。だから介護者にとって人とのつながりが大事というのは、そういうところもあると思います。