「自然に『死』と向き合える社会に」―認知症患者の介護家族の声⑤
■医療者にもっと変わってもらいたい
――確かにそういうことは言われないですし、医療者と患者のコミュニケーションは本当に課題ですよね。今は、ちょっと何かあると訴訟がちらつくようになってしまって、何かおかしいなと感じます。
今は、家族が何かを言うとクレーマーと言われがちですが、元々は「こちら側のことを伝えたい」「よくしてもらいたい」という気持ちからです。でも言い方や伝え方を分からない人もいるので、「つどい場」で経験のある人から「こんなふうに言ったよ」と話が聞けると、喧嘩腰にならないようなやり取りの参考になります。きちんとコミュニケーションを取れたら訴訟にはなりません。平たいところで話しあっていきたいと思いますし、医療の中でもコミュニケーションをもっと学んでもらいたいと思います。画面の中でデータを見て、病名を診断することが医師の手腕ではないと思います。医師は患者さんの訴えに耳を傾けることができて、皆のカウンセラーになれるようなコミュニケーション能力がないといけないと思います。日本全体が成績至上主義になり「資格、資格」と言われるようになってきて、医師の人間教育についてもなおざりにされ、とてもクールに教育されているところがあると思います。医師の基礎は人間ですが、今は病気になった人の苦しさや年老いた人の無念さを分かっている人が少ないと思います。そこをもっと分かっていただきたいです。これからは病院に来る患者も高齢者が増えます。医師は高齢者と話ができないといけません。
――そうですね。カウンセリングとかそういう意味ではなく、通常の会話のやり取りから本人の苦しいことを聞き出すコミュニケーション力ですね。医療のことを分かってもらえるようにもなると思います。
もっと医療や医師に変わってもらいたいと思いますし、認知症についても学んでいただきたいと思います。今は認知症の薬があまりに漫然と出されていますが、認知症は生活の中でよくしていけるものです。今は病名を付けられて薬を飲まされ、生かされている状態になり、どんどん心を閉ざして暴れるようになってしまう方も多いと思います。若年認知症の人など、治療が必要な人には必要だと思いますが、ある程度高齢になった人を病気にしてどうするのかと思います。
――認知症がよい例だと思いますが、これからは医療も生活の中で捉えていくことが大事ですね。
医療というのはそもそも生活とは縁が薄いものです。急性期に命を助けて、終わったら病院を出されてしまう。だけど介護は生活に近いし、生活の先に死があります。家族は日々それに向き合っています。でもこれから確実に高齢者は増え、在宅介護は増えます。医療者にもっと近づいてもらいたいと思いますね。
――ここは阪神淡路大震災の被災地域でもありますが、東日本大震災を受けて、私たちが得られる教訓には何があるでしょうか。
報道を見ていると、東北の方々は自分よりも周囲の方を気遣われていて「われ先に」という様子は見られません。まだ人のつながりのあった地域なのだと思います。このようなことが起こってはならないのですが、いざそうなった時に日ごろの人と人とのつながりが大事だということが分かります。都市部には人はたくさんいますが、つながっていない。「自分たちが良ければいい」という雰囲気で、人と人が関わることを「煩わしい」と言ったりします。でも生きてはいけます。私もつどい場をやっていると「よくそんな煩わしいことをするね」と言われたりしますが、色々な人たちが集まって話せて、笑い合うことができて、楽しいですよ。どんなことにもいいことと悪いことは絶対にあるので、煩わしさもあるから喜びもあるんです。
――日ごろからの緩やかなつながりが、いざという時に生きてくるんですね。
私たちは阪神淡路大震災も経験していますが、人が人に直接してあげられるということは、実はそんなに多くないんです。多くの場合、してあげたいと思う側の自己満足だったりします。それよりも先に長く繋がることをしていくことが大事じゃないかと思います。例えば、今被災者の心のケアということで臨床心理士の方たちの派遣なども行われていますが、それ以外にも色々な人たちが集まって、たくさんの人と愚痴を言ったり笑ったり泣いたり話したりできる、気軽なつどい場のようなものがあってもいいのではないでしょうか。
――確かに一対一のカウンセリングも大事ですが、それ以上にもっと気軽なつながりの中で自由に出入りできる場があるといいですね。今の日本にはそういうゆとりを持った「場」が少なかったと思います。ここのつどい場では、まさしく制度の隙間を埋める、つながりをつくっておられるんですね。
介護保険でできないところのほんの一部だけでもできたらと思ってやっています。今、少しずつ国内でもこういうつどい場ができているので嬉しいと思います。同じようなつどい場である必要はなくて、その地域に合わせたいろんな形があっていいと思います。行政もネットワークを作るのが苦手なのだったら、例えば空いている建物を開放するとか家賃を補助するとかして、一緒になってやっていけたらいいなと思います。各地域に合ったつどい場が増えていくといいなと思います。
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